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朝の市場というのも、滅多に来ないから、新鮮なものだった。
八百屋や魚屋は、仕入れも準備も終わり、すでに店を開いている。
その横で、雑貨屋などが開店の準備を始めていて。
いささか浮いているような気もするが、そんな慌ただしい朝の雰囲気の中を歩いていく。
「あ、姉さん」
「ん?」
「どうしたの?散歩?」
「ああ。ツカサはどこの手伝いをしてるんだ?」
「そこの薬局だよ。薬を並べたり、いろいろ」
「ふぅん」
「これが終わったら、涼さんの食堂に行くんだ」
「そうか。もう、朝から行くことになってるのか?」
「うん。風華に言われて」
「臨月だったか?」
「ううん。まだだけど、風華って心配性だからさ」
「まあな」
「涼さんも、食堂までは来てるんだけど、働くと風華が五月蝿いって、愚痴ってばっかりなんだよ。あ、外回りの衛士さんとかも、こっちに来て喋ってたりするよ」
「知ってるけどな。まあ、あんまり職務怠慢だと、給料を減らすと言っておいてくれ」
「そうだね。分かった」
「他は変わりないか?」
「別にないかな。あ、城に龍が飛んでいくのを見たって人がたくさんいるんだけど」
「澪のことだろうな…」
「うん。まあ、城は一種の不思議空間になってるみたいだよ、下町の人にとっては。この前、寺子屋に来た子なんかも、龍がいたって大騒ぎしてたみたいだし」
「事実だしな」
「そうだけど。大人たちはあんまり信じてないみたい。またみんなで新しいイタズラを思い付いたんだろうってさ。俺も聞かれることがあるんだけど、適当にはぐらかしてるし」
「信じられないなら、城に来いと言っておけ」
「あはは。まあ、そうだね」
「…とりあえず、お前は早く仕事を済ませろ」
「うん。じゃあ、またね」
「ああ。引き止めて悪かったな」
「引き止めたのは俺だろ」
「そうだったか?」
「うん。それじゃ」
ツカサは、軽く手を振って、薬局の中へ入っていった。
…薬局の手伝いって、難しいんじゃないだろうか。
薬の扱いとか、いろいろ。
分からないけど、そういう仕事を任されるということは、ツカサもかなり信用されてるってことなんだろうな。
「………」
とりあえず、突っ立ってるわけにもいかないし、散歩に戻ることにする。
ツカサがいるということは、リュカもいると思うんだけど。
あいつは何をしてるんだろうか。
まあ、何でもいいけど。
横の店を覗いたりしながら、城の方へと歩いていく。
「あっ。紅葉姉ちゃんちゃうん?」
「レオナか。なんでここにいるんだ」
「えぇ?リュカの手伝いで、市場の朝の手伝いしてるんやけど」
「ふぅん…」
「リュカにはおうた?」
「いや。どこにいるんだ?」
「今は花屋ちゃうかな」
「花屋の方向に行く用事はないな」
「えぇー。会いに行ったりぃな。会いたがっとったで」
「それは嘘なのか?」
「うん。…って、ちゃうし!ホンマやし!」
「ふぅん…」
「寂しいんちゃうんかな、リュカも。ずっと好きやった姉ちゃんにフラれてさぁ。別ん人と結婚したんやろ?」
「フラれた?というか、あいつがオレのことを好きだったって?」
「えぇ…。姉ちゃんてホンマにニブチンやね…。前にもゆうた気もするけど…」
「何がだよ」
「ずっと幼馴染みで、しかも、家族以外で自分の特異な体質を認めてくれてる人やで?好きになるんも当たり前ってもんやろ」
「…お前の想像が入ってないか?というか、お前の経験だろ、それは。この前の銀次の」
「いいや、そんなん関係ないし、絶対そうやって!」
「まったく…。大声を出すな…」
「なんでやの。リュカと姉ちゃんが結婚したら、正式にうちの姉ちゃんになるやん」
「…レオナ。そういうのを政略結婚と言うんだ。それに、そんなことをしなくても、オレはお前のお姉ちゃんだよ」
「でも…」
「レオナちゃん、ちょっと来てくれないかな」
「あかんて。今、大事な話しとんねん」
「えぇ…」
「お前な…。早く行ってこい。話ならいつでも出来るだろ」
「むぅ…」
「ほら」
レオナの背中を押すと、不満たっぷりの様子だったが、店へ戻っていった。
…まったく、あいつもまだまだ子供なんだな。
と、不意に影が落ちてきて、目の前に誰かが降りてくる。
「探したぞ、紅葉」
「次はお前か、澪」
「ん?何の話だ?」
「…なんでもない」
「そうか」
「探したって、何か用か?」
「用はない。でも、紅葉の傍にいないと、紅葉を守れないだろ?」
「自分の身は自分で守るけど…。それに、守ってもらわないといけないことも起きない」
「一寸先は深淵の闇だぞ、紅葉」
「そうかよ…」
「行くぞ」
そう言って私の手を握ると、こちらを向いてニッコリと笑顔を見せて。
まあ、この構図では、守るのは私なのではないかという疑問も出てこなくもないが。
これはこれで可愛いから、よしとしよう。
二人でのんびりと歩き始める。
「…なぁ、紅葉」
「なんだ」
「紅葉は、私のことをどう思ってるんだ?」
「どうって、どういう意味だよ」
「私は、紅葉のことが好きだし、身を捧げるべき主だと思っている。じゃあ、紅葉は、私のことをどう思ってるんだ?と聞いているんだけど」
「そうだな…。お前の言う主従関係は全く考えてないよ」
「それは…私は紅葉に適う従者ではないということか…?」
「そうじゃない。最初に言っただろ。お前がここに留まるのなら、家族として迎え入れるって。便宜上、衛士長や隊長、隊員などといった役職を設けているが、あくまでも、それは役職でしかない。城に住んでいる者は、みんな家族だ。お前も例外ではない」
「でも、私の主になってくれると…」
「じゃあ、オレはお前の主だとしよう。でも、主従の縦の繋がりだけでなく、家族という広い繋がりも持っていてくれないか?お前は、オレの従者でもあり、オレの可愛い妹でもある」
「…私は男だぞ」
「その姿は女だろ」
「むぅ…。私は妖術の変化がどうも苦手なのだ。だから、変化の術式で代用しているだけだ」
「その変化の術式で、お前の思うような姿を作ればいいじゃないか」
「それはそうなのだが、私はもともと術式の適性が低いから、自分好みの姿というのが作れない。記憶の中の情報を構築し直す程度しか出来ないのだ。それで、先の主には、息子が一人と、娘が二人いた。そのうちの、一番末っ子の娘の幼少期の姿だ、これは」
「ふぅん。なんで息子にしなかったんだ?」
「息子は雉だったから、私とは合わないんだ。術式が上手い者ならば、変化する先が何であってもいいのだが。その点、末の娘は黒龍だったから、ピッタリなのだけど」
「ん?息子は雉なのに、末娘は黒龍?」
「末の娘は孤児だったのだ。私が見つけたのだけど。前の主と奥方は、自分たちの娘として大事に育ててくれた」
「ふぅん…」
「ふふふ。そのあたりは、あの城と同じだな。…だから、惹かれたのかもしれない」
「とりあえず、お前は妖術にしろ術式にしろ、変化というのが苦手だから、その姿を取るしかないってことだな」
「うむ。あ、そうだ。あの響という娘の姿になら、変化出来るかもしれない」
「ややこしいからやめろ…」
「ふむ…」
「まあ、だいたい分かった気がする」
「そうか。よかった」
またニッコリと笑う。
前の主の末娘も、こんな風に笑っていたんだろうな、きっと。
「でも、その末娘も、鱗の黒龍だったのか?」
「うむ。あの娘は龍人であったからな。人間の種族には鱗の黒龍はいないが、龍にはいるから、鱗の黒龍と人間の黒龍の血が交われば、人間で鱗の黒龍の子供が生まれることがある」
「ふぅん…。また、よく分からん新事実をぬけぬけと…」
「龍人と人間は、ほとんど区別がつかない。違いがあるとすれば、さっきのような姿の違いや、あとは、尻尾のあるなしだな。まあ、そんな違いも、種族による微妙な違いなんだと片付けられてしまう場合がほとんどだ」
「そういえば、お前には尻尾があるな」
「うむ。人間の黒龍だと、私の尻尾は犠牲にならざるを得ないが、龍人ならば心配ない」
「そうかよ…」
「ふふふ。紅葉と同じ、美しい尻尾だ」
そう言って、長い尻尾を大事そうに抱える。
…しかし、美しい尻尾とか言いながら、さっきまでは引き摺って歩いていたわけだが。
まあ、たぶん、地面に擦れる部分は鱗が厚くなっているんだろう。
「変化出来る姿があってよかった。紅葉と、こうやって、一緒に歩くことが出来る」
「そうだな」
「…家族、か。いいな、そういうのも」
澪は、どこか遠くを見ているようだった。
何かを思い出すような。
何かを懐かしむような。
そんな表情で。