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りるは、巨大な図鑑をいたく気に入ったらしい。
昼ごはんに作ってもらったおにぎりもおざなりに、望に早く読めとばかり急かしている。
「次!次は!」
「ちょっと疲れちゃったよ…。喉も渇いたし…」
「俺が代わろうか?」
「うん…」
「まあ、ゆっくり休んでおけ」
「ありがと…」
「いいってことよ」
「千秋!早く!」
「はいはい」
千秋に選手交代。
今は、龍の詳細な分類の項目を読んでいる。
…どうやらこの図鑑は、龍のことばかりが書いてあるらしい。
よっぽど龍が好きなやつが書いたんだろうな。
「えっと、銀龍は獣龍の一種で…」
「た、大変です、隊長!」
千秋が読み始めた瞬間、邪魔が入る。
りるは明らさまに嫌な顔をして、ダンダンと尻尾で床を打っている。
…どうせ、旅団天照と一緒に、ロセたちが来たとかそんなところだろう。
そういえば、手紙が来ていたのを思い出す。
「はぁ…。りるがご立腹だから、手短に済ませろ」
「は、はいっ!旅団天元の団長がいらっしゃいましたっ!」
「そうか。香具夜を呼んで、寄り道させずに真っ直ぐここに向かわせろ」
「は、はいっ!」
「まったく…」
伝令は急いで戻っていって。
千秋が首を傾げていたので、続きを読んでやれと促す。
…毎回、そんなに騒ぎ立てることでもないだろうに。
むしろ、桐華の方が心配だ。
まあ、あいつのあれは、もうどうにもならないかもしれないけど…。
「銀龍は獣龍の一種で、獣龍の中でも一際気性が荒いと言われている。腕力、脚力、飛行能力。どこを取っても頭ふたつは抜き出ていて、負けるとすれば、飛行速度に於いて白龍に、術式と呼ばれる力の扱いに於いて黒龍に負ける程度であろう。話は反れるが、銀が最強の色というのは、何も龍に限ったことではない。多くの生物に於いて、銀の体毛を持つ者たちは、その種の最強の座に君臨している。なぜ、そういうことになっているのかは分からない。ただ、そこに事実があるのみである。…へぇ、そうなんだ」
「語り手が、自分で相槌を打つなよ…」
「だって、確かにそうだなと思って」
「続き読んで!」
「あぁ、はいはい。…銀龍は一際気性が荒いと書いたが、それは、家族を守ろうという想いがより強いということの表れではないだろうか。ある文献によると、銀龍に家族と認識された者が、遠くへ引っ越し、そこで危機に陥ったとき、どう察知したのか、その銀龍が助けに来てくれたという話もある。多くの頭の固い学者は、根拠の乏しい童話でしかないと見向きもしないが、そういったものにこそ、真実は隠されているものではないか。純粋な子供にしか提示されない真実というのもあるのだ」
「えらく私情を交える編纂者だな。これに書いてある、龍に関係しないことを本にすれば、結構人気が出るんじゃないか?」
「そうか?俺には分からないけど…」
「偉そうにしている輩を痛切に批判し、革新的な考えを提示するようなものは一般受けがしやすいし、多くの共感を得られるからな。頭の固い学者なんて、格好の的だろ」
「じゃあ、紅葉を批判するような本を書いたらどうだろうか」
「ん?」
「…なんでもないです」
「そうか」
別に書いてもらってもいいけどな。
まあ、どれだけ人気が出るか、楽しみでもある。
「続き!」
「あぁ…。とかく、銀龍は家族を深く愛し…」
「ちょっと、紅葉!聞いてよ!」
「うるさいっ!」
「えぇ…」
来て早々騒ぎ立て、ちょうどイライラしていたりるに一喝されている。
なんともロセらしい登場じゃないか。
「ん?なんだ、このちみっこは。それに、そっちの美人も、狼娘も、初めてみる顔だね」
「ど、どうも…」
「紅葉。ロセ、連れてきたよ」
「あとから到着しといて連れてきたはないだろ。まあ、ご苦労さま、香具夜」
「いえいえ。では」
「ああ」
「んー?昼ごはんはおにぎりか。質素倹約だねぇ」
「んーっ!」
「ロセ。りるが怒ってるからこっちに来い」
「おうおう。ちみっこはりるって言うのか。仕方ない。ナデナデしてあげよう」
「にゃーっ!」
りるは伸びてきたロセの手をかわし、噛みついた。
まあ、それはただの威嚇だったのか、すぐに離して私の方に来たけど。
はぁ…。
まったく…。
「いたた…。いきなり噛むなんて…。怒ってたの?」
「ウゥ…」
「さっきからそう言ってただろ…」
「嫌われたもんだねぇ、私も」
「嫌われるようなことをしてるからな」
「えぇー」
「相変わらず、三十路の二児の母とは思えない落ち着きのなさだな…」
「私は永遠の十二歳さっ」
「もっと成長しろ」
「ヤだよ。紅葉みたいに老けたくないもん」
「まったく…」
「まあまあ。抑えて抑えて」
「抑えるのはお前だ。あと、自己紹介くらいしろ」
「あ、そうだね。まったく、紅葉は細やかな気配りが出来るねぇ」
「こんなのは細やかな気配りとは言わない。見知らぬ者同士が会ったときには、やらなければならないことだ」
「えぇ、そうかな」
「少なくとも、これから親しくしようという気があるなら、やっておくべきことだろ」
「もう…分かったよ。じゃあ、自己紹介ね。知ってるかもしれないけど、私は旅団天元の団長をやってる、ロセっていう者です。以後お見知り置きを」
「あ、どうも」
「それじゃ、まずは美人さんから。どうぞ」
「えっ、俺?」
「ちょうど私の目の前にいるんだ。自己紹介したくなるでしょ?」
「いや、まあ…」
「さあさあ」
「ち、千秋です…。ここで衛士をやってます…。あと、下町の釜屋でも働いてます…。よろしくお願いします…」
「なんだなんだ、元気が足りないなぁ」
「す、すみません…」
「お前が五月蝿いだけだろ。もっと静かに出来ないのか」
「これ以上静かに出来ないよねぇ?」
「誰に聞いてるんだよ…」
「はい。じゃあ、次はそっちの美少女狼娘」
「え、えっと、望です。伝令班に入ってて、あと、広場にお花畑も作ってます。あと、えっと…よろしくお願いします」
「いいね、その初々しいかんじ。何歳?十五歳くらい?」
「十二歳です」
「えっ、私と同い年?」
「現実を見ろ。お前はもう三十歳だ」
「よくお姉ちゃんに見られない?」
「えっと…よく分からないです…」
「まあ、そっか。でも、可愛いねぇ。千秋と望で美人同盟も組めるよ」
「………」
「んー。あとはりるだけど、当分無理そうだね」
「そうだな」
「あ、これ、何?図鑑?」
「龍の図鑑だ」
「へぇ。いいね。私にも読ませてよ」
「りるに読み聞かせてやってたところだ」
「えぇ。そうなの?だから、怒ってたんだね」
「そうだろうな」
「悪いことしちゃったかなー。ね、りる」
「………」
「うーん…。じゃあ、私が読んであげよう」
「……?」
「誰が読んでたの?」
「俺ですけど…」
「いいよね、私が読んでも」
「あ、はい」
「ん。ありがと。それじゃ、ほら、りる。こっち来なさいな」
「………」
…距離は一切縮まらなかったけど。
でも、ロセは一向に構わないといった様子で、図鑑の横に座る。
そして、さっき千秋が止まったところから、読み始めた。