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今日は、秋華は家に帰るらしい。
雨が止んだ夕焼け空の中を、歩いていった。
正門の前で、風華とそれを見送って。
「止んだね、雨」
「そうだな」
「明日は晴れかな」
「たぶんな」
「夕飯くらい、食べていってもよかったのにね」
「まあ、昨日も泊まってるしな。今日は帰りたかったんだろう」
「ふぅん」
まあ、秋華もここを気に入ってくれてるらしいけど、家も大切だ。
ここでも鍛練をするとはいえ、泊まり込みをするほどでもないし、私はやっぱり毎日でも帰るべきだと思う。
「千秋、秋華の見送りくらいしてもよかったのに」
「秋華には、もういつだって会えるんだから。仕事も大切なんだし、秋華も見送ってもらうよりも仕事に行ってもらう方が嬉しいんじゃないか?」
「どうだろうねぇ。女心って、そんな単純じゃないよ?」
「なんだ、オレが女心が分かってないみたいな言い草だな」
「えぇ、分かってるんだ、姉ちゃん」
「オレは女だ。オレの心は女心だろう」
「えぇ~。そうかなぁ?オレとか言っちゃってるし。喋り方もふてぶてしいし」
「一人称や喋り方は関係ないだろ。だいたい、そう言うお前こそ分かってるのか?女心が」
「分かってるよ。丸分かりだよ。純情で真っ直ぐな乙女心。そして、その内に秘められた、恋する複雑な心を持つ私は…」
「誰に恋してるんだ」
「えっ?別に誰にも」
「つまり、それはただのお前の頭の中の妄想だということだ」
「し、失敬な!恋なんてしなくてもね、恋心くらい分かるよ!」
「そう豪語するところが、まだまだ甘いというものだ」
「うぅ~」
風華が威嚇する。
いや、むしろ負け惜しみか?
「何やってんの、二人で?」
「えっ?あ。灯。お帰り」
「ただいま」
「他のみんなは?」
「ちょっとね。買い出しだよ」
「え?なんで?」
「むふふ~。まあ、そのうち分かるよ」
「ふぅん?」
灯は必死に隠しているようだけど、どうしても喜びが溢れてきてしまっている。
今にも走り出しそうな、そんなかんじ。
でも、敢えてそれを抑えて、平静を装いつつ通り過ぎていった。
風華もそれが分かっているのか、少しニッコリ。
…まあ、とりあえず、私たちも戻るか。
風華に合図を送って、灯のあとについて歩いていく。
夕飯は実に豪華なものだった。
まだ予選突破だけだというのに。
調理班総出で作ったらしい。
「なんか、すごいね」
「そうだな」
「優勝したらどうなるんだろ」
「さあな」
鶏の照り焼きを摘まみながら、広間を見回してみる。
まあ、いつぞやの酒宴には劣るが、それでもかなりの盛り上がりようだった。
それこそ、こういう宴が開かれることが分かっていたはずの灯が戸惑うくらいに。
「な、なんかヤだよ、これ…。みんなを見下ろしてるみたいで…」
「みたい、じゃなくて、見下ろしてるんだよ、実際」
「うぅ…」
なぜか、灯は一段高いところに座っている。
前に並べられている料理も一際豪華で、灯の好物ばかりだ。
「まあ、今晩だけのことだ。我慢しろ」
「みんな、大袈裟なんだよ…。予選を突破したくらいで…」
「でも、止めなかったのもお前だ」
「こんなに豪華になるなんて思わなかったんだよ…」
「まあいいじゃん。家族のハレの日は、みんな、お祝いしたい気持ちは一緒だろうし」
「まだ予選突破段階だよ?こんなにお祝いされちゃ、本選がかなり重たくなるよ…」
「まあ、ある程度重圧を掛けておいて、良い成績を出してもらおうってのもあるんだろう。でも、風華の言う通り、祝いたい気持ちはみんな同じなんだ。たとえば、今日我慢して、本選でお前の成績が不振だった場合、こいつらはいたく後悔するはずだ。なんで、あのときにやらなかったんだろうってな。まあ、今の時点でそこまで考えてるやつはいないかもしれないが、いいことってのは、後回しにしても増えたりしないんだから。だから、今このときに、昇華させてしまうのが一番なんだよ」
「うっ…」
「それに、人の好意は素直に受け取っておくものだ」
「で、でも…」
「オレたちを、こうやって見下ろす機会もそうそうないだろ。お前は背が低いしな。今のうちに、たっぷりと楽しんでおけ。それとも、オレがそこに座って、お前を跪かせてやろうか?」
「なっ…!」
「あはは…。まあ、灯よりは適任だろうね…」
「どうだ。名案だろ?」
「ふん!いいもんね!私がお姉ちゃんを見下してやるんだから!」
「はは、その意気だ」
「そこに跪け!」
「はっ」
灯に言われた通りに、足下まで行って片膝をつく。
少し顔を上げてみると、灯はかなり動揺してるみたいだった。
まあ、そうは言っても、あんまり調子に乗るなという示唆だ。
立ち上がって頭を小突いてやると、不満そうな目で私を睨んでいた。
調理班のやつらは、まだ騒いでるらしい。
灯が、疲れ切って部屋に帰ってしまったあとも。
…灯の予選突破を口実に、ただ騒ぎたかっただけなんじゃないかと思ってしまうほどだ。
まあ、そうじゃないことは、よく分かってるけど。
「騒がしかったな」
「お前は早々に引き上げていったみたいだったが」
「…騒がしいのは苦手だ」
「涼の食堂で働いてるんだろ?」
「あれは仕事だからな。それに、苦手だというだけで、嫌いではない」
「そうか」
「…違うんだからな、苦手と嫌いは」
「分かってるって」
「…ならいい」
ツカサは、膝枕で寝ている望の髪を撫でて。
…普通は、男女が逆のように思うけど。
いやまあ、普通とか普通じゃないとか、そんなことを考えること自体が無粋か。
「…なかなか帰ってこないな、みんな。女は長風呂だとは言うけど」
「気になるなら見にいけばいいだろ?たぶん、まだ入ってると思うぞ」
「………」
ボッという音が聞こえそうなくらい、ツカサの顔が急激に赤くなった。
こういうことに関しては、全く純情だな、こいつは。
…しかし、誰を想像して赤くなってるんだろうか。
少し気になる。
「風華か?」
「な、何が…」
「誰の裸を想像したんだ。ナナヤか?」
「ち、違う!」
「やっぱり風華なのか?」
「違うって!」
「じゃあ、誰なんだ。ナナヤなんかは、なかなかいい身体つきをしていると思うけど」
「げ、下品だぞ、そんなことを言うのは!」
「年頃の男の子というのは、常々そんなことを考えているんじゃないのか?」
「か、考えてない!」
「そうか。意外だな」
「何の話?」
「うわっ!」
「……?」
「いやな。ツカサはウブだなって話をしてたんだ」
「ふぅん?可愛い女の子を膝枕してるスケコマシがウブねぇ」
「………」
ナナヤが覗き込むと、殊更顔を赤くして、目を逸らす。
そういえば、二人は盗賊時代はどういう関係だったんだろうか。
歳の近い、年長者同士。
兄妹?仲間?家族?
マオたちとは、どういう関係だったんだろうか。
気にならないでもない。
…でもまあ、今はいいか。
顔を赤くするツカサを見て面白がってたナナヤも、だんだん顔が赤くなってきた。
結局、二人とも、年頃のウブな男女というわけだ。
じゃあ、それを横から見て、面白いと思ってる私は、何なんだろうな。