404
「………」
「姉ちゃんも手伝ってぇな」
「…お前は、いちいちなんでこんな早くにやってきて、オレを起こすんだ」
「だって、責任者おらんとやろ?」
「そんなことはないから、自分で勝手にやってくれ…。オレは、お前ほど朝は早くない」
「そんなんゆうて。手伝いたくないだけちゃうん?」
「はぁ…。それもあるよ…」
「ええやん、手伝ってくれたかて」
「オレは眠いんだ。お前一人でやってろ」
「ホンマ、かんじ悪いわぁ」
レオナは一人で勝手に怒って、準備を進めていく。
私がうつらうつらしていると、わざと大きな音を立てたりして。
でも、関係なく目を閉じると、明からさまなため息をついていた。
「なんだ、騒々しい」
「大和か。…寺子屋を開く準備だと。今日からここでやることになった」
「ふむ、寺子屋か。勉学に励むのはよいことだ」
「それはそうだけど…」
「わっ、なんや、このおっきい生物」
「お前か。騒々しいのは」
「えっ?はぁ、すんません」
「………」
「せやゆうたかて、もう朝一番から来る子もおるから、早ように準備しとかなあかんやろ。あんたが何かは知らんけど、邪魔すんねやったらどいてくれんか」
「うむ…」
「猫の手ぇも借りたいくらいやのに、姉ちゃんは寝こけてるし、ホンマなんやねん」
「お前がこんな時間に起こすからだろ…」
「ふむ。手が必要か。ならば、貸してやろう」
「えっ?」
少し目を開けて見てみる。
妖術なのか、大和は少しずつ小さくなっていって、人間くらいの大きさで止まったかと思うと、ちょうどリュカやレオナが半獣になったときのような姿になった。
そして、少しよろめきながら後ろ足で立ち上がると、何かを確かめるように、手をゆっくり開いたり閉じたりして。
「変化するのは苦手なのだがな。それに、この姿を取るのも久しぶりだ。あまり長い間維持出来ないかもしれないから、さっさとやるぞ」
「…あんたは何なん?単なる不思議生物やないみたいやけど」
「不思議生物ってな…。私は、ただの妖怪だ」
「妖怪?」
「そら、早くしろ」
「あ、うん…。まあ、そんなこともあるわな…」
レオナは、多少無理矢理に自分を納得させたようだ。
半獣化した大和と一瞬に、作業に取り掛かる。
…しかし、縮んだとはいえ、七尺はあろうかという大男は小三郎以外には見たことがないから、どこか新鮮だった。
そして、大男がノシノシと歩いている横で、レオナがせかせかと走り回っている様子は、何か冬支度をする栗鼠を彷彿させた。
「これは、ここでいいのか?」
「適当に置いといて」
「そう言われてもだな…」
まあ、栗鼠が大男を顎で使うのは見所かもしれないが。
…私はもう限界だ。
お休み…。
目が覚める。
まだ陽が昇り始めたばかりだったが、半刻は寝られただろうか。
いつの間にか背凭れが壁から大和になっていて、その大和はぐったりとして眠っていた。
そして、隣にはレオナが寝ていて。
…大急ぎで準備をしたんだろうか。
少々雑に並べられた机は、それでも、寺子屋と言われれば寺子屋らしかった。
「………」
「………」
そして、早速、誰かが座っている。
朝一番に来るやつもいると言っていたが、こいつのことだろうか。
朝一番も朝一番だな。
居眠りをしているのか、精神統一でもしているのか、真っ直ぐに背筋を伸ばして、目を瞑ったまま座っていた。
その様子はどこか秋華を思い出させたが、でも、秋華にはない静寂が備わっている。
「おはよ、紅葉」
「…神出鬼没だな、相変わらず」
「どうも」
「昨日は朝だけだったな」
「あんまりベタベタしたら、目が見えなくなるんでしょ?」
「それはそうかもしれないけど…」
「なんか、お仲間さんが増えたみたいだね」
「まあな…」
「賑やかになるのはいいことだよ。…ところで、あそこの子」
「はぁ…。また幽霊か何かか?」
「そうだね。でも、たぶん幽霊じゃないと思うよ。人間でもないけど」
「またそんなものが…。どうなってるんだ、この城は」
「いいじゃない。笑う門には福来るってね」
「意味が分からないし、これ以上幽霊やら妖怪やら子供が増えるのは、どうかと思うけど…」
「満更でもないくせに」
「はぁ…」
満更でもないというのは、確かにそうだけど…。
でも、いくら開放されてるとはいえ、なんでもかんでも入ってこられては困る。
「まあ、害はなさそうだけどさ。嫌なら追っ払ってこようか?」
「いや、いいよ。別にいたっていいだろ」
「そうだね。でも、なんであんなところにいるんだろ。起きてるの?寝てるの?」
「知らないよ…」
「何にせよ、ちゃんと面倒見てあげなさいよ」
「分かってるよ」
「そっか。…それじゃ、お母さん、帰るね」
「ああ。またな」
「うん」
「帰るついでに、灯を起こしていってくれ」
「はいはい」
笑いながら返事をすると、母さんは静かに消えていった。
…さて、どうするかな。
撫子のように騒いだりするわけでもなく、何もせずにただ座っているだけというのも、かなり気になるものだな。
「ふむ。座敷わらしか」
「ん?起きたか」
「うむ。話し声が聞こえたのでな。しかし、レオナは人遣いが荒いな…」
「オレは知ってたけどな」
「お前は、眠りこけていただけであろう」
「オレは、朝は早くない」
「まったく、上手く回避しおって…」
「それで、座敷わらしがどうした」
「…座敷わらしというのは、もともとは、お前たちが神だとか呼ぶようなものだ。妖怪には変わりはないが。あの者は水の化身のようだな。おそらく、この一帯を水底に沈めるくらいは造作もないことだろう」
「そうか」
「…お前はあまり驚いたり動じたりすることがないからつまらん」
「あいつからは、そんなことをしようという気は感じられない」
「…確かに、そうなのだがな。自然を司る者は、何であれ、徒に自然をいじるようなことをしない。その自然が、他者にとっても、自分にとっても、大切なものだと分かっているからな。まあ、私たちのような矮小な存在は、自然を操作するような能力も権利も持たないのだが」
「そうだな」
「低級な妖怪なんどとは違って、話せば通じる相手だ。まあ、挑み掛かろうものなら、一瞬で腹の中に収められてしまうだろうがな。お前は分からんが。しかし、気になるのであれば、立ち退きを求めればよい。即座に対応してくれるだろうよ」
「いや、いいよ。さっき、母さんにも言ったけど。害はないんだろ?」
「あの者に害を加えようとしない限りは、ないだろうな」
「それならいい」
何か害を為すものなら追い払うが、そうでないのなら構わない。
精神統一をしてるらしい座敷わらしは、しばらく見ていると、ふと力を抜いて体勢を楽にして、こちらに振り向いた。
「おはよ」
「ああ。おはよう」
「みんな、朝が早いんだね。いつからそこにいたの?」
「お前よりも先にいてたが」
「そうなんだ。ごめんね、気付かなくて。考え事をしてたら、そっちばかりに気を取られて」
「いいさ、そんなことは。ところで、今日は何をしに来たんだ」
「寺子屋がここで開かれるって聞いたからさ、ぼくも少しは勉強してみようかなって。字も読めないから。ちょうどいい機会でしょ」
「座敷わらしも、字を読む必要があるのか?」
「あちゃあ、上手く変化したつもりだったんだけどな。分かった?」
「オレはなんとなくしか分からなかったけどな。でも、こいつを見て少しも驚かないやつは、たぶん人間にはいないよ」
「大噛みね。見慣れてたから。まだまだ人間修行が足りないってことだな」
「なぜ、座敷わらしである御主が、人間の真似事をするのだ?」
「…ぼくは、そこを流れる川の化身なんだ。知ってる?」
「降龍川か?」
「うん。今はこんな格好をしてるけど、本当は龍なんだよ」
「水の化身といえば、龍らしいからな」
「龍とか蛇だね」
「それで?」
「ぼくは、人間が好きなんだ。それで、もっと知りたくなって。…理由になる?」
「ああ、充分だよ。でもな、朝早くから準備してるとはいえ、こんな日の出すぐには始まらないぞ。教師も寝てるし」
「そうなんだ。じゃあ、ぼくもちょっと休むかな」
そう言うと、降龍川の姿はどんどんと変化していって、最後には大和の三倍の体長はあろうかというくらいの龍になった。
…小さい子供が集まった反動で、でかいのが集まり始めたのか?
広間なのに、大和と降龍川のお陰でかなり狭く感じられた。
「変化は力をたくさん使うから疲れるんだよ」
「そうか」
「でも、人間の姿をしてる方が、美味しいものも食べられるし。この姿だと、つい丸呑みにしちゃうから、味が分からないんだよね…。ほら、蛇に似てるでしょ?」
「似てるといえば似ているが。しかし、お前らは食い気ばかりだな」
「えっ?」
「………」
「まあいい。普段、何を食べてるのかは知らんが、人間の姿になっていたら、昼ごはんは美味いものをご馳走してやる」
「ホント?不味かったら、キミを食べてもいいかな」
「ああ。いいとも」
「…なんだ、全然怖がらないんだね」
「自信があるしな」
「それに、こいつにそういうのは全く効かない。神経が綱のように太いからな」
「そうなんだ。つまんない…」
「まあ、本当に不味かったら食えばいいさ。オレは、妖怪にとっては美味いんだろ?」
「冗談だよ。ぼくは、気に入らない人間しか食べない主義だし」
「オレは気に入ったのか?」
「ちょっと恥ずかしいけどね…。ずっと好きだったよ、キミのことは」
「……?」
そして、降龍川は大欠伸をすると、そのまま目を閉じて眠ってしまった。
…なんだ、最後のは?
よく分からないが、好きと言ってくれているんだから、素直に喜んでおこう。