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パタパタと、りるの尻尾が床を打つ音が響く。
退屈らしい。
たまに唸ったりなんかもしてる。
買い物を済ませた千秋に、頼み事をしているんだけど…。
「紅葉。持ってきたぞ」
「ん、来たか。ありがとう」
「いいよ、そんなの」
「望」
「うん」
千秋が、りるの前まで例の図鑑を持っていく。
窓から外を見ていた望も、その横に座って。
「りる。これ、読もうよ」
「んー?」
「きっと、面白いよ」
「んー」
巨大な図鑑に興味を持ったらしい。
上半身を起こして、尻尾をユラリと振っている。
「じゃあ、読むね」
「うん」
そして、図鑑を開けて。
私も興味があったから覗いてみる。
…見たところ、いたって普通の図鑑だった。
いや、普通の図鑑を大きく引き伸ばしたような。
しかし、絵は大きいんだけど、字は普通の図鑑と同じくらいで、たくさんの情報がびっしりと書き込まれているようだった。
それを考えれば、どちらかと言えば、図鑑というよりも専門書なのかもしれない。
「龍。かつて、人間と共にあり、共に生活していたと言われる動物。今ではほとんど見られず、どこに生息しているのかも分からない。絶滅したのではないかとも言われているが、極稀ではあるが確かに目撃されているのも事実である」
「そうなのか?広場にデカいのがいるじゃないか」
「それが極稀に目撃されている事実なんじゃないのか?」
「えぇ…。すぐそこにいるのに、なんか納得出来ないかんじだな…」
「当事者は、だいたいそんなものだろうよ」
「うーん…」
「これ、セトに似てるー」
「うん。セトも銀龍だよ。…龍は大きく二種類に分けられる。全身が毛に覆われている獣龍と、全身が鱗に覆われている鱗龍である。獣龍は総じて気性が荒く、近付くことさえも難しい。たいていは、その咆哮で腰を抜かし、尻尾を巻いて逃げ出すか、気付いたときには縄張りの外へ放り出されているかのどちらかである。しかし、これは、獣龍の強い家族愛によるものだと言われている。自分の周囲の環境、つまり、家族の環境を守るために、少々乱暴な手段に出てしまうのである。獣龍たちと親しくなりたいのであれば、まずはその心と、何度追い返されても諦めない根性が必要であろう。熱意が伝わり、家族であると認められることがあれば、獣龍たちも心を許してくれるかもしれない」
「あいつは、誰でも歓迎といった風だけどな」
「性格的に穏やかなやつもいるんだろ。一般的な話であって、獣龍全員に当てはまるわけではない、ということだろう」
「ふぅん…」
「人間一人一人、性格が違うのと同じなんだろ」
「まあ、そりゃそうか」
「続き!早く!」
「あ、うん。…続いて鱗龍だが、鱗龍は一般的に、気性は穏やかだと言われている。ただし、逆鱗には注意が必要で、これに触れると、機嫌が悪くなったり、怒り出したりもする。逆鱗は首元にあるのだが、この逆鱗に、鱗龍の秘める魔力とも呼ぶべき力が集まっていると言われている。それが本当かどうかは定かではないが、逆鱗の剥がれた鱗龍は、また生えてくるまでの間、巣に籠りっきりになるという。本来の力を発揮出来ないため、敵に出会わないようにしているのではないか、と考えられている。また、社交的である鱗龍も、家族への愛情は獣龍にも劣らない。温厚であるため、獣龍よりも親しみやすく、家族と認識されるのにもさして時間は掛からないため、人間と龍が共存していた頃は、鱗龍が見られるかどうかが、人里が近くにあるかどうかの指標にもなっていたと言われるほどである」
「ふぅん。じゃあ、昔は人里のそこらかしに龍がいたのか」
「そうなんだろうな」
「じゃあ、なんでいなくなったんだろ」
「望、何か書いてないか?」
「うーん…。文献等での研究によると、龍がいなくなったのは人間が各地で争いを始めた頃であるとされている。龍は人間よりも遥かに聡く、だからこそ、謙虚さを失い、無益な争いや殺生を繰り返すようになった人間を見限ったというのが、一番有力な説である。我々は、またいつか、龍と同じ時を過ごすことが出来るのであろうか。いや、龍が帰ってこられるよう、我々は努力すべきなのである」
「………。なんか…図鑑とは思えない深さだな…」
「編纂者の私情が混じっているな」
「セトはいるよ?伊織も、蓮も。みんないる」
「そうだね。みんな、帰ってきてくれたのかもしれないね。ここでは、みんな仲良しだから」
「うん。でも、たまにケンカする」
「いいんじゃないかな。私たちの喧嘩は、仲が良いからやる喧嘩だから」
「わけ分かんない。仲が良かったら喧嘩するの?」
「そういう喧嘩もあるってことだよ」
「……?」
「りるにも、きっと、分かるときが来るよ」
「えぇー。今がいいー」
「うーん…。難しいかな、それは…」
「なんで、なんで!」
「まあ確かに、そういう喧嘩ってのは実際にやってみないと分からないだろうな。口で説明するのも難しいし」
「んー…」
「雨降って地固まるだよ」
「そうだな」
「そういえば、望って字が読めるんだな。それも、かなり」
「うん。かなりかは分かんないけど…。ちょっと寺子屋に行ってるんだよ」
「ふぅん。寺子屋か。正光も行ってるって言ってたな」
「秋華も、稽古が休みのときに行くそうだ」
「ふぅん。紅葉が薦めたのか?」
「ん?まあな」
「秋華ちゃんも行くの?」
「ああ。今度、一緒に行ってやるといい」
「うん」
「りるも!りるも行きたい!」
「りるには辛い場所かな~。みんな、大人しく座って勉強してるんだぞ?」
「べんきょー!」
「まあ、今度、お前も一緒に行こうか。騒がしくしたら追い出されるかもしれないけどな」
「良い子にしてるもん」
「はは、そうか。じゃあ、俺も見に行ってみようかな。良い子にしてるりるなんて、滅多に見られないからな」
「んーっ!」
「おっと。ご立腹のようだ」
不機嫌そうに尻尾をバタバタさせるりるを見て、千秋は笑う。
それが気に入らないのか、プイッとそっぽを向いてしまった。
望は、それを見て、ちょっと苦笑い。
…確かに、ここは平和だ。
だから、セトたちが来た…のかどうかは分からないけど。
でも、これが龍が望む平和だと言うならば。
何も難しいことを考える必要はないのかもしれない。