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「師匠っ。今日は稽古はお休みですっ」
「そうだな」
「ということで…」
「今日は、私からの稽古もないぞ」
「な、なぜですかっ」
「なぜってな…」
「秋華ちゃん。今日一日は安静にしてないとダメだよ」
「風華さん…。どうしてですか?もう元気になりましたよっ!」
「ぶり返したらどうするのよ。ぶり返したら、治すには一日や二日じゃ足りないよ?」
「うぅ…。ちょっとだけでもダメですか?」
「ダメ。洗濯物が終わったら、医療室に戻ること」
「はい…」
秋華はしょんぼりとして、洗濯物を洗う速度も大幅に落ちてしまった。
…まあ、仕方ないだろうな。
風華の言う通り、無理をすれば、それだけ代償は大きくなるだろう。
「ところで、喉が渇いたのだが、この水は飲んでもよいのか?」
「えっ?洗剤も入ってるし、飲まない方がいいと思うよ」
「ふむ…」
「そっちの桶のなら、大丈夫だと思うよ。まだ誰も使ってないし」
「ふむ」
銀太郎は隣の桶まで飛んでいき、水面を何回か突つく。
そして、また戻ってきて。
「助かった。喋ると、どうしても喉が渇くからな」
「そうだね」
「ところで風華」
「何?」
「お前は薬師なのか?」
「そうだけど」
「ふむ。なるほどな」
「何?」
「香の匂いがするのでな」
「香?それでなんで薬師?」
「薬には匂いのきついものも多い。その匂いは、たいがい服にも移る。男の薬師ならともかく、女の薬師であれば、その匂いが気になる者もいるであろう。だから、香を焚いて匂いを消そうとする者も多いのだ」
「あぁ、そういうこと?」
「まあ、趣味で香を焚く者もいるだろうが、風邪がどうこうと言っていたからな。薬師だろうと思った次第だ」
「ふぅん」
「薬師は、古来より、優秀な者の就く職として扱われてきた。病気に対する知識、薬の知識、処方の仕方。あらゆる知識が必要であるから、当たり前と言えば当たり前だが。お前も、優秀な人物ということなのだろうな」
「えぇ~。そ、そんなことないよ~。まだまだ玉子だし~」
「そうだな」
「えぇ…」
「日々精進の心構えは大切だ。まあ、薬師に限ったことではないがな。そういう理由で、玉子やヒヨッコと謙遜する者も多い」
「そ、そうだね」
「お前のは、謙遜というよりは照れ隠しだろ。褒められて調子に乗ってたんじゃないか?」
「ね、姉ちゃん!」
「なんだ、違うのか?」
「うっ…」
「ははは。まあ、風華もまだまだ未熟であるということだな」
「うぅ…」
笑われて小さくなる風華。
隣で秋華が、どうにかならないかとあたふたしているけど。
「あっ!ぎんたろー!こんなところにいたのか!」
「あ。おはようございます、凛ちゃん」
「うむ。おはよう、びょーにん」
「あの…。確かに、私は今は病人ですが、病人という名前ではないですよ?」
「そういえば、そうだったな。じゃあ、おはよう、あきか」
「はいっ。おはようございますっ」
「凛。今日もお寝坊さんであったな」
「うっさい!ねるこはきょじんだ!」
「寝る子は育つ、であろう。巨人になるわけではない」
「こさぶろーがいた。きょじんだ、あいつは」
「小三郎?」
「いるんだよ、衛士に。熊みたいに大きいやつがな」
「ふむ。そうなのか」
「ぎんたろーなんて、はないきでふきとばされるぞ」
「ほぅ」
「凛も、あんなきょじんになりたい」
「いや、お前はもう少し、お淑やかになるべきだな。まずは言葉遣いからであるが…」
「ぎんたろーも、にたようなしゃべりかたじゃないか」
「む…。それを言われると、辛いところがあるな…。確かに、お前のその言葉遣いは、私の責任でもあるか…」
「でも、凛ちゃん。もうちょっと言葉遣いを直した方がいいのは確かですよ」
「凛はしってるぞ。あきかのは、ケイゴってやつだ」
「そうですね」
「丁寧語が多いけどね、秋華は」
「す、すみません…。決して、みなさんを尊敬してない、とかではないのですが…」
「分かってるって」
「敬語自体、相手を敬う言葉であるしな」
「そ、そうですか…」
「しかし…。ふむ…」
「どうしました?」
「…秋華。凛の言葉遣いを矯正してもらえないだろうか」
「わ、私がですか?」
「ああ。お前と一緒にいれば、敬語…とまではいかなくとも、丁寧な言葉遣いが身に付くのではないかと思うのだ」
「わ、私なんて、そんなっ。無理ですよっ」
「大丈夫だ。一緒にいてくれるだけでいい。お前から言葉を学べば、自然と丁寧な言葉遣いを覚えるだろう」
「で、でも、凛ちゃんもどう思ってるか分かりませんし、私も、そんな、言葉を教えるなんてことは出来ませんし…」
「落ち着け、秋華。銀太郎は、凛に言葉を教えろとは言ってないだろ」
「え、あ、はぁ…。では、どうすれば…」
「凛と共にいてくれればいい。それだけであっても、言葉は自然と身に付くものだ」
「は、はぁ…。凛がよければ、それでも構いませんが…」
「あきかといっしょか。いいぞ、凛は」
「はい。では、それで」
「うむ。よろしく頼む。私からも、出来るだけ支援はするが、なにぶん、こんな話し方しか出来ないのでな…」
「あの、私も、銀太郎さんのご期待に沿えるかどうかは分かりませんが…」
「大丈夫だ。よき行いを見せてやれば、自ずとよき行いをするようになる。子供というのは、そういうものだ」
「うっ…。よき行いですか…。自信がありません…。それに、私自身が子供ですし…」
「気負うことはない。普段通りにしていればよいのだ」
「は、はい…」
秋華は余計に緊張してしまっているようだった。
まあ、いい行いの手本となれと言われているのだから、当然と言えば当然かもしれない。
でも、話し方に関しては、私も銀太郎と似たようなものだからな。
やはり、そこは、秋華や風華に任せるのがいいように思った。