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「………」
「ん…?」
「………」
「誰だ、お前は…」
「………」
「はぁ…」
朝から面倒なことになっているようだ。
布団をよけて、身体を起こしてみる。
中にりるがいたので、布団は掛け直しておく。
さて…。
こういう気配は、アルヴィン以来だな。
闇に紛れるような気配。
「出てこいよ」
「………」
部屋の隅が薄ぼんやりと光ったかと思うと、闇に白く浮かび上がるように、望と同じくらいの歳格好の子供が現れた。
ただ、姿もぼんやりとしていて、それ以上はあまりよく分からない。
…また魔霊とかいうやつか?
でも、雰囲気は少し違う気がする。
「何、あの子?」
「知らないけど。あと、しれっと出てくるなよ、母さん」
「いいじゃない。紅葉の夢枕にでも立とうかと思ったけど、失敗しちゃったね」
「灯の夢枕にでも立っとけよ…」
「そうだね。寝坊助だし」
「たまには早く起こしてやれ」
「分かった分かった。じゃあね」
「ああ。またな」
「…あとね、あの子、気を付けなさいよ。たぶん、私と同じ幽霊か、妖怪の類だよ」
「そうかよ」
「昔から、あんまり怖がらないよね、紅葉って。お母さん、つまんない」
「慣れてるからな」
「はぁ…。まあ、灯でも怖がらせてきますか…」
「そうしてくれ」
「はいはい」
母さんは枕元から立ち上がると、そのまま部屋の出入口から出ていった。
神出鬼没なくせに、壁や床の透過とかは出来ないんだろうか。
まあ、律儀に出入口を使う幽霊というのも、面白いかもしれないが。
…それで、あいつだけど。
ぼんやりと白く光りながらユラユラと立っている様子は、確かに怪談なんかで聞く幽霊そのままのような気がする。
やたらと話し掛けてきて、底抜けに明るい母さんとは大違いだ。
幽霊然としている。
「………」
「………」
少し、手招きをしてみる。
怪談なんかでは、たいてい幽霊が手招きをするものだけど。
まあ、そういうことは気にしない。
「………」
「………」
そういえば、今日は、もう月は沈んだみたいだな。
最近、本当に月光病のことなんて気にしなくなった。
みんなの優しさのお陰なんだけど。
…まあ、今はあの子だ。
「ほら、来いよ。怖くないから」
「………」
幽霊相手に怖くないなんて言うのも変な話だとは思うけど。
でも、ゆっくりとこっちに向かってきている。
そして、枕元に立つと、首を傾げて。
「まだ夜も明けてない。一緒に寝よう」
「………」
りるとの間に隙間を開けて、入るように促す。
すると、戸惑いながらも布団に入ってきて。
…遠目ではぼんやりとしていて分からなかったが、この子もどうやら女の子らしい。
これ以上、女の子が増えてどうするんだよ…とは思うけど。
どうせ来るんだったら、もう少し男が来てもいい気もする。
でも、来る者は拒まずだ。
「………」
「………」
布団の中で不安そうにしてる女の子の頭を撫でて。
…撫でて?
まあ…なんでもいい。
幽霊でも妖怪でもいいさ。
今は、お休み。
バタバタと足音が聞こえる。
秋華だろう。
目を開けてみると、やけに蒼褪めた秋華が私の顔を覗き込んでいて。
「し、師匠…!」
「なんだ、相変わらず騒々しいな…」
「恐怖体験ですっ…!」
「恐怖体験?ゴキブリでも出たのか?」
「ゴキブリなんて比じゃないですよ!」
「お前、ちょっと五月蝿い」
「す、すみません…」
「で、何なんだ?」
「さっき、そこの廊下にいたんです…」
「ゴキブリが?」
「違いますっ!お茶碗ですっ!」
「お茶碗…?」
とりあえず、もうそろそろ限界みたいだから、秋華を屋根縁に連れ出す。
太陽が、山の稜線から顔を出そうとしているところだった。
「…それで?なんだって?」
「お茶碗ですよ、お茶碗!お茶碗が、そこの廊下を走ってたんですっ!」
「ふぅん…」
「あ、あれ?恐怖体験ですよね?あ、嘘じゃないですよ、本当なんですっ!」
「分かってるよ。たぶん、それは九十九神だ」
「ツ、ツクモガミ…ですか?」
「ツクモは、九十九と書いてツクモだ。九十九というのは九十九年という意味合いで、それだけ長い年月、大切に使われてきた物を依り代として取り憑く神さまを、九十九神というんだ。まあ、何をするのかというのは諸説あるが、長い間大切に使われてきた物が、持ち主に感謝の意を伝えたくて九十九神を呼び、最期に持ち主の厄を祓って寿命を全うする、というのが一番綺麗だと思うんだけど」
「そうですね。他にはどんなのがあるのですか?」
「ん?怖がってたくせに興味津々だな」
「うっ…。い、いいじゃないですか…」
「いいけどな、別に。まあ、他は、九十九神が憑いた物が最期まで大切に使われていれば幸せをもたらし、粗末に扱われていれば災禍をもたらす、とかな」
「へ、へぇ…。なんか、そっちの方が妥当な気もしますが…」
「妖怪なんてのは、本当によっぽどでない限り、人間に害を加えるようなことはしないからな。妥当なかんじはするけど、何かをもたらすっていうのが嘘臭いと思うんだ。さっきのは、ただの厄祓いだから、現実味があるけど」
「そうなんですか…。って、師匠はなんでそんなことが分かるんですか…?」
「さあな。まあ、あと、幸せをもたらすわけでも、災禍をもたらすわけでもなく、持ち主の周りに厄が迫ったときにあちこちを走り回って、それを報せるという説もある。これが一番妖怪らしいといえば妖怪らしいな。何をするわけでもない、というところが」
「えっ、じゃあ…」
「茶碗の持ち主に厄が迫ってるのかもしれないな。まあ、茶碗は城のみんなの共有物だし、この城に厄が迫ってるのかもしれない」
「そ、そんなっ!師匠っ!早く逃げましょう!」
「どこにだよ。それに、厄が迫っているんだったら、尚更ここにいないといけないだろ?みんなを厄から護るために」
「でも、師匠は厄祓いなんて…」
「厄は祓えないなら、身ひとつでしっかりと受け止めるものだよ。変に避けようとすると、逆に被害が大きくなりかねない。…大丈夫だ。余計な心配はするな」
「し、しかし…」
「ほら、もう太陽が昇る。道場に行く時間だろ?」
「そ、そうですが…」
「どれもこれも仮説でしかないよ。よっぽど力の強い妖怪でもない限り、普通の人には見えないものだし。九十九神なんてのは、本当に力の弱い妖怪だ。秋華は、妖怪を見る力があるだけなんだ。今日も、たまたま見ただけ。だから、心配しないで行っておいで」
「師匠…」
「みんな、秋華が来ないって心配するぞ」
「うぅ…。あっ、そうですっ!」
パチンと手を打って、部屋の書き物机の方へ走っていく。
それから、何かゴソゴソとやり始めて。
しばらく経って、また戻ってきた。
「師匠っ!式神ですっ!」
「式神というか、人形だな」
「はいっ!師匠に厄が迫ったら、この人形が厄を代わりに受けてくれますっ!」
「…そうか。ありがとな」
「いえ。師匠のためですっ。これくらいへっちゃらですよっ!」
「ありがとう、秋華」
「えへへ」
人の形に切った半紙に、秋華が自分で作ったらしい珍妙な記号のようなものが書かれていて。
…こんなの、どこで覚えてくるんだろうな。
とりあえず、秋華の頭を撫でてやって。
「では、師匠っ。行ってきますっ!」
「行ってらっしゃい」
そして、勢いよくお辞儀をして、秋華は道場へと向かっていった。
…しばらくして遠くの方で悲鳴が聞こえたが、また九十九神が走っているんだろう。
この城によく出る妖怪ではあるが、あんまり客人を驚かせてやってほしくないな。
言って聞くようなやつでもないけど。
まあ、あいつが出たからといって、厄が降り掛かったということもない。
「………」
とりあえず、これはどうしようか。
秋華は厄除けの人形のつもりだったんだろうが、最初に秋華が言ったように、式神になってしまっているようだ。
不幸にも近くにいた妖怪が、封じ込められてしまったらしい。
どんな妖怪が封じられたのかは分からないが、かなり強く封がされている。
無意識でこれだけ強力な封印が施せるということは、実は秋華は物凄い妖力の持ち主なんじゃないだろうか。
これなら、武士として生きるより、神社で御札なんかを書いてる方が、よっぽど御利益があるというものだけど。
とりあえず、さっきの白い子はまだ布団の中で寝てるから、あの子ではないことは確かだ。
…まさか、母さんじゃないだろうな。
いや、母さんは幽霊だから、封印はされないか。
じゃあ、誰なんだろうか。
気にはなるが、ひとまず置いといて、もう一眠りするか。