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「だから、狼というのはですね…」
「ゥオォーン!」
「五月蝿いぞ、アセナ」
「えへへ。紅葉おねーちゃん!」
「あっ!おねーちゃんは、凛のおねーちゃんなんだからな!」
「あ、あの…。二人とも、もう少し落ち着いてください…」
「ウゥ!」
「こら、アセナ!」
お菓子を入れた器を咥えていこうとしたので、尻尾を引っ掴んで引き寄せる。
それから、頭を殴って離させる。
「キャンッ!」
「誰だ、悪いことをするやつは」
「だれだ、わるいことをするやつは」
「うぅ…。凛も一緒じゃん…」
「アセナといっしょにするな」
「ウゥ…」
「アセナ」
「うぅ…。紅葉おねーちゃんのバカ!」
「バカはお前だ」
暴れるアセナを離すと、狼に変化して部屋を出ていってしまった。
まったく、仕方ないやつだな…。
「………」
「テュルクは大人しいんですけどね…。アセナは、道場でもいつもそうですが…」
「まあ、姉弟なんてそんなものだろ。お互いの足りないところを補いあって」
「そうですな。まったく、子供というのは不思議なものです」
「ああ」
「………」
一所懸命に煎餅を食べるテュルクの頭を撫でると、ふと気付いたようにこっちを見て、ニッコリと笑ってくれる。
…視線を上げると、さっき飛び出していったアセナが戻ってきていて、入口の陰からこちらの様子を窺っていて。
膝を叩くと、パッと表情が明るくなって、駆け寄ってきた。
「えへへ~」
「お前、転換が速いな…」
「ワゥワゥ!」
「…アセナお姉ちゃん、静かにしてないとダメだよ」
「ウゥ…」
「………」
「アセナ。また怒られたいのか?」
「クゥン…」
「まったく…。落ち着いて話が出来ないな…」
「ははは。まあ、いいではないですか。アセナも、紅葉さんに会えて嬉しいんですよ」
「ワゥワゥ!」
「それにしたって、今年で十一歳になるんだろ?もっと落ち着かないのか、こいつは」
「アセナの性分でしょうな。まあ、この家では大人しくしてる必要もありませんし」
「はぁ…。しかしだな…」
「ゥオォーン!」
「遠吠えをするな。一刀を呼びつけてやろうか、まったく…」
「おとーさん、全然怖くないもんね!」
「じゃあ、リュカを呼ぶぞ」
「うぅ…。おにーちゃん怖い!」
「…アセナお姉ちゃんが悪さばかりするからだよ」
「テュルクなんて、全然怖くないもんね!」
「………」
「アセナ」
「いたっ!なんだよ、紅葉おねーちゃん、テュルクの味方ばっかり!」
「テュルクの味方をしてるわけじゃない。お前を叱ってるだけだ」
「一緒だよ!」
「全然違う」
「何さ!紅葉おねーちゃんのバカ!」
「お前、今日はそればっかりだな…」
「ウゥ…」
また狼に変化して、部屋を飛び出していく。
…なんか、さっきからこれの繰り返しばかりだな。
「アセナも、普段はもう少し大人しいんですがねぇ」
「そうだな。…それで、何の話だったかな」
「狼の話だよ。龍の研究だけじゃなかったって」
「あぁ、そうでしたな。望ちゃんは、よく話を聞いていてくれているのだね。もちろん、秋華ちゃんとテュルクも」
「あ、あんまり分かりませんが…。聞くだけは聞いていますっ!」
「………」
「ははは。話を聞くというのは大事なことだ。まあ、分からないことを質問するというのも大切なことだがね」
「うっ…。ちゃんと質問します…」
「凛もしつもんする!」
「ははは。そうか。なんでも聞きなさい」
「なんで、アセナはおおかみにへんしんしたりするんだ?」
「なるほど…。なかなか鋭い質問だね」
「凛も!凛もおおかみになりたい!」
「まあ、待ちなさい。まずは、原理から考えていくとしよう」
「げんり?なんだ、それは」
「アセナやテュルクが狼に変化出来るのには理由があるということだよ」
「りゆー?りゅう?」
「ははは。そうだね、龍だ」
「どういうことだ」
「アセナやテュルクは、北のカムイ族の末裔なのだよ」
「まつえい?いみがわからん」
「カムイ族という、珍しい力を持った一族の、ずっとずっと続いてきた血筋の子孫、という意味だよ。テュルクには話したね?」
「…うん。聞いたよ」
「ふぅん。カムイぞくか。テュルクもカムイぞくなのか?」
「…そうだよ。カムイ族の末裔」
「すごいな、カムイぞく!まつえい!」
「………」
凛は、意味は分かってないんだろうけど。
でも、すごいと言われて、テュルクは照れているようだった。
「カムイ族は、どういうわけか、龍の力を使うことが出来るようなんだ。そこは、私もまだまだ調査不足でね。でも、術式と呼ばれる力を使うことが出来る」
「じゅつしきか。知ってるぞ。りゅうのふしぎなちからだ」
「ははは。そうだね。凛ちゃんは物知りだ」
「ふふん」
まあ、ついさっき言ってたことでもあるが、図鑑にも書いてあった気もする。
どっちを言って威張ってるのかは分からないけど。
「それで、その術式のうち、アセナやテュルクは反転と呼ばれる術式が得意な血筋なんだ」
「はんてん?凛もつかえるのか?」
「それは分からないな。カムイ族以外にも術式を使える者はいるらしいが、おそらく、そういう者は、どこかでカムイ族の血が混じっているんだと、私は考えている。人間の、種族としての龍も、源流はカムイ族だという調査報告もある」
「ふぅん。凛も、はんてんをつかえるのか?」
「どうだろうね。また、アセナかテュルクに教えてもらいなさい」
「…レオナお姉ちゃんの方が、教えるのは上手いよ。僕やアセナお姉ちゃんなんかより」
「まあ、そうだろうがね」
「そういえば、レオナは今は何をしてるんだ?今年で十七だろ?」
「うん。寺子屋で先生してる」
「そうか。教師になるのか、レオナは」
「お父さんと同じ道がいいって。でも、レオナお姉ちゃんは武道の素質がないからって」
「まあ、何かを教えるという意味では同じ道だろうな。でも、レオナに武道の素質がないってことはないと思うけどな」
「うん。レオナお姉ちゃん、この前、リュカお兄ちゃんと喧嘩して、かなり優勢だったんだよ。すっごかったんだ。お父さんがね、最後はすごく怒って、二人を止めたんだけど。本気で喧嘩してたのにね、お父さんに睨まれたら、二人とも怯えて動けなくなって」
「本能的に悟ったのかもな…。しかし、レオナがリュカに優勢だったって?はは、まったく、気が強いのは誰譲りだろうな?」
「…たぶん、お母さん」
「ふふふ。そうだな」
「ははは。うちの家系は、女が強いですからねぇ」
「そういえば、一刀やタウとは面識があるのに、お前と面識がなかったのは不思議なかんじがするな。アセナがこの部屋に突撃してきたとき、正直驚いたよ」
「まあ、今まで縁がなかった、ということですな。これは、あの本と、アセナたちが結びつけた、不思議な縁というわけです。そう考えた方が、素敵ではありませんか?」
「…そうだな」
「ははは。縁とは、誠に奇妙なものです」
「ああ」
一刀が衛士として城にいて、私と知り合い。
一方で、六兵衛は龍の研究を進め、あの巨大な図鑑を貸本屋に寄贈して。
今までは全く離れていた縁が、風華が図鑑を借りてきたところから…いや、もうずっと前から、歯車は回っていたのかもしれない。
今日、こうやって、ここに繋がるために。