405
「ろくべーのところにはいかないのか?」
「今日は寺子屋があるだろ。話を聞きにいくのは明日だ」
「べんきょーなんてつまらん!なんで、こんなことするんだ!」
「五月蝿いぞ、凛」
「そとであそぶ!」
「遊ぶったって、誰と遊ぶんだよ。今日はみんなここにいるだろ」
「セトとあそぶ」
「今日はどこかに出掛けて、広場にはいないぞ」
「いおりとれん」
「あいつらは寝てる」
「おこす!」
「凛。今日は諦めて勉強してろ」
「うぅーっ!」
凛はバンバンと机を叩き始める。
ジッと座っているというのが我慢ならないんだろう。
とりあえず、叩く手を掴んで万歳させてみる。
…こういうチビたちの管理をレオナに任されたのはいいが、ここまで騒がしいのは凛だけだった。
他の同い年の子や、さらに小さい夏月でさえ、目新しいベンキョウというものに興味を持って、静かにとは言わないが、各々楽しんでるというのに。
まったく、このイタズラ子猫だけは、どうしても辛抱が足りないようだった。
「仕方ないな…。お前だけ特別授業だ」
「なんだ、とくべつって」
「特別?」
「何?」
特別、という魅力的な言葉に反応して、周りのチビたちが興味を示した。
そして、読みの練習を放棄して、わらわらと集まってくる。
「はぁ…。仕方ないな…。お前たちにも教えてやるから、少し待ってろ」
「はぁい」
七人か。
立ち上がって、広間の隅に設けられた物置場に向かう。
…広間がいっぱいになるほど集まった子供たちは、五つの集団に分かれて勉強をしている。
そのうちのひとつが、チビたちの組なんだけど。
習字の組が二つ、算数の組がひとつ、民族学の組がひとつ。
レオナが担当しているのは、算数の組。
習字の組のうちの一方は、前に会ったあの師範だった。
「あれ、姉ちゃん。どこ行くん?」
「物置」
「ふぅん。何するん?」
「なんでもいいだろ。ほら、手が挙がってるぞ」
「えっ?あぁ、ごめんごめん」
手を挙げていたのは望だった。
話を聞くと、かなり物覚えがいいらしい。
加減剰余の計算や九九も、すぐに出来るようになったようだ。
紙に小さく可愛い字で書かれた計算結果は、全て合っているみたいだな。
望の隣には秋華が座っているが、こちらはかなり難航している模様。
二問目で詰まっていた。
そして、一問目は間違っている。
…算数の組を通り抜けて、民族学の組を少し見てみると、さすがと言うか、子供というより青年といった方がいいような者たちが、教授と慕われているおじいちゃん先生の講義に、静かに耳を傾けていた。
その中に、降龍川の姿も見られる。
やはり、興味があるんだろうか。
今は、北の民族の伝説や伝承の講義のようだった。
どこからか持ってきた黒板に、白墨ではっきりと整った字を書いたりしているが、降龍川は読めているのかどうか。
「ヤンリォというのは日、つまり、太陽だね。太陽の神さまで、ルィムナというのが月の神さま。この兄妹…あぁ、ヤンリォが兄で、ルィムナが妹と言われているのだけれども、この兄妹が、北の民族の信仰するところの中心となっているのだね。僕は、この北の民族の信仰というのが好きで、民族学と併せて長年研究してきたのだけれども。この信仰は、なるほど、ここ日ノ本の神道に通じるところがある。分類上は、どちらも宗教に分類されるんだけどね、僕はそうは思わない。これは我々の心…精神だ、と。そう思うわけだ。僕らは日頃、神さまに感謝しているかい?八百万もいる神々に?していないだろう?でも、食べ物を残さず食べる、水を汚さない、ものを粗末に扱わない。他にもあるけどね、そういうのは、僕らに染み付いた、神さまへの感謝の仕方なんじゃないかな、と僕は思うんだ。だけどね、そこには宗教的な信仰はどこにもない。ないでしょ?日常なんだもの、我々の。神社がどうとか言うけどね、あれは、我々に大切なことを忘れさせないようにって、あと、普段はそうと思ってはしない神さまへの感謝を、形式に則って、ちょこっとだけ表すところだと思うんだよね、僕はさ」
一人で喋ってはいるのだが、まるで膝を詰めて対話しているかのように、内容が頭に入ってくるようだった。
これが、この教授の、慕われる由縁なのかもしれない。
しかし、降龍川はどういう思いで聞いてるんだろうか。
まあ、妖怪は妖怪だからな。
大和は、私たちが神と呼ぶような存在だとは言ったが、それだけの力を持っているというだけで、神とはまた別の存在なのかもしれない。
その辺はよく分からないけども。
…このままここに腰掛けて、じっくりと話を聞きたいところではあるが、そうもいかない。
とりあえず、聞き入ってしまった分、遅くなった。
早く取って戻らないと。
続きは気になったが、もう立ち止まらずに。
「おそいぞ、おねーちゃん!」
「すまなかったな。ほら、これだ」
「なんだ、これ。ひもか?」
「あや取りだよ。凛ちゃん、知らないの?」
「おー、あやとりか。きいたことがある」
「読む練習はやめて、今からあや取りをしようと思うんだけど」
「あやとりならいいな。凛もしってるぞ」
「私もやりたい」
「うん」
「じゃあ、各自、ひとつずつ取れ」
最初は七人だったが、いつの間にか伝播して十三人に増えていた。
多めに持ってきて正解だったな。
あや取りは、よく知っている子もいるようで、早速大技に取り組んだり、二人あや取りで遊んだりしてる子もいる。
少し歳上の子は、小さい子に教えたりもして。
結局、私のところに残ったのは、凛とりるとサンの、よく見知った三人だけとなった。
「おねーちゃん、どうやるんだ?」
「まずは、両手の親指と小指に紐を掛けるところからだ」
「こうか?」
「真ん中が捩れないようにな」
「うーん…。むずかしいな…」
「凛、二回転してるよ」
「うむぅ…」
ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返して、やっと掛けられるようになった。
サンなんかは、その間に横の組を見たりして、中指で紐を取るところまで進めていて。
りるは、凛のばかり見ていて出来ていない。
「ほら、りるも」
「うん」
すんなりと指を掛ける。
凛は、それを見て、おかしいなという風に首を傾げて。
まあ、りるの方が要領はいいようだ。
…サンは、すでに吊り橋を作ってるけど。
「次は、中指で向こうの手の紐を取る。分かるか?こうだ」
「おー。かんたんそうだな」
「うん。簡単そう」
りるは、またすんなりと終わらせて。
でも、凛はまた苦戦しているようだった。
「凛、それは人差し指だよ」
「わかってる!わかってるが、うまくいかない…んだ!」
「全部外れちゃったね」
「またさいしょからやりなおしか!」
「イライラしないの。ゆっくりやろうよ」
「うむ…」
歳は同じはずだけど、りるの方がよっぽどお姉ちゃんだな。
凛を宥めて、また親指と小指に紐を掛けるところからやり直させる。
…サンの方を見てみると、形は吊り橋で止まっていた。
でも、何か目を輝かせて、こっちを見ている。
サンが見ていた隣の組を見ると、二人あや取りをしているようだった。
「吊り橋の次は…田んぼだな」
「うん!」
サンの吊り橋を取って、田んぼを作る。
すると、すぐにそれを取って川にして。
…まあ、凛の方はまだ時間が掛かりそうだから、しばらくサンと一緒にやってみようか。