394
「広いなぁ、相変わらず、ここは」
「広間だしな」
「でも、ちっちゃい頃の方が広かったわ、やっぱり。灯とかと競争したりしてさぁ」
「そうだな」
「そういや、姉ちゃん。あれ、なんやったん?狼のうちより、はよ走ってたやん」
「お前の足が遅かっただけだろ」
「いやいや。んなわけないやん」
「お前が遅かっただけだ」
「えぇ…」
そういえば、望もアセナより速かったな。
将来、同じように言われるときが来るんだろうか。
「まあええわ。それよりさ、寺子屋な、下町の孤児院でやってるんやけど、お寺の本堂もだんだん手狭になってきてん」
「ふぅん」
「せやから、なんやどっか借りれるところないかなぁ思うねんけど」
「そうか」
「な、姉ちゃん」
「なんだ」
「分かるやろ?」
「分からない」
「意地悪せんとってよ」
「言いたいことがあるんなら、自分ではっきりと言えよ」
「もう…。寺子屋として、この広間貸してくれん?ってゆうてんねん」
「別にいいだろうけど。なんで、それしきのことをスッと言えないんだ」
「姉ちゃんが空気読んで、ええよゆうてくれたら終わる話やん」
「人に何かを頼むときは、ぼやかさずに、自分ではっきりと言え。なんでオレが、わざわざお前の都合のいいように発言してやらないといけないんだよ」
「意地悪やわぁ、ホンマに姉ちゃんて。進太兄ちゃんとは大違い」
「お前の好きなやつは、お前にとって都合のいいやつばかりなのか?」
「ちゃうけど…。だいたい、進太兄ちゃんかて、うちに都合いいっちゅーわけちゃうやろ」
「なんでだよ。さっきも甘えに甘えて」
「あ、甘えてへんわ!ちょっと頭かいいから、掻いてもらってただけやし!」
「お前は、蕩けきった顔で、甘ったるい声を出しながら、頭を掻いてもらうのか?」
「そんなんしてへんし!アホちゃうん!」
腕のところを思いっきり叩かれる。
…素直じゃないのは誰に似たんだろう。
また半分狼化して、すっかり興奮してしまっている。
「…まあ、ここを寺子屋に使うのはいいよ。城にいる子供も来ると思うし。でも、正式な使用許可はきちんととっておけよ」
「分かってるけど…」
「そうか。それならいい」
「うん」
話が逸れて少し落ち着いたのか、広間の中を歩いて、そのまま屋根縁へと出る。
私も、それについていって。
レオナが柵のところに腰掛けたので、その横に座る。
「…ええとこやな、ここは。桜も、風華も、進太兄ちゃんも、ええ人やったし」
「桐華は?」
「あんなん、別にええ人ちゃうし。手間の掛かる、でっかい子供や」
「まあ…そうだな」
「…みんな、うちのこんな姿見ても、全然ビックリせんかった。まあ、桜はたぶん見てへんかったやろうけど」
「二人とも、多少はこの力のことを知ってたというのもあるだろうけどな」
「うん。…でも、長い間付きおうてくれてた友達も、この前、ちょっと油断した隙にこの姿見られて、疎遠になってしもてん」
「疎遠になったなら、その程度のやつだったってことだよ。ここにいないやつを、あまり悪くは言いたくないがな。全ては受け入れなくてもいい。自分とは別の人間であることには違いはないんだから。でも、いつでも、自分を自分と認めてくれるようなやつが、本当の友達だと言えるんじゃないのか?」
「…せやね。うちを、うちと認めてくれる。うちが、たとえ、どんなであっても」
「ああ」
「ほんなら、あいつは、なんでうちと一緒にいてくれたんやろ…。なんで、この姿のうちは認めてくれんかったんやろ…」
「過ぎ去ってしまった過去を振り返っても、何にもならない。過去は変えられないんだから。それなら、前を見て進む方がいいだろ?くよくよするくらいなら、新しい友達を見つけにいけばいいんだ」
「でもな、あいつもめっちゃええ子やねん。めっちゃ優しいてな、うち、あんまり友達おらんねんけど、あいつだけは、いつも一緒にいてくれてん」
諦めきれないといった風に食い下がる。
ということは、それだけ親密であった、あるいは、そう思いたい相手なのかもしれない。
「…誰なんだよ、それは」
「姉ちゃんは、たぶん知らん子。下町の子やねんけどな…」
「下町の子なら知らないだろうな」
「うん…」
「それで、いつなんだ、見られたってのは」
「ついこの前。十日ほど前やねんけど…」
「ふぅん。彼氏か?」
「ぜ、全然ちゃうわ!」
「そうか」
男、というのを否定しないということは、少なくとも男友達だということだろうか。
今の反応や、さっきの厨房でのやり取りからして、彼氏である可能性は高い。
まあ、彼氏くらいいても不思議ではない年頃だしな。
…しかし、確かに、昔から一刀と一緒に城にばかり来ていたから、もしかしたら、本当に下町の友達は少ないのかもしれない。
「でも、レオナ」
「何?」
「十日くらいだったら、まだ疎遠になったとは言えないだろ。気持ちの整理をしているだけかもしれないし、他の用事があるのかもしれないし。向こうは何か言ってきたのか?」
「ううん…。うちが、家の庭でアセナと遊んだってたとき、垣根の隙間から、うちが狼になるとこ見られててん…。たまたま通り掛かったんやろけど、追い掛けても、もうおらんかったし、うちも怖ぁてあいつの家にも行けんかったし…」
「じゃあ、どういう状況なのか、全く分からないんじゃないか」
「せやかて、それまでは毎日でも会いにきてくれたし、それやのに、最近ずっと来てくれんねんで?もう絶対、嫌いになったんやて…」
「お前は昔から想像力が達者だけどな、臆病になって、確認も出来ていないことを決めつけてしまうのが、悪い癖だ」
「そんなんゆうたかて…」
「はいはい。お取り込み中、ごめんねー」
「…なんだ、香具夜」
いきなり、遠慮なくズカズカと会話に割って入ってくる香具夜。
レオナの方を見て、ニッコリと笑う。
「久しぶりだね、レオナ。元気そうで何より」
「久しぶり。香具夜姉ちゃんも元気そうやな」
「うん、まあね。ところで、レオナにお客さんだよ」
「えっ?うち?なんで?」
「それは、自分で聞いたらどうかな」
「えっ…?」
香具夜が横によけると、後ろから赤狼の男の子が出てきた。
狩りをする狼のような鋭い目付きをした、レオナと同じ歳くらいの。
私と香具夜にきっちり一礼ずつすると、レオナの前に進み出て。
それから、ぶっきらぼうに何かの包みを差し出す。
でも、レオナは目を見開いて、その男の子の方ばかりを見ていた。
「家に行ってもいなかったから。道場で一刀さんに聞いて、ここに来た」
「なんで…?なんでなん…?」
「これ」
「こ、これ、何…?」
「開けてみろ」
「………」
おそるおそるといったかんじで包みを受け取り、男の子の方をチラチラと見ながら、ゆっくりと開けていく。
香具夜はいつの間にか広間の外に出ていて、あとはよろしくねといったかんじで、入口のところでヒラヒラと手を振っていた。
…まあいいけど。
目を戻すと、レオナが包みの中を覗いて、中身を取り出しているところで。
「これは…」
「………」
少しいびつな、赤い毛をした狼のぬいぐるみだった。
レオナと同じ、赤い毛をした狼のぬいぐるみ。
「なんでなん…?」
「お前、今日、誕生日だろ。十七歳の。俺からの、お祝いの贈り物だ」
「えっ…。なんで、そんなん…」
「要らないなら返せ。アセナにでもやるから」
「そんなん!…そんなん、いらんなんてゆうてへんし」
「………」
「でもな、うち、誕生日は明後日やで?」
「えっ!」
「テュルクは今日やけど…。まちごうたん?」
「………」
「まちごうたんやね」
「…ごめん」
「…ええよ、そんなん。銀次がなんかうちのためにしてくれたってだけで、ホンマ嬉しいし」
「………」
「でも、なんで?十日もなんも音沙汰なかったし、それに、あれ、見たんちゃうん…?」
「何も言わなかったのは、ごめん。ずっと、これを作ってたんだ。なかなか難しくて。秘密にもしておきたかったし。あと、お前が狼に変身出来ることくらい知ってる。どれだけの付き合いなんだよ。お前は隠してたつもりかもしれないけど」
「……!」
「ちょうど時期が重なったのも、悪いと思ってる。でも、本当に、お前をビックリさせたかっただけなんだ」
「そんなん…。ホンマにビックリしたわ…」
「ごめん。本当にごめん。何回だって謝る。俺に出来ることなら、なんだってしてやるから。…だから、もう泣くなよ、レオナ」
「泣いてへんし…。汗が目ぇんとこまで流れてきただけやし…」
「泣き虫レオナだからな」
「ちゃうし…。ちゃうし…」
「………」
レオナは涙を拭いて、ニッコリと笑う。
でも、また涙が溢れてきて。
「今、なんでもするゆうたよな…?」
「俺に出来ることならな」
「ほんなら…うちのこと、抱き締めてくれん…?ギューって」
「…いいよ」
銀次は私の方を見て一瞬迷ったようだったけど、すぐに思い直して、レオナを抱き締めた。
それから、ゆっくりと頭を撫でて。
…泣き虫レオナか。
普段がかなり気の強い子だから、こういうときの反動が大きいんだろう。
さっきの進太のときにせよ、今にせよ。
でも、さっきと今とは別の涙だろう。
銀次に貰ったぬいぐるみを抱き締めながら、銀次の腕の中で、レオナは静かに泣いていた。