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今日の門番が門を開け、橋を降ろした。
すると、すぐにその橋を渡ってくる者が二人。
一人はいつもの郵便で、もう一人はもちろん秋華だった。
…何がもちろんなのかは知らないけど。
二人はそのまま真っ直ぐ、城の中へ入っていった。
そして、郵便が帰っていくのと同じくらいに、廊下から足音が聞こえてきて。
「師匠!」
「………」
「は、はい?」
無言で手招きをして、秋華を屋根縁に呼び込んだ。
秋華は少し戸惑いながら、寝ているみんなの間を通ってやってくる。
そして、私の前まで来ると、神妙な面持ちで正座をして。
「ど、どうしましたか」
「いつも言ってることなんだけどな。朝から元気なのはいいことだが、みんな、まだ寝てるんだから。大きな声を出すな」
「す、すみません…」
「まったく…。それで、今日は何だ。竹刀なんか持って」
「あ、はいっ。道場に行く前に、師匠に挨拶をしておこうかと思いまして」
「そうか。まあ、休みの前が剣道だったから、今日は拳法だと思うけどな」
「えっ!あっ!ま、間違えましたっ!」
「はぁ…。まあ、頑張ってこいよ」
「は、はいっ!では、失礼しますっ!」
急いで立ち上がってお辞儀をすると、そのまま走っていってしまった。
しばらく広場を見ていると、さっき来たときの半分くらいの時間で秋華が出てきて。
猛烈な速さで駆け抜けていった。
…意外と足が速いんだな。
いやまあ、足腰は特に重点的に強化してるみたいだし、意外というのは間違っているか。
「さて…」
どうするかな。
手持ち無沙汰だ。
二度寝をしてもいいんだけど…。
まあ、とりあえず、部屋を出る。
昨日があれだったから、調理当番が起きている可能性はかなり低いだろう。
厨房に行くのは、たぶん無駄だ。
ということで…どこに行くかな…。
思い付くままに廊下を歩いてみる。
とは言っても、結局は階段に出てくるんだけど。
…千秋は起きてるだろうか。
階段を上がって、屋根裏を覗いてみる。
「………」
ぐっすりと眠っているようだった。
起こさないように屋根裏に上がって、千秋の横に座ってみる。
…何も考えてなさそうな、平穏な寝顔だな。
口が少し開いてるのが間抜けだろうか。
その口に、指を入れてみる。
「ん…」
少し呻き声を上げたが、起きてはいないようだ。
面白いので、口の中を触ってみる。
…歯並びはかなりいいな。
理想の歯並びと言っても差し支えはないだろう。
舌に触ってみる。
ふにふにと柔らかく、触り心地もいい。
美人というのは、身体中のどこも美人なんだろうか。
「んぅ…?」
「起きたか」
「んっ!な、なにひへぬんら!」
「何って、お前の口の中に指を入れている」
「や、やねの!」
バッと聞こえんばかりの勢いで起き上がると、そのまま後ろに飛び退いた。
…姉妹揃って、運動神経はかなりいいみたいだな。
「顔、真っ赤だぞ。火がつきそうだ」
「ついてるよ!な、なんでこんなこと!」
「ん?面白いから、かな」
「俺は恥ずかしい!」
「そうなのか?」
「当たり前だろ!いくら新婚だからって…!」
「まあ、新婚と言う割には、部屋は別だけどな」
「そ、それは…」
「オレの指は美味かったか?」
「あっ!そうだ!汚いから!ほら、これで拭け!」
そう言って、脇に置いてあった手拭いを投げて寄越す。
受け取ることは受け取るが、これではつまらないな。
「拭かなくても、舐めればいいんじゃないか?」
「……!」
真っ赤だった顔が、さらに赤くなった。
逆上せてるんじゃないかと思うくらい。
まあ、似たようなものか。
舐めたら、本当に卒倒するんじゃないだろうか。
「やめっ、やめろっ!き、汚いからっ!」
「まあ、寝起きの口の中は雑菌だらけと聞くがな」
「そ、そうだっ!だから、やめろっ!」
「まったく…」
朝から騒がしい姉妹だ。
まあ、千秋を騒がしてるのは私なんだけど。
…しかし、このまま終わらせるのは勿体ないな。
千秋がこちらを凝視してるのを確認してから、舌の先で少しだけ指を舐めてみせる。
「い、紅葉!」
「冗談だ」
「冗談って、今、完璧に舐めただろ!」
「ああ。千秋の味がした」
「なっ!」
「冗談だ」
「冗談じゃないっ!」
「ふふふ」
うん。
いい反応が見られた。
満足だ。
手拭いで、手を拭いておく。
千秋はまだ何か文句を言ってるけど。
「ところで、お前、今日は何か予定はあるのか?」
「えっ?あ、いや、別に…。何もないけど」
「そうか」
「何なんだ?」
「いや、別に。何かあるなら、ついていこうかと思ってな。オレ自身、何もすることないし」
「休みか?」
「まあ、休みと言えば、毎日休みのようなものだけどな…」
「そうなのか?いつでも、外に出たり、広場で何か鍛練とかやってたみたいだから、忙しいのかと思ってたけど」
「衛士としての仕事は何ひとつしていない。言うなれば、給料泥棒だな」
「ふぅん…」
「まあ、何もないなら、また別の何かを探すよ」
「あ、いや、今日の予定じゃなかったんだけど、ちょっと貸本屋に行きたいと思ってて。今日、何もないし、ちょうど思い出せたから、行こうかと思うんだけど」
「貸本屋?何を借りるんだ?春本か?」
「バ、バカか!そんなもん借りんわ!」
「そうか」
「そもそも、そんな本は置いてないし!」
「ふぅん」
「ふ、普通の料理の本を借りにいくんだよ!」
「料理?お前、料理するのか」
「釜屋で、少しな…。厨房に入れるようになったら、給金を上げてもらえるから」
「給金?今の分じゃ、足りないのか?」
「えっ?あ、いや…。そんなことはないけど…」
「……?」
なんだ?
欲しいものでもあるんだろうか。
手をモジモジさせて、変なやつだ。
…まあ、何か目標を持って働けるというのはいいことだ。
何が目標なのか、聞きたいところだけど。
とりあえず、それは、置いておこう。
「じゃあ、貸本屋だな」
「…えっ?」
「貸本屋だな?」
「あ、うん。昼ごはんを食べてから行こうと思う」
「分かった」
これで、昼からの予定は埋まったな。
次は、これからの予定を探さないとな…。