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とりあえず、洗濯も終わった。
美希が代理の当番もやってくれたから、朝ごはんも食べられたし。
今から昼まで、本当にすることがない。
「暇そうだね」
「暇だからな」
「お母さん、暇なの?」
「ああ。暇だ」
「もう…。ちょっとくらい、見栄を張ったら?」
「こんなところで見栄を張っても仕方ないだろ。すぐに分かることなんだし」
「だからと言って、堂々と暇だ、なんて言うこともないでしょ」
「事実を事実として述べているだけだ」
「もう…」
望の頭を撫でる。
暇だからな。
暇でなくとも撫でるけど。
「なんか、手伝いとかしてきたら?」
「あったら苦労しない」
「苦労してるの?」
「ある意味な」
「そうだろうけどさ…」
「お前こそ、何か手伝ってほしいことはないのか?」
「えっ?うーん…。そう言われれば、ないかなぁ」
「そういうことだ。私に手伝ってほしいことなんて、誰も持ってないんだよ」
「そういじけないでよ」
「いじけてない」
「…ねぇ、お母さん」
「ん?どうした?」
「りるたちが、美希お姉ちゃんに髪のお手入れとかしてもらってるの、知ってる?」
「ああ。お前もやってほしいのか?」
「うん」
「そうか」
「姉ちゃんとは違って、望はちゃんと女の子なんだねー」
「下らないことを言ってないで、櫛を出しておいてくれないか。オレは、ちょっと取りにいくものがあるから」
「はいはい」
風華の返事を聞いてから、立ち上がって、医療室を出る。
…望なりに気を遣ってくれたんだろうか。
それは分からないけど。
でも、髪の手入れなんて、望の年頃になれば、自分で出来るんじゃないだろうか。
私にやってもらいたかった…と思うのは、自意識過剰かな。
まあ、縁がなければ、やるものでもないしな。
私みたいに。
「さて…」
自分の部屋に戻ってきたわけだけど。
…千秋が買ってきてくれた香油。
ただ燃やして香りを楽しむだけじゃ、やっぱり勿体ないからな。
千秋は私に使ってほしかったのかもしれないけど、すまないが使わせてもらおう。
いい香りだしな。
引き出しから香油を取り出して、また医療室に戻る。
「あ、その香油」
「望に付けてやろうと思ってな」
「姉ちゃん、香油の使い方、分かってるの?」
「何が言いたいのかは知らないが、それくらい知ってる」
「ふぅん。あ、霧吹きとかいる?」
「いや。これ自体が霧吹きになってる」
「へぇ」
「櫛は?」
「あるよ。はい」
「ん?リクの櫛か」
「あはは、安物だけどね。そういえば、弥生もリクの櫛、持ってたね。結構高級なやつ」
「翔に買ってもらったんだろ」
「うん。まあ、でも、女の子としては、櫛の一本くらい持ってたいよね~」
「オレは男だ」
「あ、やっぱり?」
「嘘に決まってるだろ」
「まあまあ。そう怒らないの」
「………」
「お姉ちゃん」
「あ、何?どうしたの?」
「女の子なら、櫛を持ってるものなの?」
「ん?まあ、身嗜みとか気になるようになってきたら持つようになるかな。…望、欲しい?」
「えっ、うーん…」
「欲しいんだったら、姉ちゃんにねだってみなよ。リクでも鼈甲でも、何だって買ってくれるよ。望が欲しいって言うならね」
「んー…」
まあ、確かにそうしてやるつもりではあったけど。
風華が言うと、悪事を唆しているように聞こえるのはなんでだろうか。
でも、望はどうも歯切れが悪い。
「どうしたの?」
「うーん…。望、櫛を買ってもらっても、自分でお手入れする方法が分からないから…」
「あぁ、なんだ、そんなこと?大丈夫だよ。みんな、最初は分からないものなんだから。望にやる気があるんだったら、私が教えてあげるよ。なんだったら、美希とかに教えてもらってもいいだろうし。ね、だから」
「…うん、分かった。お母さん、あのね」
「なんだ?」
「私、櫛を買ってほしい。その…綺麗に、お手入れしたいから」
「ん。そうか。じゃあ、昼から外に出るから、そのときに買いにいこうか」
「うん!」
望も、そういうことが気になる年頃というわけか。
日々成長しているんだな。
あるいは、今まで言い出せなかったのか。
「まあさ、今日は姉ちゃんにやってもらいなよ。明日から教えてあげるよ」
「うん。お母さん、お願い」
「ああ。ほら、来い」
「えへへ」
トテトテと走ってくると、私の前に座って。
それから、パタパタと尻尾を振って、催促をする。
私も風華から櫛を受け取って、早速髪の毛から鋤いていく。
「綺麗な先白だな」
「えっ?そ、そうかな…」
「先白は、空気に弱い色素が、髪が伸びるにつれて抜けていくことによって起きるんだよ。空気に晒されることにで抜けていくんだね。まあ、色が抜け始める時間とか、抜けていく度合いは、人によって違うけど。望は、ちょっと短めで、抜け始めたらすぐに抜けるんだね」
「ふぅん…」
「私の村にもいたんだけど、色素が結構強くてなかなか抜けない人が髪を伸ばしてると、黒色から白色まで色が変わっていくのが見られるんだよ」
「ほぅ。面白そうだな」
「まあ、でも、そういう人は、望みたいに白黒はっきり分かれてるのに憧れるみたいだよ。そっちの方が先白っぽいし、綺麗に見えるんだって」
「ふぅん。考え方はいろいろだな」
「うん、そうだね。望はどう思う?」
「えっ?うーん…。お、お母さんが、綺麗って褒めてくれたから、こっちの方がいいかな…」
「あはは、そっか。うん、私もいいと思うよ」
「う、うん…」
ぎこちなく返事をしながら、望は俯いてしまう。
向こうを見ているから分からないが、たぶん顔を真っ赤にしていることだろう。
「綺麗な髪は、それ相応に綺麗にしておかないとね~」
「そうだな」
「………」
「ところで、それ、何の香りがするの?」
「さあな。見てみろよ」
「んー…?狐百合?へぇ、そんなのあるんだ。でも、なんで狐百合?」
「知らないよ。千秋に聞け」
「そうだよね、千秋からの贈り物なんだよねー」
「ああ」
「それならやっぱり、姉ちゃんが付けた方がいいんじゃないの?」
「まあ、そうかもしれないが、オレが貰ったものをどう使おうが、オレの勝手だろ?」
「あーあ。千秋、可哀想に」
「ふん」
この香油も、望に付けてもらった方が本望というものだろう。
付ける気のない私に使われるよりは。
…風華が余計なことを言うから、望も不安そうにこっちを見てるじゃないか。
大丈夫だと頭を撫でてやって、前を向かせる。
まあ、いちおう、あとで千秋にも謝っておこうかな。