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澪と一緒に昼ごはんを食べに厨房へ行くと、灯がぼんやりと窓の外を見ていて。
当番ではないようだけど、灯以外には誰もいなかった。
でも、昼ごはんは出来ていたから、各自でよそって食べ始める。
「ふぅん。厠から忍者がねぇ」
「灯。肘を突くな」
「はいはい」
「忍者が侵入出来ないように、特別に作られた厠もあるんだ」
「そうなんだ。まあ、うちは大丈夫だろうね。配管も細いし。腕を通すのが精一杯だよ」
「灯。忍者をナメてちゃダメだぞ」
「…忍者ってさ、伝令班みたいなかんじなのかな」
「緊急事態の諜報活動については、そうじゃないのか?」
「でも、忍者なら暗殺とか出来ないとね、やっぱり」
「暗殺ねぇ…」
「忍者は派手に動いちゃいけないんだぞ」
「そういえば、畳の端を丁の字になるように置いたりするのってさ、下から槍とかで突かれたりしないようにって聞いたことあるけど、本当なの?」
「まあ、そういう目的もあるだろうな。それでどれだけ効果があるか分からないが」
「ふぅん。とりあえず、忍者って大変なんだねー」
「そうだ。忍者は大変だな」
「…お前ら、案外似た者同士かもしれないな」
グリグリと澪の頭を撫でていた灯は、ふと考えるように視線を宙に泳がせると、また澪の顔をジッと見つめる。
何だろうかと、澪は首を傾げて。
「澪はさ、あと一品ってときに、何を食べたいって思う?」
「なんだ、いきなり?」
「料理だよ、料理。何が食べたい?」
「今は別にいい」
「今じゃなくてさ、何かもう一品欲しいなってときに」
「ふむ…。私にはよく分からんな…」
「そっか…。私も分かんないや。何か足りないんだけど、何を足せばいいのか分かんない」
「どんなかんじにしたんだよ」
「普通の、料亭の夕飯ってかんじ。前菜から始まって、最後の甘物まで、いちおう全部は考えてみたんだ。でも、まだ足りない。何が足りないのかは分からないけど」
「ふぅん…」
「それでさ、美希にも相談したんだけど、ここまで来たら自分で考えろってさ。美希には分かったみたいだけど。五味五色、全部揃ってるはずなんだけど…」
「品書きなんかはあるのか?」
「まあ、いちおう」
灯は懐から紙を取り出して、私に渡す。
それを開いて見てみると、確かに、前菜から最後まできちんと整っているようだった。
「何が足りないんだろうね」
「そうだな…」
「紅葉、これはなんて読むんだ?」
「汁物だ」
「澄まし汁だよ。なかなか作るのが難しいんだけど、味と一緒に技術も評価してもらえるかなって。まあ、そのあたりは、他の人もやってくるだろうけど」
「ふぅん…」
「一番分からないのが、食堂のオヤジさんなんだよね。何を作ってくるのか分からないというか、予想がつかないというか」
「食堂のオヤジ?誰だ、それは」
「下町の食堂の店主兼板前だよ。まあ、会ってみるのが一番だろうけどさ。…そういえば、涼さんってどうなったの?」
「さあな。それは風華に聞け。オレは、今朝は寄らなかったしな」
「えぇ、そうなんだ。敵情調査ってことで、今度、行ってみようかな」
「涼と話をしたいだけだろ」
「まあ、そうとも言うかもね。可愛い子が無事に生まれてくれるといいんだけど」
「大丈夫だろ。初産でもないんだし」
「お姉ちゃんってさ、いつんなったら子供作るの?」
「…そんな話は、今はどうでもいいだろ」
「全然よくないよー。このまま何もしないうちに歳を取っちゃったら、すぐに子供が生めなくなっちゃうよ?」
「そうなのか、紅葉?子供を生めなくなったら、大変だぞ」
「…だから、そういうのはまだ全く考えていない。だいたい、犬千代だって、今はかなり忙しい時期なんだし。懸案事項を増やすだけだ」
「懸案事項だなんて、ねぇ?」
「うむ。やや子を愛するのは当たり前であろう?」
「…とにかく、今はまだ子供のことなんて考えていない」
「えぇー。お姉ちゃん、子供好きなのに、勿体ない」
「勿体ないとは違うと思うけどな…」
「なぁ、紅葉。私は好きか?私も、子供だ」
「好きだけど」
「そうか。よかった」
澪がニコニコしている横で、灯はまだ何か言っていた。
結婚適齢期だとか、子供を生む年齢だとか。
まあ、とりあえず聞き流しておくけど。
…でも、自分が妊娠している姿なんて想像出来ない。
涼のようにお腹を膨らませて、幸せそうな顔をしている自分の姿が。
「そうだ。今日からお兄ちゃんの部屋で寝なよ」
「なんか、前にも誰かに聞いた気がするな…」
「大丈夫大丈夫。涼さんって先輩もいるんだしさ」
「お前は、どうしてもオレに子供を生ませたいらしいな」
「だって、お姉ちゃんの子供だよ?きっと可愛いに決まってるもん」
「お前な…。意味不明な理由で、軽々しくオレに子供を生ませようとするな…」
「意味不明なことないでしょ。私は、お姉ちゃんの子供を見てみたい。それだけだよ」
「妊娠、出産、育児。それがどれだけ大変なのか、お前は分かっていないみたいだな」
「分かってるよ。妊娠はお姉ちゃんに任せるしかないし、出産も助産師さんとか薬師さんに任せるしかないけど。でも、育児は、私もある程度は協力出来るよ。大変なことだって、みんなで一緒にやれば、それだけ負担も軽くなるじゃない。私はちゃんと手伝うよ。だって、お姉ちゃんの子供なんだもん」
「………。でも、お前もいつか、子供を生むんだろ?」
「そのときは、お姉ちゃん、手伝ってくれない?」
「はぁ…。まったく…」
「えへへ」
でも、本当に、今はまだそんなことは考えられない。
そう言っているうちに、灯に追い越されてしまいそうだけど。
…私の子供か。
灯が言っていたことは、確かに、とても嬉しかった。