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目が覚めた。
まだ少し暗かった。
起き上がろうにも、りるに服を掴まれていて、起きるに起きられない。
…まあ、もう少し寝ているか。
そう思って天井を見つめていると、いきなりニュッと顔が出てきて。
「よく分かったな、ここが」
「よく分かったなじゃないですっ!なぜ、お城にいなかったんですかっ!」
「シーッ。静かにしろ。まだみんな寝てるだろ」
「あっ…。す、すみません…」
秋華は顔を覗き込むのをやめて、私の枕元に正座する。
…昨日、結局釜屋で長く居座ってしまい、門限を過ぎてしまったので、オカマたちの長屋に泊めさせてもらうことになった。
いちおう、そういう旨は城には伝えておいたので、秋華は夜勤組か門番あたりに聞いて、ここに来たんだろう。
「それで、どうしたんだ、今日は」
「はい。今日も、稽古に行く前に、師匠に挨拶をしていこうかと思いまして」
「そうか。まあ、頑張れよ」
「はいっ!ありがとうございますっ!」
「…行ってらっしゃい」
「行ってきますっ!」
スッと立ち上がると、深々とお辞儀をして、行ってしまった。
毎日、朝早くからご苦労なことだな。
…しかし、あいつは、声の大きさをなかなか抑えられないみたいだな。
注意すれば、少しの間は静かになるけど。
でもまあ、それが秋華の良いところと言えば、良いところだろう。
大きな声で、元気よく。
それが一番だ。
「………」
そういえば、昔は天井の木目を数えたりもしたっけな。
どこまで行ったか分からなくなって、また端っこから数えなおしたりしてるうちに、いつの間にか眠ってたりして。
そんな、純粋な心を持っていた時期が、私にもあった。
…いや、今は純粋な心を持っていないとか、そういう意味ではなくて。
って、誰に言い訳しているんだ、私は…。
「はぁ…」
まあ、とりあえず、端から数えてみようか。
天井には、木目がいくつあるのか。
私の挑戦が、今始まる。
…大袈裟か。
ふと、瞼の裏に光を感じて目を開けた。
夜が明けたらしい。
結局、木目を数えている間に眠ってしまったようだ。
どうやら、木目には不思議な魔力があるらしい。
昔の私も、今の私も、その魔力には抗えなかったということだ。
「んーっ」
目を擦って、伸びをして。
ちょっと見てみると、りるはまだ私の服を握って眠っていた。
…まあ、もう起きてもいい時間か。
少し、りるの頬を叩いてみる。
「りる。朝だぞ」
「んー…」
「りる」
「んなぁぅ…」
「起きないのか?」
「ねむい…」
「そうか」
「んぅ…」
「………」
可愛い寝顔だ。
思わず、イタズラしたくなるほどに。
ちょっと、りるの頬を引っ張ってみる。
相変わらず、フワフワの餅のような感触で、いくら触っていても飽きない。
「んー…」
「朝だぞ、りる」
「やぁの…」
起きる気はないようだ。
それならと、次は耳を触ってみる。
この歳のあたりの子は、まだ耳の毛も綿毛のようで、最高の触り心地だ。
まあ、本人にとっては、結構嫌なことなんだけど。
私も、母さんに触られまくって、かなり鬱陶しかった。
「んー…」
「りる。朝だぞ」
「んぅ…」
「ほら、起きろ。早く起きないと、朝ごはん、なくなるぞ」
「んー…」
「ほら」
朝ごはんと聞いて、起きる気になったようだ。
目を擦って、大きな欠伸をする。
それから、まだ寝惚けている目で、こっちを見て。
「朝ごはん…」
「ああ。でも、まずは顔を洗いに行こうか」
「うん…」
私が起き上がると、りるも起き上がってきて。
また大きな欠伸をして、涙を擦る。
「ほら。これ着ろ」
「うん…」
外はまだ寒いだろうから、手近にあった私の羽織を渡すと、裏表逆に着始めた。
…まあ別に、誰かに見せるわけでもないし、別にいいんだけど。
とりあえず、下履きだけを履かせて、共同井戸へ。
「うぅ…」
「やっぱり、ちょっと寒いな」
「寒い…」
外は、やっぱり寒かった。
羽織を着ていても寒いらしく、りるも身を縮こませていて。
…さっさと済ませるか。
少し急いで、裏にある井戸へと向かう。
井戸のところには誰もいなかった。
ただ、なぜか、桶には水が張ってあって。
「ん…?」
「何?」
「いや。なんでもない」
「……?」
氷を張って遊んだり、ゲンゴロウなんかを飼ってるわけでもなさそうだ。
匂いや色からも、普通の井戸水だろうと思われる。
誰かが組んで、なんらかの理由で置きっ放しにしておいたんだろう。
…まあ、何があるか分からないので、横の盥のひとつに水を開けて、もう一度汲み直す。
「よし。ほら、りる。顔を洗え」
「んー…」
まだ眠いのだろうか、適当に水を掬って、適当に顔に当てるだけで。
適当にしているものだから、指の間から水は漏れていって、顔に着く頃には、ただ手が濡れているだけという状態だった。
「まったく…。ほら、しっかり洗え」
手で水鉄砲を作って、りるの顔に撃ってやる。
すると、驚いたような顔をして。
それから、ちょっとムッとしたような顔になった。
「しっかり洗え」
「んー!」
「ほら。次は鼻を狙ってやろう。水が入ったら痛いぞ」
「うぅ…」
「お前がしっかり洗わないからだろ?文句言うな」
そう言って、顔を洗ってみせてやる。
そしたら、渋々といったかんじで、私を真似てパシャパシャと顔を洗い始めて。
…よしよし、それでいい。
ついでに、目もパッチリ覚めただろう。
「じゃあ、次は朝ごはんだな」
「朝ごはん!」
「ああ」
ピョンと立ち上がって、りるはどこかに走っていってしまった。
まったく…。
今まで寝惚けてたくせに…。
とりあえず、余った水を近くにあった鉢植えにやって。
それから、りるのあとを追い掛けた。