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愛情か…。
よく分からないな、本当に…。
私が授受する愛情の大きさは認識するべきではあるが、それを普通と思えるのはいいことだ。
美希と秋華の意見を並べると、そうなるのかな。
同時に成立しうることだよな、たぶん。
でも、大きいと認識してしまえば、普通だとは思えなくなるかもしれない。
その辺は匙加減なのかもしれないが、どうも微妙な調整を要求されているように思う。
さて、どうしたものかな。
…と、風呂の入口の戸が勢いよく開け放たれる。
「あ、なんだ。紅葉、いたんだ」
「桐華か。いきなり扉を全開にするな。男が入ってたらどうするんだよ」
「いいじゃん。一緒に入れば」
「そうだな…。お前はそう考えるだろうな…」
「紅葉もでしょ?」
「まあ…」
そうだけど…。
んー…。
私も言えた立場ではないか…。
「それより、どう?湯加減」
「いいんじゃないか?それより、お前。先に身体を洗えよ」
「えー。面倒くさい」
「お前なぁ…」
「紅葉が洗ってくれるならいいよ」
「ふん。その無駄にでかい乳を削ぎ落としてやろうか」
「あはは。嫉妬してんだ」
「してない」
「羨ましい?」
「全く」
「またまたぁ」
「五月蝿い!さっさと身体を洗ってこい!」
「へいへい。怖いねぇ、紅葉は」
まったく…。
何だって言うんだ…。
乳がでかいくらいで調子に乗りやがって…。
「あー、肩が凝るなぁ。紅葉が羨ましいよー。ペッタンコだもんねー」
「黙って洗え」
「体重がさぁ、乳の分だけ増えてさぁ。まったく、困ったものだよ」
「もとからブヨブヨじゃないか、全身が」
「し、失礼だな。女として、適度に脂肪が付いてるだけだよ。ブヨブヨいうほど太ってないもん。紅葉なんて、ガリガリじゃん。だから、乳も萎むんだよ」
「ガリガリではない。お前のように、無駄な脂肪を付けていないだけだ。あと、萎んだんじゃなくて、もとからないんだ」
「あっ。認めたね」
「認めたんじゃない。事実を述べたんだ」
「えぇ~」
「五月蝿いやつだな。さっさと洗って、さっさと出ていけ」
「えぇー。湯船は?」
「なしだ」
「そりゃないよ…」
と言いながら、カラスの行水も驚きの速さで身体を洗い終わり、こちらに向かってくる。
私は水鉄砲を作って応戦するけど、結局入られてしまって。
「ふぃ~。極楽極楽極楽鳥」
「おっさんだな、もはや」
「いいじゃん。気持ちいいんだし~」
「はぁ…」
「紅葉って、ホントに肉付いてないよね。紅葉の身体は何で出来てるの?」
「触るな。脂肪が移る」
「ちょっとくらい丸くなった方が、そのきつい目付きも柔らかくなると思うよ」
「余計なお世話だ」
「まあ、何を悩んでるか知らないけどさ。紅葉のためなら、みんな、きっと、力になってくれるよ。だから、一人で考え込まないで、相談出来ることなら相談しなよ?」
「…お前、秋華の風邪が移ったのか?」
「移ってないよ…。いいじゃん、たまにはいいこと言わせてよ」
「お前にそういうことを言われると、なんか腹立つ」
桐華は昔からそうだ。
ポヤ~っとしてるように見えて、たまに鋭いことを言う。
…だから、肉付きのいい頬を摘まんで、横に引っ張る。
やっぱり、伸縮性は子供たちには勝てないようだ。
最後に思いっきりつねってから離す。
「いたた…。乱暴だなぁ、紅葉は…」
「昔から、お前を押さえ付けないといけない立場だったからな」
「ぼくは別に、何もしてなかったじゃない…」
「よく言うよ…。歩く迷惑だろ、お前は…」
「あはは、懐かしいね」
「まったく…」
桐華の行動はいつも、自分が楽しいこと、というものに基づいている。
こいつ自身が、絵に描いたような善人であるから、それが他人を傷付けたりすることはないが、迷惑は多大に掛ける。
「また一緒に手合わせしたいね」
「嫌だ」
「いいじゃん、やってよ」
「お前の相手をするのは疲れる」
「ぼくは楽しいよ」
「お前の楽しさなんて、どうでもいい」
「えぇ…」
桐華といると、何かに悩んでる自分が、全く小さいもののように思えてくる。
桐華が何も悩んでいないとは言わないけど。
でも、いつもニコニコとしていて能天気な桐華は、他人の悩みも吹き飛ばすような、そんな大きな力を持っているようにも思える。
…まったく、不思議なやつだよ、こいつは。
部屋に戻る。
桐華のせいで少し長風呂をしてしまったので、子供たちはもう寝ているみたいだった。
秋華も泊まると言っていたが、今日はさすがに医療室。
まあ、千秋が一緒にいてくれてるようだけど。
…とりあえず、火照った身体を冷やすため、子供たちを踏まないように気を付けながら、屋根縁の方へ行く。
「あ、お姉ちゃん。長かったね」
「ナナヤか。風呂で桐華と話し込んでしまったんだ」
「そうなんだ。まあ、桐華さん、お喋りだもんね」
「まあな。…進太はどうした」
「えっ?い、いつでも一緒にいるわけじゃないよ…」
「喧嘩でもしたのか?」
「ち、違うよ、ホントに…。明日が当番だからって、仕込みに入ったんだよ…」
「ふぅん。お前は手伝わないのか?」
「私は、邪魔するだけだしね…。それに、早く寝ろって言われたし…」
「進太にか?」
「うん…。子供じゃないんだからって言ったら、早寝早起きは生活の基本だとか言って」
「まあ、それはそうだな」
「はぁ…。恋人じゃなくて、妹みたいなかんじに見られてるのかな、私…」
「それはどうかな。大切な人の健康が気になるのは当然だと思うけど。仕込みで夜が遅くなれば、手伝う者の睡眠時間も短くなる。そうなれば、その者の健康を害するだろ?」
「それはそうだけど…」
「進太はそういうやつだ。邪魔だからとか、子供だからとかじゃなくて、純粋にナナヤの健康を心配して、そんなことを言ってるんだよ。まあ、そういうことを考えないから、ナナヤを悩ませることにもなってるんだろうけど」
「むぅ…」
「いつも真っ直ぐなやつだ。考えることも単純明快。常に、誰かのために。それ以外は何も考えてないと言っても過言ではない」
「そうなんだけどね…」
「まあ、あいつの言うことは聞いておいた方がいい。考えることは単純だが、頭はかなりいいからな。だから、早く寝ろ」
「んー…。お姉ちゃんにまでそう言われたら、寝ないわけにはいかないけど…。でも、ちょっと嫉妬しちゃうな。付き合いはお姉ちゃんの方が長いとは言っても、そうやって良いところ悪いところがスラスラ言えるほど、進太のことを知ってるなんて」
「オレは、みんなを纏める立場にあるからな。部下の良いところ悪いところを知っているのは当然だろ。そうでなければ、一組織の頭は務められない」
「うん…。やっぱりすごいね、お姉ちゃんは。みんなに好きになってもらえるのも分かるよ」
「オレは…」
すごくない。
私自身はそう思う。
でも、ナナヤから見れば、私はすごいんだろう。
当たり前のことをしてきたつもりだが、もしかしたら、当たり前じゃないのかもしれない。
それは、私には分からないから。
「オレは、何もすごくないよ」
「その謙虚なところが、一周回って憎たらしいくらいだね」
「そりゃどうも」
「ふふふ。うん。じゃあ、お休み」
「お休み」
そして、ナナヤは部屋の中に戻っていった。
…これでいいんだ、たぶん。
私がみんなのことを、私自身はそうは思わないが、よく知っているのは、美希に言わせれば、みんなに対する愛情が深いからなんだろう。
でも、私は、これくらい普通だと思っている。
だから、今のところでも、ナナヤの言う、憎たらしいほどの謙虚さを保つのが私なんだ。
うん。
きっと、これでいい。
いつも通りの私で。