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ひとしきり泣くと、サンは仰向けになって空を眺めていた。
広場から、子供たちの楽しそうな声が聞こえる。
そちらに目をやって見てみると、また駆け競べをしているみたいだった。
今度は、望とアセナの勝負らしい。
光に勝つのはもう諦めたんだろうか。
でも、望はちゃんと地面を走っているにも関わらず、狼になったアセナよりも速いようで。
アセナの悔しそうな吠え声が、ときどき聞こえる。
「………」
「………」
「お母さん…」
「なんだ?」
「みんな、何してるの?」
「見てみればいいだろ」
「………」
首を横に振る。
見たくない…というより、見られないといったかんじだろうな。
りると仲直り出来ないままの今、みんなの楽しげな様子は、むしろ毒になるんだろう。
「…駆け競べだよ。今は、望とアセナがやってる」
「アセナお姉ちゃん、勝てっこないよ。望お姉ちゃん、足速いもん」
「そうだな。さっきから負けてばかりだよ」
「うん…」
「………」
頭をゆっくり撫でてやる。
そしたら、また涙が出てきたみたいで、うつ伏せになって服に顔を押し当てる。
「…血の匂いがする」
「そういえば、アセナに抱きつかれてから、着替えてなかったな…」
「アセナの血の匂い…。アセナの血は、不思議な匂いがする…」
「ふぅん。どんな匂いだ?」
「人間と…狼の血が混じったみたいな…」
「ふぅん…。人間と狼ねぇ」
確かにアセナは狼に変化出来るが、六兵衛の考えから言えば、龍の血という方が都合はよかったんじゃないだろうか。
まあ、血に関しては、吸血鬼と呼ばれる魔霊のサンが一番詳しいだろうから、サンが狼と言うなら狼なんだろう。
そのあたりを、また六兵衛と話したら面白いかもしれない。
「お母さんの血は、狼の匂いがするよ?」
「ん?人間の匂いは?」
「しない」
「そうか…」
「サンはね、狼の匂いが好き。お母さんの匂いだから」
「…そうか」
「うん」
顔を上げて、少し笑う。
それだけでも、救われた気がする。
笑顔が出るというのは、前向きに進もうとしている証のはずだから。
…しかし、いちおう人間であるのに、狼の匂いしかしない血が流れているという私が、一番奇妙な存在なのかもしれない。
自分で、自分自身がよく分からなくなってくる。
「………」
「………」
サンは泣くのをやめて、うつ伏せのまま顔を横に向け、どこかをぼんやりと眺めていた。
…りるはどうしてるんだろうな。
押し入れに閉じ籠ったきりと言っていたが…。
香具夜にあんなことを言っておいてなんだけど、心配なのは心配だった。
「紅葉、ちょっと紅葉!」
「ん?」
「こっちこっち!」
ドタドタと急にやってきた桐華が、何やら部屋の入口で踊っている。
いや、踊ってるんじゃなくて、身体全部を使って手招きをしているんだけど…。
サンも首を傾げて、その様子を見ていて。
「ごめんな、サン。ちょっと行ってくる」
「うん。大丈夫だよ、サンは」
「そうか。強い子だもんな」
「えへへ」
「よしよし」
「でもね、ちょっと早く帰ってきてほしいかな…」
「分かったよ」
「うん」
頭を撫でてやって。
それから、何を邪魔しに来たのか、桐華のところへ行く。
「なんだ、お前。いきなり」
「大変だよ!すごく大変!」
「用件はちゃんとまとめてから来い」
「えっと…。今年のお茶は、すごく出来がいいんだ!」
「………」
「いたっ!なんで殴るのさ…」
「そんなことをわざわざ報告しに来るな。オレは今、取り込み中だ」
「えっ?あぁ、お取り込み中ってやつ?」
「…オウム返しは楽しいか?」
「なんで?」
「はぁ…。もういいよ…。それ以上用がないんだったら戻るぞ」
「あっ、待ってよ。まだもうひとつ」
「なんだ」
「りるがね、また紅葉と話したいってさ。さっき美希のところに来て」
「………」
「いたっ!何するのさ!」
「そういう大事なことを、一番先に言え。お茶の出来なんてどうでもいいんだよ」
「どうでもよくないよ!大切だよ!」
「五月蝿い。耳元で騒ぐな」
「いてて…」
もう一発、殴っておく。
まったく、こいつは、抜けてるところしかないな。
何につけてもお茶が第一だし…。
とりあえず、頭を押さえる桐華は放っておいて、部屋の中に戻る。
屋根縁に出て、サンのところまで行って。
「…りるのところに行くの?」
「聞こえてたのか?」
「………」
コクリと頷く。
それから、ちょっと不安そうに見上げてきて。
「お母さんは、りるのところに行ってあげてほしいの」
「どうしてだ?」
「サンはね、サンが悪いから…。だから、お母さんは、りるのところに行って、いい子いい子してあげないとダメなの…」
「………」
「りるはね、きっと、サンのことを嫌いになったから…」
「そんなことないよ。大丈夫だから」
「ううん…」
首をフルフルと振って。
また涙が溢れてきたみたいで、膝を抱え込んで俯いてしまった。
…どうしても、悪い方へ考えてしまうようだな。
手を伸ばそうとすると、桐華がそれを止めて。
それから、部屋の中に連れ込まれる。
「サンはさ、ぼくがなんとかしておくから。紅葉は、りるのところに行ってあげなよ」
「でも…」
「そりゃさ、ぼくじゃ紅葉の代わりは出来ないだろうけどね。でも、紅葉ほどじゃないにしても、ああいう子の扱いには慣れてるからさ。ね?」
「…そうだな」
確かに、桐華は昔から、泣く子をあやすのが得意だった。
何かよっぽど安心させるものがあるんだろうか、とにかく、いつまでも泣き止まない赤子だって、桐華に抱かせれば、すぐに落ち着いて。
サンの場合、あやすのとは違うとは思うけど…。
でも、こういう場合には、適任なのかもしれないと思った。
「…まあ、不安は不安だけど」
「任せなよ、ドーンと。ぼくにさ」
「はぁ…。まあ、それしかないか…」
「うん。だから、ね。りるの力にもなってあげて」
「…分かったよ」
「んふふ~。じゃあ、行ってらっしゃい」
「言っておくが、お前。遊びじゃないんだぞ」
「分かってる分かってる」
…やっぱり不安だ。
何か嬉々としてサンの方に向かう桐華を見ると、そう思わずにはいられなかった。