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望の櫛を注文して、櫛屋をあとにする。
今日の話を総合して、望にピッタリで、一生使える櫛を作ってくれるらしい。
「楽しみだな」
「うん」
「まあ、今日すぐに手に入らなかったのは残念だったな」
「全然残念じゃないよ。櫛屋さんが一所懸命に作ってくれるんだもん」
「…そうだな」
しばらくは風華の櫛を借りることになるな。
仮にでも、一本くらい買ってやるべきだったか。
でもまあ、望がいいって言うなら、私からは何も言えない。
「今から貸本屋さんに行くの?」
「そうだな」
「待たせちゃったかな…」
「気にすることはないさ。それに、向こうだって、まだ終わってないかもしれないだろ」
「そうかな…」
「ああ。それより、望は何か借りたい本とかないのか?」
「えっ?うーん…」
「ん?」
「や、やっぱりいいよ、別に…。望も探してたら、また時間掛かるし…」
「何を遠慮してるんだよ。借りたい本があるなら借りておけ」
「でも…」
「時間が掛かることなんて、誰も気にしない。それよりも、望にそうやって遠慮される方が気になる。だから、借りたい本があるなら、はっきりと言え」
「うーん…」
「何の本を借りたいんだ?」
「えっと…動物がたくさん書いてある本…」
「動物図鑑か?」
「うん…」
「じゃあ、とびきり分厚いのを借りてくればいい。みんなで一緒に探そう。そしたら、早く見つかるだろ?」
「うん」
「決まりだな」
望は、まだ少し遠慮がちに頷く。
…配慮が出来るのはいいことだが、私たちにまで遠慮はしてほしくないな。
そこが望の優しいところだと言えば、そうかもしれないけど。
まあ、とりあえず今は、貸本屋に向かうこととしようか。
初めて来る場所だけど、こんなに大きな建物があるのかというくらい、大きな建物だった。
この大きさで本当に木造なのか?
石を積んであるんじゃないだろうか。
「あ、姉ちゃん」
「風華。千秋は?」
「まだだよ。二人は、何か借りる本はないの?」
「望が動物図鑑を借りたいって」
「そうなんだ。ちょうどよかった。私も、りるのために借りてきたところだよ」
そう言って、横に置いてあった風呂敷を指す。
…何だ、あれは。
私が知っている一番大きな本の、さらに倍はあろうかという大きさの風呂敷包みだった。
そして、横に何冊か並べてあの大きさなのではなく、あれでちゃんと一冊らしい。
「あれか…?」
「うん。この貸本屋で一番大きな図鑑。すごいでしょ?」
「あぁ…。すごいな…」
「望、あれ、りると一緒に読んであげてくれない?重いからさ、小さい子だったら、開くのにも難儀するんだよ」
「うん」
「望も、自分で何冊か借りておく?」
「ううん。これでいい」
望がやっと一抱え出来るくらいの大きさだ。
りるなんて、布団として上で寝られるんじゃないかというくらい。
そりゃ、開くのにも難儀するだろう。
ていうか、どうやって持って帰るんだ。
「お待たせしました」
「あ。ありがとうございます」
「いえいえ。この本を借りられる勇者に、祝杯を」
「あはは。ありがとうございます」
「お手伝いしましょうか?」
「いえ。大丈夫です」
「そうですか。では」
ここの職員だろうか、お調子者という言葉がピッタリ合いそうなやつが、荷車を持ってきた。
…そんな用意もあるんだな。
感心するよ。
「姉ちゃん、ちょっと手伝って」
「ああ」
風華と私で図鑑の両端を持って、荷車に積み込む。
荷車は四輪でしっかりしていて、やたら重いこの本を載せても軋みもしなかった。
「あはは。姉ちゃん、さっきから、ビックリしたような顔ばっかり」
「実際、驚いてばかりだよ」
「ここ、来たことなかった?」
「ああ」
「そうなんだ」
「こんな巨大な建物があるとはな…」
「見えなかったの?姉ちゃんの部屋から」
「見えたは見えたんだろうが、ここまで大きいとは思わなかったな」
「へぇ、そうなんだ」
「ああ」
「ここはね、千秋のところとはまた別の豪族が管理してるんだよ。借りるには年会費がちょっと掛かるけど、充分価値はあるよ」
「ふぅん…」
「あと、巨大って言ってたけど、ここはいくつかの区画に分かれてて、もともとは別々の建物だったらしいよ。それを、簡単に囲って繋げてるだけなんだって。簡単にっても、補強の意味とかもあったりするらしいけど。昔は、ここに貸本屋街があって、それを豪族が買い上げて、本格的に整備出来るようにしたらしいよ。だから、入ったら分かるけど、建物の中に街があるみたいになってるんだ」
「よく知ってるな」
「まあ、千秋から聞いたんだけどね」
「なんだ、そうなのか」
「いいじゃん、別にさ。何がダメなのよ」
「ダメとは言ってないが…」
「ねぇ。千秋お姉ちゃんのお手伝い、しなくていいの?」
「ん?あぁ。いいんだって。なんでかは知らないけど。それに、もうすぐ出てくると思うよ」
と、入口に目を向けると、千秋が風呂敷を抱えてこっちに向かってきているところだった。
風華は、ほらねという風に肩を竦めて。
「遅かったな」
「ん?あ、紅葉、望。終わったのか」
「ああ。注文してきた」
「そうか。あそこは確実だから、安心して待ってればいいよ」
「そうさせてもらう」
「目的の本は見つかったの?」
「ん?まあな」
「何を探してたんだ?春本か?」
「またそれかよ!だから違うって!」
「シュンボンって何?」
「望は知らなくていい本だよ…」
「……?」
「ちゃんとした料理の本だっての!」
「そうか」
「まったく…」
荷車を認めると、千秋はそこに本を置く。
積んである本が本だから、普通の本のはずなのに、小人が読むような大きさに見えてしまう。
「えらく大きい本を借りてきたな」
「うん。りるのためにね」
「ふぅん。図鑑か」
「そうだよ。望も読むって」
「そうか。それはいいな。図鑑は読むだけで勉強になる」
「う、うん…」
頭を撫でられて、また赤くなっていた。
千秋がそれを覗き込もうとすると、慌てて顔を逸らしていた。
「なんだ、どうしたんだ?」
「さあな」
「ふむ…?」
「ねぇ、それより、夕飯はどうする?」
「ん?釜屋に来るか?」
「私はそのつもりで聞いたんだけど。姉ちゃんと望は?」
「いいんじゃないか?オレは、それで構わない」
「望も…」
「そうか。じゃあ…って、まだ早いか」
「開店前の準備とかあるでしょ?手伝いにいこうよ」
「うん。そうだな」
「それじゃ、出発!」
「おー」
荷車は、千秋が引いてくれた。
男だから一人でいけると言っていたが、やっぱり重そうだったし、そもそも身体は女なので、後ろから一緒に押してやる。
不本意そうにはしていたが。
夕方と言うにはまだ少し早い中を、釜屋に向かって歩いていった。