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「上手く仕上がったね」
「そ、そうなの?」
「ツヤツヤだよ。鏡、見てみる?」
「う、うーん…。恥ずかしいからいい…」
「そう?可愛いのに」
「………」
望は顔を赤くして俯いてしまう。
…可愛いやつだな。
「姉ちゃんも、香油つけてみたら?」
「なんでだよ」
「もともと、姉ちゃんの香油なんだから。なんでってことはないでしょ」
「オレはいいよ、別に。手入れするほど綺麗な髪をしてるわけでもないしな」
「えー。よく言うよ」
「お前こそ、つけたらどうなんだ。つけてやろうか?」
「い、いいよ、別に…。それにしても、いい匂いだね。狐百合って、こんな匂いなの?」
「いや、知らないけど」
「まあ、狐百合自体、どんな花か知らないしね…。でも、なんで狐百合だったのかな。姉ちゃんは狼だし、どんな関係があるんだろ」
「さあな」
「んー…。花言葉は栄光か。なんか、これは関係ありそうだね」
「何に関係あるんだよ」
「なんか、こう、栄光~ってかんじがするじゃない、姉ちゃんってさ」
「意味が分からない」
「狐百合は、四月十六日の誕生花だよ」
「えっ?」
「千秋お姉ちゃんに聞かれたの。お母さんの誕生日はいつなのかって」
「そうなんだ。でも、誕生花?そんなの初めて聞いたよ」
「ああ。誕生石とかなら聞いたことあるけどな」
「千秋お姉ちゃんに、誕生花の本を見せてもらったんだ。なんか、いろいろ書いてあったよ」
「へぇ…。そんな本があるんだ…」
「そういえば、千秋、昼から貸本屋に行くって言ってたな。オレも行くんだけど。もしかしたら、そこで借りた本かもしれない」
「あぁ、そうかもね。でも、貸本屋か。私も行こうかな」
「千秋に聞いたらどうだ?」
「うん。あとで聞いとくよ。望は行くんだよね?」
「えっ?」
「櫛を買いに行くついでに」
「あ…。行っていいのかな…」
「ん?何を遠慮してるんだ?」
「だって、最初は、千秋お姉ちゃんとお母さんと、二人っきりで行く予定だったんでしょ?」
「風華はついてこようとしてるけどな」
「い、いいじゃん…。ちょっと考えが及ばなかっただけだよ!」
「そういうことだし、まあ、気にすることもないだろう。私が連れていくと言えば、千秋も頷かないわけにはいかないだろうし」
「強引だねぇ。姉ちゃんは」
「望が櫛を欲しがってるんだ。用がなければ外に出ないことを考えて、千秋と二人っきりの逢引と天秤に掛ければ、望の方に傾くに決まっている」
「可哀想に…」
「ふん。だいたい、千秋はそんなに度量の狭いやつじゃない。快く認めてくれるだろうよ」
「そうだけどさぁ」
どうやら、風華の中ではなかなか納得のいかない事柄らしい。
まあ、一度千秋に聞いてみれば、はっきりすることなんだから。
行く前に聞いておけば、それでいい。
ドタドタと廊下を走る音が聞こえてくる。
その音は一度医療室の前を通り過ぎ、またすぐに戻ってきた。
そして、勢いよく扉が開いて。
「終わった!」
「そうか」
「医療室では静かにね、りる」
「うん!」
分かっているのかいないのか、またバタバタと走ってきて、私の膝の上に座る。
りるの髪の毛からは、ふんわりと甘い匂いがした。
「疲れた!」
「そうか」
「おかーさん、抱っこして!」
「もうしてるだろ」
「んー…」
「ご機嫌斜めだね」
「図鑑は読まなかったのか?」
「字ばっかりで分かんなかった」
「字ばっかり?辞書でも読んでたのかな」
「普通の本が混じってたんじゃないか?」
「どっちにしろ、読めないんだったら、美希に取り替えてもらったらよかったのに」
「ヤ!」
「負けず嫌いなんだね…」
「分からないところは美希に聞けばよかったんだ。読めなくてつまらなかったからといって、臍を曲げてるんじゃない」
「うぅ…」
「でも、美希もなんで読ませてたんだろ。気付かないわけないよね」
「与えるばかりでは意味がないからな。りるが聞くまで待ってたんだろうよ」
「そうなのかな」
「たぶんな」
「…あ、いたいた」
「ん?なんだ、千秋か」
開けっ放しになっていた入口に、千秋がいた。
こっちに軽く手を振ると、中に入ってきて。
「なんだはないだろ」
「何か用か」
「いや、りるを追い掛けたら、紅葉のところに着くかと思ってな」
「探知機だね、まるで…」
「まあ、途中で見失ったんだけど。そこの角で」
「ふぅん」
「それで?何か用なのか?」
「用があるのは、むしろ私たちだけどね…」
「ん?なんだ?」
「昼から、貸本屋に行くんだって?」
「そうだけど。一緒に行くか?」
「えっ?あ、うん。それを言うつもりだったんだけどね…」
「ふぅん。そうなのか。いいんじゃないか?二人とも?」
「望は、櫛も買いに行くんだ」
「そうか。分かった。じゃあ、昼ごはんが終わったらすぐにでも行こうか」
「うん。そうだね」
やっぱり許可してくれたじゃないかと風華に首を傾げてみせると、肩を竦めていた。
千秋は、何があったのかと私と風華を交互に見て。
「そういえば、いい香りがするな。香油か?」
「ああ。望と、たぶんりるもつけてる」
「りるは知ってるけど。望は何だ?何の香油をつけてるんだ?」
「えっ?うーん…」
なぜか、恥ずかしそうにモジモジとする。
…何なんだ?
よく分からない行動。
しかし、一向に話す気配はないので、代わりに答えておく。
「狐百合だよ。お前が前に買ってきてくれた」
「あぁ、そうなんだ」
「姉ちゃん、自分の髪には一滴だって使ってないんだよ?」
「そうだろうな。使ってる方がビックリだ」
「えっ?」
「俺は別に、紅葉に使ってもらいたくて買ったわけじゃないからな。香油なんて使わないってことは分かってたし」
「じゃあ、なんで買ったの?」
「んー…。そういえば、なんでだろうな…。そうは思ってても、やっぱり、紅葉につけてもらいたかったのかもしれないな」
「ほらぁ。やっぱり」
「かもしれない、だろ。胸を張るには弱いぞ」
「うっ…」
「ははは。まあ、望につけてもらえたなら、それで満足だよ」
「………」
千秋に頭を撫でられて、また顔を赤くしている。
…何なんだろうな。
千秋に対する望の反応は。
可愛い反応だ。