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「善哉とかはどうしたんだ」
「え?置いてきたけど」
「お前一人で来たのか?」
「ううん。旅団天照と一緒にだけど」
「そういう意味じゃなくてだな…」
「続き!」
「はいはい。もっと近寄ってくれたら、もっと身が入るんだけどな」
「………」
「ダメ?」
「絵とか見えないだろ。近くに行ったらどうだ?」
「………」
「すっかり嫌われちゃったねぇ」
「あの、ロセさん。善哉ってのは誰なんですか?」
「ん?私の旦那。千秋は、許嫁とかいたりするの?」
「い、許嫁というか…」
「え?もう旦那がいるとか?」
「旦那はいないけど…」
「ふぅん。じゃあ、何?」
「夫婦だ。オレと。千秋に申し込まれた」
「へぇ…。って、えぇっ?夫婦?」
「ああ」
「千秋って、女の子だよね?」
「身体はな」
「えぇ…。つまり、オナベってやつか…。美人なのに勿体ないなぁ。しかも、こんな気難しくて無愛想な嫁なんて…」
「お前な…」
「い、紅葉は優しい…。それに、頼りにもなるし…」
「まあ、頼りになるのはそうかもね。…何歳?」
「十六です…」
「へぇ…。人生、早まっちゃダメだよ?」
「は、はい…」
「どういう意味だよ…」
「読んで!」
「あぁ、忘れてた忘れてた。えっと、どこからだっけ?」
「次は、龍紋のところだよ」
「おっ。ありがとね、望。千秋も、敬語なんてやめてくれたらいいのに」
「い、いえ…。心の準備が…」
「そう?準備出来たらお願いね。なんなら、お姉ちゃんって呼んでもいいわよ?」
「いいです…」
「残念」
「永遠の十二歳はどこに行ったんだよ」
「たまに三十歳に戻るの」
「都合がよろしいことで」
「まあね。それじゃ、龍紋だっけ」
「うん」
「ん。龍は、気持ちが高揚すると、龍紋と呼ばれる模様が現れる。詳しいことは全くわかっていないが、獣龍ならば皮下に、鱗龍なら鱗内に、発光器官を持っており、それが発光しているのではないかと言われている。私ってさ、龍なんて見たことないから分からないんだけど、紅葉は見たことある?」
「あるというか、広場にデカいのがいるし、裏の小屋にも姉弟で住み着いてるし…」
「えっ、ホントに?」
ロセは窓のところまで走っていって、広場を見る。
そして、また戻ってきて。
「いるね…。来たときには気付かなかったけど…。なんであんなのがいるの?飼ってるの?」
「いや。ある日突然来て、そのまま住み着いてる」
「へぇ…」
「続き読んで!」
「りるはせっかちだなぁ。続きが気になるのは分かるけどさ。…あ、それで、紅葉たちは、龍紋は見たことあるの?」
「オレはあるけど」
「俺はないです」
「望はあるよ」
「ふぅん。そうなんだ」
「んー!」
「はいはい。続きね。…龍紋は種類ごとに違う模様をしており、また、個人でも少しずつ違っている。非常に多彩ではあるが、最も美しいのは蒼龍の龍紋だと言われている。また、龍が人間の生活に浸透していた証拠として、龍紋を元にした紋章が、様々な場所で使われている。たとえば、右に示したワジナーク紋は、生命を象徴すると言われている、青龍の龍紋が元となっている。あ、ワジナーク紋ってあれだよね。百日祝いのときの」
「そうだな」
「上手く描けないからさ、二人とも旦那に描いてもらったんだよ。なんで、あんな複雑な模様を描く必要があるのか分からなかったしさ」
「生命の象徴、ワジナーク紋を描くことで、子供の長寿と健康を願うという、親にとっては大事な行事だ。複雑で面倒くさいとか、そういう次元の問題じゃない」
「じゃあ、紅葉はワジナーク紋、描けるの?」
「何も見ずに描けという制約もない。図面があるんだから、その通りに描けばいいだけだ」
「それが出来ないから、旦那に頼むんでしょ?」
「空間把握能力が欠けてるんだな」
「えぇ…。あれは絶対に無理だよ。複雑だし」
「描く気がないだけなんじゃないか?それより、りるがまたご立腹だぞ」
「あぁ、そうだね」
「お前は、何かと喋りすぎだ」
「いいじゃん、別に。ねぇ、千秋?」
「えっ?俺ですか?」
「ほら、千秋も言ってるじゃない」
「戸惑ってるようにしか見えないが」
「はいはい。まったく、五月蝿いね、紅葉は。…他にも、イズラ紋は銀龍の龍紋を模したものであるし、クァサル紋が蒼龍の龍紋を模したものである。クァサル紋ってさ、どこに使われてるの?見たことない気がする」
「クァサル紋は祭のときに掲げられることが多い。見た目も華やかだからな。イズラ紋は、何かの祝い事の際に掲げられる。あと、見たことないんじゃなくて、意識して見てないだけだろ。龍紋は結構いろんなところで見られるぞ」
「ふぅん。全然知らなかったなぁ。…龍紋を見ることは、龍がいれば、そう難しいことではない。感情が平常から変化したときに現れるからである。嬉しいとき、哀しいとき、楽しいとき、怒っているとき。龍を前にして、龍の顔に龍紋が現れているのなら、まずは慎重に感情を見極めるべきである。友好の証なのかもしれないし、威嚇の印かもしれないからだ。龍と接触したときの行動の仕方については、第七項を参考にしてほしい。この人って、龍と会ったことがあるのかな?」
「さあな。文献研究から考察したことかもしれない」
「えぇ~。そうだとしたら、信用に欠けるなぁ」
「こちらに、攻撃したり危害を加えたりする気がないのなら、向こうも手荒な真似はしないだろ。聡い龍ならなおさらな」
「ふぅん…」
「自然に生きるものは、無駄な争いは避けるものだ。人間と違ってな」
「んー。紅葉が言うのなら、そうなのかもしれないね」
「それはどうかな」
「まあ、その項目を読んだら分かる話だよね。それで、えっと、次は…」
そして、ロセは続きを読んでいく。
…龍というのは、聡い生き物だ。
人間よりも、ずっと。
いや、人間が、生き物の中で一番愚かなのかもしれない。
尽きない欲望を満たすために争いを繰り返して。
自然に生きることを、自ら拒んでいる。
そんな風に思える。