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「師匠。おはようございます」
「あぁ、おはよう…」
「どうされました?」
「いや…。眠たくてな…」
「えっ。わ、私のせいで、師匠が寝不足に…」
「お前のせいじゃないよ…。今日はな…」
「そ、そうですか…。でも、今日はって…?」
不安そうに首を傾げる秋華の頭を撫でてやる。
…いつもはお前が原因だ、なんて言えない。
まあ、別に起こされること自体はいいんだけど。
「しかし、そうならば、今日はどうなされたんですか、師匠」
「お前より先に客がきていてな…」
「お客さまですか。それは失礼しました。すぐに帰ります」
「いや、別にいいよ…。大した客でもないし…」
「そうですか?しかし、道場にも行かないとならないので」
「そうか。頑張ってこいよ」
「はいっ。ありがとうございますっ」
秋華は勢いよくお辞儀をすると、また元気に走っていった。
…あいつは、いつも何時くらいに寝ているんだろうか。
こっちに来てるときは、私たちと変わらないよな。
それで、なんであんなに朝早くに起きられるんだろうか。
起こされる側としては、少し羨ましく思う。
「なんや、今のちっこいの」
「秋華だよ…。さっき話しただろ…」
「おぉ、そうか。しかし、紅葉姉ちゃん、げんなりしたかんじやけど、どないしたん?」
「お前だけ、なんで関西弁を喋るようになったのかを考えていたんでな…」
「なんでゆうたかて、母さんが関西弁やん。うちが母さんの喋り方真似ただけちゃう?」
「リュカも、アセナも、テュルクも、こっちの言葉じゃないか」
「こっちの言葉ゆうたかて、関西とほとんどお隣やし、そんな変わらん思うけど、うちは」
「かなり違うと思うが…」
「あはは、一緒一緒。みんな日ノ本の言葉喋ってんのは変わらんて」
「そうは言うけどな…」
「でも、うちかて東北とか九州とか琉球の方行ったら、何ゆうてんのか分からんと思うわ。方言辞典ゆうんが貸本屋とこにあったから見てたんやけど、もうちんぷんかんぷん。東北出身ゆうおばあちゃんに、方言つこて話してもらったんやけど、全然分からんねん。まあしゃーないねぇゆうて笑われたわ」
「へぇ…」
「でもさ、姉ちゃんは、蝦夷の言葉分かるんやろ?すごい思うわぁ。うちなんか、関西弁だけで手一杯やで」
「少し齧ったくらいだ。まだまだ全然完璧ではない」
「完璧やのうてもええやん。分かる、話せる、ゆうんがすごいんやし。だいたい、自分のところの言葉も完璧にするんなんか不可能なんやし」
「それはそうかもしれないが…」
「また今度、蝦夷の言葉も教えてな」
「そのうちな…」
「んー。あ、せやせや、朝ごはんや。忘れるとこやったわ。なんやほとんど出来とったから、ついでに作っといたし」
「仕込みだけは、いつもしてあるんだよ。当番は朝遅くにしか起きてこないけどな」
「なんやそれ。せっかく仕込んでんのに、勿体ないなぁ」
「はぁ…。まあ、そういうことだ…」
「持ってきたけど、食べる?」
「じゃあ、いただこうか」
「ん。しっかし、さっきもゆうたけど、なんやお疲れやな?」
「お前がこんなに早くに起こすからだろ…」
「あぁ。姉ちゃんて何時くらいに起きるん?」
「辰の刻くらいじゃないかな…」
「へぇ。うちは、遅くても卯の刻には起きてんで」
「お前がそうだからといって、みんながそうとは限らないんだよ…」
「せやけどさぁ。リュカがまだおるときの癖が、まだ残っとるんかもな。仕事行くとき、隣でゴソゴソしよるから起きてまうねん」
「同じ部屋で寝てたのか?」
「うん。なんで?」
「いや…。年頃になったら、男兄弟とは別の部屋で寝たいんじゃないかと思ってな…」
「そう?うちは、別に気にせんけど。着替えも一緒の部屋やったし。あ、でも、さすがに風呂は別やったな」
「ふぅん…」
「姉ちゃんはどうやったん?」
「オレは、ずっと灯と一緒だったからな。男兄弟がいたって、気にしなかったとは思うが」
「ほんなら、姉ちゃんもうちと一緒やん」
「まあな…」
「おんなじ家におんのに、そんなん気にしてたら生きていけんて」
「そうか」
わざわざ食膳も持ってきてくれたらしい。
そこに、ご飯と味噌汁を置いてくれる。
「それより、アセナのあの子供っぽいのはどうにかならんのかな」
「知らないよ、そんなこと…。アセナは、もうあれでいいんじゃないか?」
「えぇー。もうちょい大人っぽくなってくれんとさぁ」
「何が問題なんだよ」
「うちとしては、アセナにいろいろ料理とか教えたりたいわけ。せやのに、あんな調子では、危のうて包丁も渡せんやろ?嫌やねん、そんなん。うちは、アセナと一緒にごはん作ったりしたいのに…」
「可愛い妹だからか?」
「そういうこと。今はテュルクと一緒にしてるんやけどな。やっぱり、アセナにも、ちゃんと女の子らしくなってほしいわけ」
「アセナにもってな、テュルクは男だろ?」
「あんな可愛い子が男の子なわけない」
「お前な…」
「まあ、冗談はさておき。どうにかならん?」
「だから、オレはあのままでもいいんじゃないかって思うんだが」
「ホンマ可愛いねんで、テュルク。魚がこっち睨んどるとか、切るんは可哀想とかゆうたりして。男の子や思えんわ」
「逆に大変じゃないのか、それは…」
「頭撫でたりながらな、魚さんはテュルクに美味しく食べてほしいから、睨んだりもせんし、切られても全然平気やねんで、とかゆうたんねん。ほんなら、分かったゆうて、ごめんねとか言いながら、料理に取り掛かって。もうホンマ可愛いて可愛いてしゃーないわ」
「お前、アセナにはもうちょっと大人っぽくなってほしいとか言う割に、テュルクは思いっきり子供扱いしてるじゃないか」
「可愛いからええねん」
「お前が弟離れ出来るかどうか心配だな…」
「うちは絶対、テュルクから離れんもん」
「お前なぁ…」
「それに、アセナてところ構わず狼になりよるから。心配やねん。外ではあんまり狼になるなゆうてんねんけど、この前お使い頼んだときなんか、なんや異様に速い思て理由聞いてみたら、狼になって、買い物籠背負て行ったとかゆうて。まあ、人前で狼になったり人間になったりゆうんはしてへんみたいやけど、危なっかしいてしゃーないわ…」
「子供たちの前では変化してるようだが」
「あぁ、それはええねん。うちがええゆうたし、みんな知ってくれてるし」
「…お前、アセナとテュルクの母親みたいだな」
「母さんは超が付くほど放任主義やしな。姉ちゃんも知ってるやろ?」
「知ってるけど…。母親なりの愛情は注いでるじゃないか」
「月並みにはな。父さんは父さんで愛情注ぎすぎて、二人思いっきり甘やかすし。そら、怒るときは怒るけど」
「お前たちのときもそうだったじゃないか」
「せやけど。まあ、せやから、うちがしっかりしてやなあかんねん。リュカは、長屋借りてるからあんま家におらんし。…前、帰ってきとったけど」
「大変だな」
「大変大変。…せやゆうたかて、うちも充分楽しんでやってるしな。それでおあいこや」
「そうか」
レオナはため息をついて、ニッコリと笑う。
…半分狼化してるけど。
わざとか?
「おっと。気ぃ抜いたらこれや」
「わざとじゃないのか」
「うちは、もともとが狼みたいやな。狼になってるんやのうて、人間になっとるんや」
「ふぅん…。だから、小さいときは、しょっちゅう狼の姿になってたのか」
「うん。アセナも、今そうやろ?」
「そうなのか?」
「テュルクと比べたらどないよ。しょっちゅう狼になっとるやろ」
「そうだな」
「将来は、アセナもうちみたいになると思うで」
「そうか」
リュカが言ってた、レオナは短気ですぐに狼になってしまうというのは、そういうことなのかもしれないな。
…しかし、気を抜いたら狼になるってのは、かなり大変なことのように思う。
「まあ、すっかり冷めてしもたけど。朝ごはんにしよか」
「そうだな。しかし、アセナとテュルクの朝ごはんはどうするんだよ」
「大丈夫大丈夫。起きたらこっち来るようにゆうたあるし」
「そうか」
とりあえず、箸を手に取って。
時間もまだだいぶ早いけど。
いただきます。