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大和が妖術を使い、撫子の傷を診てくれた。
完全には無理だけど、簡単な治療もいちおう出来るらしくて。
「粗方手当ては済んだよ。しかし、手加減していたとはいえ、派手にやったな」
「そうでもないだろ」
「折れてはいないが、ヒビが入っていた。しばらくは絶対安静だな」
「すまないな、手間を取らせて」
「これくらいはしないとな。もともと、私が原因だったのだから」
「…そうか」
気を失って人間の姿に戻っている撫子の頬に触れる。
怪我が痛むのか、酷くうなされていて。
秋華が、心配そうな顔で、撫子をジッと見つめていた。
「それにしても、こいつの本来の姿はどっちなんだ?」
「本来の姿と言うのなら、さっきの狐の姿がそうだろうな。だが、長くこの姿でいたのか、こちらの方が定着してきているようだ。弱ったときに取る姿が、一番消耗の少ない姿だからな。…しかし、妖力が強いとは思っていたが、まさか金狐だったとはな。尾はまだ二本しかなかったが。百年少ししか生きていない、本当に小娘だよ」
「尾は九本あるように見えたが」
「あれは、あいつの作り出した幻影、ハッタリだ。だいたい、九尾だとしたら、私よりも歳上ということになる」
「お前は何歳なんだよ」
「五百と少しだろうな。面倒になったから、最近はもう数えていない」
「妖怪の五百歳は、もう年寄りなのか?」
「大噛みで見れば、初老といったところだ。妖怪全体で見れば、かなりの年寄りだがな。妖怪の寿命は、だいたいは人間と同じ程度か、それより短いくらいだ。私たちのように永き時を生きる妖怪は、ごく一握りしかいないよ」
「…撫子も、永き時を生きることになるのでしょうか」
「妖狐は、私たち大噛みと同様に寿命が永いからな。八百以上の季節を過ごし、九尾となる者はなかなかいないが。百と少ししか生きていないこいつは、さっきも言ったが、まだまだ小娘ということだ」
「………」
「…秋華。未だ来ぬ先のことを考えるでない」
「しかし…。私は必ず、撫子より先に老い、先に死んでしまいます…。そのときに、撫子はどう思うのでしょうか…。いつか哀しい想いをさせるのであれば、私は撫子と仲良くなってはいけないのではないでしょうか…」
「秋華。それは違う。確かに、別れというのは哀しいものであるが、それ以上に大切なものがある。出逢いと、そこから別れまでの時間だ。それがあるからこそ、別れは辛く、価値のあるものとなる。撫子との関係を強制はしないが、こいつはまだまだものを知らない。お前は、撫子に失わせるには惜しい人間だと、私は思うのだが」
「でも…」
「秋華…」
「……!」
線の細い手が、弱々しく秋華の頬に触れる。
そして、未だ焦点の定まらない目で秋華を見つめて。
「泣いてるのか…?」
「撫子…!目が、覚めましたか…」
「秋華を泣かせるのは誰だ…?バカ大和か…?」
「違います…。私は、撫子のことを想うと、哀しくて、寂しくて…」
「なんでだ…?私のことを考えて、なんで泣くんだ…?」
「いえ…。なんでもないですよっ。撫子、具合が悪いところはないですかっ」
「ちょっと、胸のところが痛いかな…」
「ヒビが入ってるからな。風華にも診てもらうが、しばらくは動くなよ」
「あっ…!紅葉…!」
明らかに恐怖の表情を浮かべる。
そして、動くなと言っているのに、少しでも距離を取ろうと後退っていって。
「あっ、つ…」
「撫子っ!動いちゃダメですっ!」
「私は負けた…。群れの主に挑んで負けたんだ…。早く群れを去らないと…ここから逃げないと、殺される…!」
「…いくら小娘とはいえ、獣としての最低限の掟は弁えているようだな」
「撫子っ!大丈夫です、大丈夫ですからっ!大人しくしていてくださいっ!」
「ここは獣の群れではない。私は確かに、狼の群れに混じっていたときもあったが、今は人間だ。お前が負けたからといって、追い出す気も、殺す気もないよ」
「………」
「撫子、師匠はそんな人ではないですっ。さっきだって、撫子のために手加減してくれていたんですっ!師匠は、とっても優しい方なんですよっ!」
「手加減…。そうか、なるほど…。私がまだここにいるのは、手加減していたからなのか…」
「紅葉と本気で闘えば、私でも瀕死の重症を負うことになるだろう。肋骨のヒビだけで済んだのは、ただお前の力の強さや若さに因るものではない」
「………」
「若いうちは無理をしてもいい。しかし、若さとは愚かさでもある。私が、自分と相手の力量の差も測れないほど愚かではないと言ったのも、そういうことだ。若いうちに失敗し、学び、そうして知識を身に付けていくのだ」
「若さは愚かさ…。本当に、私は愚かだった…」
「撫子、もう話してはダメです。怪我に響きますよ?」
「秋華…。ごめんな…。妖術師になりたいって言ってたのに…」
「そんなこと、今はいいです。怪我を治してから、また考えることにしましょう」
「うん…。ありがと…」
「はい」
秋華は撫子をそっと布団の中に戻して、頭を優しく撫でる。
すると、安心したのか、すぐに撫子は眠りに落ちていって。
その様子を見ながら、秋華は小さく子守唄を唄っていた。
「…夕焼け空に烏が鳴いて、もう帰ろうと手を繋ぎ。長い影を追い掛けながら、みんなで一緒に帰ろうよ。ねんねん今日は、いい日だったね。ねんねん明日も、きっといい日」
傾き始めた太陽が、秋華と撫子を照らしている気がした。
この一瞬、時の流れが止まったかのように。
…今は、このままで。