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屋根縁から街の方を見る。
たぶん、もうそろそろ食堂は忙しくなってくる頃だろう。
料理大会はどうなってるのか分からないけど、そういえば、あそこのオヤジも予選を突破したとか言っていたな。
どんな料理を作る気なんだろうか。
「紅葉、何を見ているんだ?」
「お前の行く末」
「えっ?紅葉には、予知能力があるのか?」
「…冗談だよ。別にどこも見てない。ぼんやりしていただけだ」
「ふぅん」
「しかし、澪よ。お前は少々紅葉に纏わり付きすぎではないか?厠くらい、一人で行かせてやってもいいだろうに」
「厠で誰かに襲われたらどうするんだ。忍者は、厠から城に侵入してくるんだぞ」
「汲み取り式ならば可能かもしれないが、ここは水洗式だろう。それに、これだけ開かれていれば、侵入者か客かなんてのは分からないのだから、わざわざ厠から入って来ずとも、正面から堂々と入ってくればよいだろう」
「そんなのは忍者じゃない!」
「…お前は忍者を何だと思っているんだ。的確に任務を遂行し、確実に帰還するのが忍者だ。派手な忍術を使ったり、爆煙を上げたりするようなものではない。そういうものは、小説や漫画の中だけでの話だ」
「紅葉、そうなのか?」
「さあな。この城には忍者はいないから。でも、せっかく厠から侵入したのに、派手に暴れ回ったら意味がないだろ?」
「むぅ…。確かにそうだな…」
「もちろん、焙烙火矢や火器を使ったりすることもあるかもしれないが、それは戦場での戦闘技術であって、潜入術ではない」
「でも、姿を消したり、人を意のままに操ったり、そういう不思議な力を使うそうじゃないか。水遁とか火遁とか…」
「姿を消す術も、人を操るのも、忍術というのは、だいたいは人の心理を突いたものだ。たとえば、追われているときに、角を曲がると同時に塀や木の上に飛び上がることで、突然姿を消したように見せかけるというものがある。まさか上には逃げないだろうという心理を突いたわけだな。また、五車の術というものは、人を操る術と言ってもいいだろうが、人の喜怒哀楽と恐怖に働きかけて操るものだから、これも人の心を利用したものだ。あと、水遁や火遁というのは、水や火を使った行動全般を指す。鍋を引っくり返してお湯を撒き散らすのだって水遁だし、煙玉を使うのも火遁だ」
「ふぅん…」
「まあ、そんなものだ」
「なんか…幻滅だな…」
「とにかく、厠までついていくことはないということだ。紅葉も、用を足しにくいだろう」
「うむ…」
澪も、私のためを想ってしてくれているんだけど、さすがに厠にまでついてこられては困る。
いや、困るというほどではないが、やはり居心地が悪い。
…でも、しょんぼりとしている澪を見るのも、居心地が悪い。
「…不測の事態に備えるというのは、いいことだ。まあ、忍者は襲ってこないにしても、何があるかは分からないからな」
「そうなのか…?」
「お前が言ってたんだろ、一寸先は闇だって」
「うむ…」
「厠にまでついてくるのはやり過ぎだと思うが、そうやってオレのことを一所懸命に守ろうとしてくれているのは嬉しいよ」
「そ、そうかな…。そう言ってもらえると、私も嬉しい…かな」
「そうか」
頭を撫でてやると、また笑顔になってくれた。
やっぱり、澪はこれが一番だな。
「あ、そうだ、大和」
「どうした」
「術の組み方を教えてくれ」
「ふむ。そういえば、そんな約束もしたか」
「うん」
「まあ、そうだな。お前はとにかく組み方が雑だったからな」
「組み方があるなんて知らなかったから」
「そうか。とりあえず、術にも相性というものがあるんだ。相性の悪いものを近くに置くと、反発しあって力が弱くなってしまう。だから、色相環を描くように、順に組んでいくのだ」
「ふぅん…。よく分からないな」
「…まずは、お前は、術の属性を覚えることが先決だろう。ある程度の術と属性、あとは属性の特徴なんかをだな」
「覚えることはたくさんあるということだな…」
「まあ、そうだな。しかし、ゆっくり覚えていけばいい」
「ゆっくり覚えていては、紅葉を守れない」
「紅葉を守ることも大事だろうが、術を組む上では、属性を理解しておくことも非常に大切なことだ。理解しないまま組んでしまうと、前にも言った通り、組まれた側に大きな負担を掛けてしまう。たまたま紅葉は、強くて大きな器を持っていたから、あれだけ滅茶苦茶に組んでいてもなんともなかったが、並の人間では、あんな組み方では耐えきれないぞ」
「むぅ…」
「基礎を学ぶことは、あらゆるものに於いて大切なことだ。時間は掛かるかもしれないが、それだけは外すことは出来ない」
「………」
「知識や技術は、一足飛びには習得出来ないものだ。一歩一歩、しっかり踏みしめていった者だけが、いつか実を結ぶことが出来るのだよ」
「実を結ぶ…」
「そうだ。一足飛びの根なし草か、努力の実を付けるのか、どっちがいい」
「実を付ける方がいい…」
「そうか。では、基礎から始めるとしよう。心配するな。最初は誰でも初心者なのだから」
「…うん」
澪は頷いて。
それを見て、大和もきっちりと座り直す。
…澪なら、きっと、やり遂げてくれるだろう。
そう、思える。