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昼ごはんも食べ終え、風華は街へ回診に行き、りるも広場へ戻っていったあと。
人間二人、妖怪二人で何をするわけでもなく、他愛もない話をしていた。
「それで、お前はなんで秋華に封印されるようなところにいたんだ」
「む?山を下りる用事があってな。その帰りに、この天守閣の屋根で一休みしていたんだ。そしたら急に意識が遠退いて、いつの間にか封印されていたというわけだ」
「ふぅん…。撫子はよく無事だったな」
「大和のような間抜けじゃないからな」
「小娘。お前は力を失っていて、封印するまでもないと判断されただけだろう。減らず口もいい加減にしないと、喰ってしまうぞ」
「ふん。喰うことしか能がない大噛みにはちょうどいい解決法だな」
「なんだと」
「あ、あの、お二人とも、喧嘩はよくないですよ…」
「大噛みなど、歳を食っても妖力が無駄に増すだけで、妖術もろくに使えないじゃないか。私に勝てる道理もない」
「試してみるか?若いのにわざわざ死に急ぐとは、難儀な小娘だ」
「あの、二人とも…」
「いい度胸だな。死期を早めたいというのなら、相手をしてやらんこともない」
「生意気な小娘だ。あとから泣いて赦しを乞うても遅いのだぞ」
「ふん。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
「あ、あの…」
「おい、お前ら。秋華がやめろと言ってるのが聞こえないのか」
「む…。紅葉…。すまない…。私としたことが、熱くなりすぎたようだな…」
「勝てないからって、ちょうどいいといったように身を引くのか」
「撫子。聞こえないのか」
「勝てる勝てないではない。私は、無益な争いを避けようとしているだけだ」
「臆病者め」
「撫子。やめろと言ってるのが聞こえないのか」
「なんだ、紅葉。私の主人でもないくせに、私に命令するな」
「命令されたくないんだったら、素直に人の言うことを聞くんだな」
「私に命令出来るのは、私が主人と認めたやつだけだ」
「お前、主従関係なんてバカバカしいと言っていたではないか」
「ああ、そうとも。だから、私に命令出来る者などいない」
「では、秋華は何なのだ」
「あ、秋華は…友達だ…」
「撫子…」
「とにかくだ!私は、誰の指図も受けない。大和、お前は闘わずして負けを認めるのだな」
「撫子。いい加減にしろ」
「五月蝿い!軟弱な人間のくせに!」
「…初めて見たときや、真名の書いた紙をくれたときは、そんなことを言うようなやつだとは思わなかったよ。もっとお淑やかで可愛いやつだと思っていたんだがな。力を取り戻して、言葉を話せるようになったらこれだ。まあ、それならそれで仕方ない。お前の納得がいかないのなら、誰がこの群れの主なのか、みっちり教えてやるよ」
「ふん。今なら、泣いて懇願するなら赦してやらんこともないぞ」
「半端に力だけ持って天狗になってるような間抜けに下げる頭はない」
「…いいだろう。死んでも知らんぞ。加減は出来ないからな」
「それはこちらの台詞だ」
立ち上がって、屋根縁へ出る。
撫子もついてきて。
闘いの場に文句はないようだ。
「し、師匠…」
「秋華。紅葉の心配よりも、撫子の心配をしてやれ。ただでは済まんぞ」
「えっ、ど、どういうことでしょうか…」
「群れの主と言っていたな…。獣たちの世界で群れの主に挑むということは、勝って新しい主となるか、負けて死ぬかのどちらかだ…」
「そ、そんな…」
「紅葉なら大丈夫だろうが、下手をすれば…」
「………」
秋華と大和が何かを話しているが、そんなのは今は関係ない。
目の前の撫子の姿がどんどん変化していき、最後には大和よりかは一回り小さいかというくらいの九尾の金狐になった。
おそらく、これが撫子の本来の姿なんだろう。
「掛かってこい」
「オレから手を出しては、お前の分が悪すぎるだろ。お前から掛かってこいよ」
「ふん。余裕だな」
「主として当然のことをしているだけだ」
「吠えてろ!」
足下に伸びてきた影を避け、一気に撫子の横に回り込んで。
そして、脇腹に一発喰らわせてやると、鈍い音が響いた。
「うぐっ…」
「肋骨が折れたか?大したことないんだな。やはり口先だけか」
「うぅ…」
撫子は横に一歩飛び退くと、また影を伸ばしてきた。
それを避け、撫子の横を取り、もう一度脇腹へ一発入れる。
「うっ…」
「ほら。全身を骨折したいのか?」
「う、五月蝿い!」
撫子は後ろに大きく飛び退いて、性懲りもなく影を伸ばしてくる。
一歩、横へ避けたとき、撫子がニヤリとするのが見えた。
そして、着地と同時に足が動かなくなる。
足下を見てみれば、何か陣のようなものが浮かび上がっていて。
影を伸ばすと見せ掛けて、これを撒いていたんだろう。
「もう終わりだ、紅葉…」
「これしきで、私を捕まえたつもりか?」
「紅葉はもう何も出来ない…。私に喰われるのを、そこで動けないまま待ってるだけだ…」
「師匠!」
「行くな、秋華。あそこには、撫子がバラ撒いた陣が敷き詰められている」
「でも!」
「来るな、秋華。これは、オレと撫子の問題だ」
「ふふふ…。強がりなど言って…。秋華の手助けがあった方がいいのではないか…?」
「師匠…!」
ゆっくりと、こちらに近付きながら。
秋華は、どうやら大和が金縛りを掛けてくれたらしい。
…これで、邪魔は入らないわけだ。
「はぁ、はぁ…。よくも、骨を折ってくれたな…。お前は人間のくせに妖力が強いから、かなり効いたぞ…」
「お前が間抜けなだけだろう。罠を張り巡らすにしても、自分が負傷しては全く意味がない」
「ふん…。私の罠に掛かったお前の方が間抜けだろうに…」
息が吹きかかるほど近くまで、撫子が接近してくる。
そして、大きな舌で私の顔を舐めて。
「ははは…。こんなに美味そうな人間を食うのは久しぶりだ…。大和も、さっさと食ってしまえばよかったのに…」
「自身と相手の力量の差を測れぬほど愚かではないのでな」
「ふん…。言ってろ…。お前の主人は、もうすぐ私の腹の中で果てることになる…」
「敵の目の前で私語とは、随分と余裕だな」
「五月蝿い…!お前は、籠の中の鳥も同然なのだ…。骨を折られた恨みもある…。たっぷりいたぶって、それから食ってやろう…。腹の中で泣き喚いても、もう遅いのだと思い知れ…」
「思い知るのはお前の方だ。教育してやろう」
「生意気なっ…」
挑発に乗って喰い掛かろうとしたところを、横に殴り付ける。
足は動かずとも、身体や腕が動くのならば問題はない。
まして、わざわざ向こうから近付いてきてくれたのであれば。
…今の一撃で脳震盪でも起こしたか、撫子は一瞬フラついて。
しかし、四肢を踏ん張って体勢を立て直すと、目を赤く光らせて、影を伸ばしてきた。
ただし、私がさっきまでいた、検討違いの方向へ。
「終わりだ」
「……!」
撫子の左を取り、米噛みに正拳突きを喰らわせる。
そして、その一撃で撫子は昏倒し、倒れ伏してしまった。
先のフラつきの間に、私が自力で振り解けるまでに妖術が弱まったことに気が付いてなかったのが敗因だろうな。
気付いて、さらに強力な妖術で束縛しても、結果は同じだったろうが。
…何にせよ、一刻は目が覚めないだろう。
踵を返して、屋根縁をあとにする。
「撫子、撫子っ!」
「………」
入れ替わりに、秋華が撫子のもとへ駆けていって。
気絶している撫子を抱き締めて泣いていた。
「あいつは若いのだ。あまり手荒にしてやるなよ」
「ふん。…秋華の友達なんだ。少し、教育してやっただけだろ」
「…そうだな」
慰めるように、大和が頬を舐めてくれて。
私も、ゆっくりと大和に身体を預ける。
…この群れの主は私だ。
それでいい。
お前の嫌いな主従関係はこれっきり。
私の目が黒いうちは、私が護ってやるから。
お前は、何にも縛られず、秋華と共に伸び伸びと育ってくれ。