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千秋と風華は先に貸本屋に行って。
私と望の二人で、櫛屋に入る。
まあ、櫛屋と言っても香油や鏡なんかも売っているけど。
髪や尻尾の手入れをする道具は一通り揃ってるみたいだった。
「いらっしゃい。何にしましょうか」
「この子が櫛を欲しがっててな」
「ほぅ、櫛ですか。櫛は、そちらですよ」
「ああ。ほら、望。見てこいよ」
「うん…」
「お嬢さんは、こういう店は初めてですかね?」
「そうだな。まあ、いろいろ見繕ってやってくれないか」
「はい。分かりました」
店主は、立ち上がって望の方に向かっていく。
かなり歳がいってるようだけど、足元は確かなようだ。
まだまだ現役、というところだろうか。
店は狭いが、品揃えは豊富なようだ。
「今日は、誰かの紹介ですかね?」
「ああ。千秋というやつなんだけど」
「はぁ。あそこの豪族の千秋ちゃんですか?」
「そうだ」
「千秋ちゃんには、ご贔屓にしてもらってますよ。この前も、りるちゃんってちっちゃい子と一緒に、香油を買いに来ていましたねぇ。誰かに贈るんだと言って。千秋ちゃんも、もうそんな歳になったのかと、嬉しいような、寂しいような、複雑な気持ちです」
「ふぅん」
「誰に贈ったんでしょうかねぇ」
「さあな」
「…と、望ちゃん。これからお手入れを初めるのでしょう?」
「は、はい…」
「そう固くなりなさんな。飴でも舐めますか?」
「あ、も、貰います…」
「はい、どうぞ。紅葉さんもどうぞ」
「なんで、オレの名前を知ってるんだ?」
「千秋ちゃんが香油を贈った相手というのは、あなたでしょう?」
「ああ。よく分かったな」
「分かりますよ。はぐらかし方もそうですが、千秋ちゃんの好みの容姿でいらっしゃる。あなたなら、千秋ちゃんも一目惚れするだろうと」
「よく知ってるんだな」
「長い付き合いですので。…さて、望ちゃん。望ちゃんにピッタリだと思われる櫛を選ってみました。右端から説明していきますね」
「ん、ふぁい」
口に飴を入れたまま、返事をする。
飴の効果があったのか、緊張も少しずつ解れてきているようだ。
「まず、これですが。一番基本の形で、髪にも尻尾にも使っていただけます。材質は竹。竹と言いましてもいろいろあるのですが、これはヤマタケと呼ばれるものです。俗称は、そのままヤマです。知っていますか?」
「ううん。ひりまへん」
「そうですか。では、そこらあたりも説明しておきましょうか。櫛となる竹には、大きく分けて五つの種類があります。おおよその値段で上から言っていくと、リクタケ、アカタケ、ヤマタケ、オオタケ、そしてカラタケです。俗称はそれぞれ、リク、クレナイ、ヤマ、サト、グンジョウです。リクとヤマは、それぞれ略称。クレナイとグンジョウは、竹の色から来ています。グンジョウはそのまま竹の青皮の色なのですが、クレナイと言いましても紅色の竹があるわけではありません。外からの見た目は普通の竹なのですが、節の部分だけが紅色に染まっているんですね。これは、またあとでお見せしましょう。そして最後に、サトは、里に多く生えてる竹だから、ということです。要するに、普段見掛ける竹ですね」
「ふぅん…」
「興味ありませんでしたかね。申し訳ありません」
「ううん。おもひろかっられす」
「そうですか。そう言っていただけると、説明した甲斐があるというものです」
「うん」
「では、この櫛の説明に戻りましょう。竹の櫛というのは、高級だから、値段が高いから、いい櫛だという、そんな単純な公式は当てはまりません。もちろん、お金をたくさん出せば、いい櫛に当たる可能性も高まりますが、たとえば一万円で買ったリクの櫛が、二千円のヤマの櫛に負けるということもあります。というのも、竹の櫛の質を決めているのは、まずは加工技術の質ですからね。その次に、竹の質です。お互いにかなり拮抗していますが、僅かに技術が上回っているといったかんじです。先程の竹の順位は、加工のしやすさを表した順位でもあるんです。リクが一番加工しやすく、細かい加工も出来るというわけですな。しかし、グンジョウにリクの加工が出来ないこともないわけです。もちろん、かなり難しいですが。あと、リクは加工しやすい代わりに、私たち人間の手で育てることは出来ません。クレナイもそうなのですが。量が取れないので、値段も上がります」
「へぇ…」
「おっと。長くなってしまいましたね。悪い癖です」
「仕事に一緒懸命なのはいいことじゃないか。それに、それくらい語ってもらわないと、娘の大切な買い物は任せられないしな」
「そうですか。しかし、まあ、もう少し手短に話していきましょう。望ちゃんも、こんな話ばかりでは退屈でしょう?」
「ううん。面白いよ」
「そうですか?」
「うん」
「それならまあ、少し詳しく話をしていきましょうか」
店主は、楽しそうに笑った。
この仕事が好きなんだろうなってことが、よく分かる。
「この店で扱っているものは全て、最高の技術で以て加工されたものです。よって、選んでもらうのは、単純に素材や相性の良さになってきます。その方が、選びやすいでしょう?」
「でも、素材の良さとか相性の良さなんて、素人にはなかなか分からないものだろ。リクが高級な竹だということくらいしか分からない」
「そのために、私がいるんですよ。私は、もう何十年と経験を積んできましたので」
「そうだな」
「はい。間違いがないと言えば嘘になりますが、万分の一もないと自負しております。安心して、お任せください」
「ああ」
「では、櫛の説明に戻りましょう」
私は部屋の隅から椅子を引っ張ってきて、完全に待つ体勢を取る。
この店主に任せておけば大丈夫だ。
間違いない。
望も、真剣に話を聞いている。
いい櫛を買えることだろう。