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「もっと練習が必要だな」

「うぅ…」

「自分の指を縫わないくらいにはならないと」

「それは言うなよぉ…」


利き手は針を持つから、なかなか刺さないはずなのに、澪はなぜか両方の手を酷く刺して。

ある意味、器用ではある。

まあ、悪戦苦闘の末、チクチクと痛くて箸も持てないという状態になってしまったらしい。


「ほら、あーん」

「んー…」

「要らないのか?」

「は、恥ずかしい、やっぱり…」

「食べたくないのか?」

「そういうわけじゃないけど…」

「じゃあ、文句を言うな」

「うぅ…」


ふと気が付くと、翡翠がこっちを見ていた。

澪を挟んで私の反対側だから、澪には見えてないだろうけど。

澪の情けない姿を笑うわけでもなく、かといって憐れむわけでもなく。

ただ、ぼんやりとした様子で。

でも、私と目が合うと、すぐに顔を逸らして。

…何なんだろうか。

翡翠も、これをやってほしいのか?


「はぁい、澪ちゃん。おいちいでちゅかー?」

「やめろ!バカか、お前!」

「…何やってんだ、灯」

「えぇー。だって、面白いじゃん。針で指を刺して、箸も持てないなんてねー」

「う、五月蝿い!」

「あらあら、澪ちゃん。ご機嫌斜めでちゅねー」

「ウゥ…」

「まあ、お前は針を持つことがないから、指を刺すこともないだろうな」

「針仕事なんて、肩が凝るだけだよ。面倒くさいし」

「そうやって針すら持たないやつが、今一所懸命に練習してるやつのことをバカにするのはおかしいとは思わないか?」

「それは…」

「包丁で指を切ったからといって、澪に同じことをされたらどう思うんだ」

「………」

「まったく、そんなことにすら考えが及ばないようではな。お前は楽しいかもしれないが、一所懸命練習している澪の気持ちを考えてみたらどうだ」

「分かったよ…」


ため息をついて、灯は自分の席に戻る。

澪は、まだ顔を真っ赤にして俯いていたけど。

…まったく、油断も隙もあったものじゃない。


「まあ、あいつだって、ちょっとからかう程度の気持ちだったんだろ。本当にバカにしてるわけじゃないから。あまり気にするな」

「分かってるけど…」

「じゃあ、ほら。あーん」

「あーん…」


今度は素直に食べる。

灯のことは置いといても、早くこの辱しめから逃れたいということだろうか。

…まあ、恥ずかしいのは確かだろうし、でも、食べないわけにもいかないし。

見事な葛藤の図、というわけか。


「あーん」

「………」


そういえば、また翡翠がこちらを見ている。

何なんだろうな。

今日は一番端の席だから、この後ろは壁しかないんだけど。

壁を見てるということもないと思う。

何があるんだろうな。

あとで聞いてみようか。



階段を上がっていくと、屋根裏に続く階段の方から話し声が聞こえてきた。

千秋とレオナと銀次がお喋りに興じているらしい。

まあ、歳も近い三人だしな。

馬が合うんだろう。

…そういえば、レオナはちゃんと誕生日を祝ってもらえたんだろうか、なんて考えながら、自分の部屋へ向かう。

向かうと言うほどの距離はないけど。

すぐに、部屋に着く。


「翡翠」

「………」


部屋には、やっぱり翡翠がいて。

いつものように、もとの姿に戻って、屋根縁に寝そべっていた。


「さっきはどうしたんだ?」

「………」

「言いたくないならいいけど」

「………」


りるとナディアに貰った作品を、部屋の壁に飾っておく。

壁掛けにすると言ったら、佳子が上手い具合に紐を付けてくれて。

セトとお花畑、それから、カナブン。

りるは、どうも思い込みが激しいらしく、これをカナブンだと言って譲らなかった。

細長で赤や黄色の筋が入るのは玉虫なんだけど。

まあ、りるがカナブンだと言えば、カナブンなのかもしれない。


「何なんだ、それ」

「りるとナディアの作品だ。布の切れ端を貼り合わせてあるんだけど」

「ふぅん…」

「これはセトとお花畑、こっちはカナブン」

「カナブン?玉虫じゃないのか?」

「りるはカナブンだと言っていた。まあ、玉虫だろうけど」

「ふふ、可愛いな」

「そうだな」

「今はどこにいるんだ?風呂か?」

「ああ。今日は香具夜に入れてもらってるらしい」

「そっか」


翡翠は首を傾げて、もう一度、二人の作品に目を向ける。

それから、何か満足そうにため息をついて。


「…さっきはあれだよ。羨ましかったんだ」

「あーんってしてもらうのがか?」

「違うよ…。するのが、だよ」

「ふぅん。なんでだ?」

「僕はさ、澪からあんまり好かれてないみたいだから、あんなことは出来ないだろうなって」

「そんなことないと思うけどな。そりゃ、第一印象は最悪だったかもしれないが」

「どうだろうね」


さっきとはまた違うため息をつく。

…あのときのことは、ちゃんと気にしていたんだな。

澪は、私が見た限りでは、あまり気にしていないみたいだけど。

まあ、翡翠自身に、なかなか難しいものがあるのかもしれないな。


「また話してみればいい。なんなら、仲を取り持ってやるぞ」

「うん。ありがと」

「怖がらずに、話をすればいいと思うけどな」

「うん…」


翡翠はまた街の方を向いて。

何かを考えるように、尻尾の先を揺らしていた。


「…そういえば、ツカサはどうした。布団は敷いてあるけど」

「広場で望と喋ってるよ」

「ふぅん…」

「はぁ…。仲が良さそうでいいなぁ…」

「お前は、好きなやつとかはいないのか?」

「どうなんだろうね」

「リュウはどうだったんだよ」

「そうだねぇ…。そりゃ、可愛いとは思うけど、人間をお嫁さんにするとなると、やっぱりいろいろ考えることがあるしさ」

「嫁にしたいと思うのか?」

「いや、それもどうかな…。あ、リュウに魅力がないってわけじゃなくて、僕みたいなのが、他人の人生をどうこう出来るだけの資格はあるのかなって」

「…お前は、何にせよ考えすぎなのかもな」

「そうかな?」

「ああ」

「ふぅん…。まあ、とにかく、僕にはまだ分からない」

「そうか」

「………」


リュウの気持ちがどうかというのは知らないが、とにかく、今聞いた限りでは、翡翠は考えるところが多すぎるような気がする。

好きなら好き、そうでないならそうでないと、どちらかはっきりしないことには、助言も何もあったものではない。

まあ、感情の問題だから、なかなかはっきりしない事柄ではあるかもしれないが、翡翠はさらに考え込むところがあるみたいだからな。


「はぁ…」

「………」


リュウでないにしろ、誰か、本当に好きになれる人が出来ればいいな。

そういう人が、今の翡翠には必要なのかもしれない。

積極的にとは言わないが、臆病にならず。

ゆっくりと、進んでいけばいい。

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