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進太が作った昼ごはんを食べ、一息ついてから、私の部屋に行く。
京介には、三ヶ月無給の代わりに、小言をみっちりと贈呈しておいた。
今頃は、逢瀬を邪魔された進太の不平不満を聞いていることだろう。
まあ、ナナヤも昼ごはんを食べに行くだろうし、それ自体は一時的なものだろうが。
しかし、仕事を怠ける度に同じような目に遭っているのに、あいつには懲りるとか学習能力というものがないのか。
隠れる場所は、毎度毎度違うが…それとは別のところで努力してほしいものだ。
「じゃあ、もう一度ね」
「はいっ」
「はぁい」
風華が、お手製の弦楽器を掻き鳴らす。
光の歌声と一緒に聞こえていたのは、この楽器の音だったのか。
形は琴に似てるけど、張っている弦は金属で出来ていて、琴にはない独特の鋭さがある。
だけど、奏でる旋律は琴に負けず劣らず柔らかで優しいものなのが、不思議だった。
「んー。秋華、ちょっと低いね」
「そ、そうですか?」
「うん。今から出す音を、ちょっと真似してみて」
「は、はいっ!」
次は一本ずつ、単音で弾いていく。
秋華は、寸分違わず、同じ高さの声を出してみせて。
「あ、あのっ。どうでしょうか?」
「んー。音はちゃんと取れるみたいなんだけどね。光と合わせるとダメみたい」
「は、はぁ…」
「秋華の旋律の方が高いからね。光の声につられちゃってるんだよ」
「そ、そうなのですか…」
「うん。じゃあ、次はゆっくり合わせてみようか。低くならないように、意識して」
「はいっ」
最初の拍子を取って、琴を弾き始める。
まあ、集中力を高める意味では、合唱もいい心の鍛練になるだろうな。
秋華も、分かってか分からずか、一所懸命に取り組んでいる。
…しかし、風華にこんな特技があったとはな。
意外ではないが、楽器を演奏するというのはなかなか難しいことだから。
誰かに教わったんだろうか。
「うん、いいかんじだね。拍子を上げていくから、二人とも、もう少し集中して」
「はいっ」
「はぁい」
さっきより少し拍子を上げて。
秋華もよく集中しているな。
この速さでも、音のズレは改善されている。
「うん、いいね。もう戻してもいいかな」
「あ、あのっ」
「ん?」
「集中して音が正しくなるのはいいのですが、これでは光の声が聞こえませんっ」
「んー、聞こえてたから、つられてたんだけどね…」
「そ、そうなのですか…」
「うん。集中して聞こえなくなるなら、今はそれでいいと思うんだけどね。どうしても聞きたいんだったら…」
と、私の方を見る。
秋華と光も、それにつられてこっちを見て。
…私か?
「姉ちゃん、出来るよね?」
「何がだよ」
「合唱」
「出来ないこともないだろうが…」
「じゃあさ、二人に聴かせると思ってさ。私とやってみようよ」
「えぇ…?うーん…」
「わたし、お母さんの歌、聞きたいな」
「私もですっ!師匠、是非っ!」
「………。はぁ…。仕方ないな…」
「えへへ、やりましたっ!」
「さっき聞いてたよね。歌える?」
「歌える…と思う」
「うん。まあ、大丈夫だよね」
「そうだな…」
「じゃあ、ちょっと音合わせね」
風華が、また琴を鳴らして。
私も少し声を出して、その音に合わせる。
「いいね。いくよ」
「ああ」
「あ、私が上を歌うから、姉ちゃんは下をお願いね」「分かった」
「うん。それじゃ、改めて」
琴の端を叩き、拍子を取る。
そして、二人の練習のときより音を多くして、たぶん、もともとの音で弾き始めて。
風華の旋律に合わせ、光が歌っていた下の旋律を歌う。
「はわぁ~、すごいですねぇ」
「うん」
歌い終わったあと、パチパチと二人から拍手を貰う。
…なんか、路上で二人で弾き語りをしている気分になるな。
風華もすっかり役になりきって、二人に手を振ったりしているし。
「まあ、こんなかんじだよ。二人も、きちんと歌えたら、あんな風になるから」
「へぇ…。そうなのですか…」
「相手の声を聞きながら自分の旋律を歌うっていうのは、さっきも言ったけど、なかなか難しいからね。今はとにかく、自分の声に集中すること」
「はい…。分かりました…」
「ところで、何の歌なんだ、これは?」
「えっ、知らない?」
「知っていたら聞かない」
「まあ、そうだけど…」
「それで?」
「陽城春子の歌だよ」
「なんだ、そうなのか。教えてもらったのか?」
「うん、ちょっと違うけど。…って、陽城春子は知ってるんだ」
「今朝知った」
「へぇ。まあ、姉ちゃん、そういうのには疎そうだもんね」
「そうだな」
「私が付けてるんだよ、曲は。歌詞は美希が考えるんだけどね」
「お前、作曲が出来るのか」
「あはは、作曲なんて。だいたいの音の流れは美希が考えてくるから、少し手を加えて、あとは伴奏を付けるだけ。まあ、要するに編曲担当だね」
「ふぅん…。知らなかったな…」
「美希も、大々的にやってるわけじゃないからね。弾き語りをするときだって、お面で顔を隠してるみたいだし」
「謎の歌手だな。でも、秋華の執事が追っ掛けをやってると聞いたが。路上の弾き語りでも、そういうのは出てくるものなのか?」
「はいっ。路上で歌うような方は、いつどこで始めるか分からないので、追っ掛け同士の情報網が大切だと聞きました。陽城春子さん以外にも、そういう人は何人かいるそうですし。持ちつ持たれつ、らしいですっ」
「うん。目立った活動をしてなくても、好きになってくれれば、そういう人たちも集まってくるし。歌で大舞台に立つってことだけが、歌手の目標じゃないってこと。今はね」
「ふぅん…」
「まあ、美希の場合、自分の想いを伝えたいんじゃないかな。歌を通して」
「どんな想いなんだ?」
「んー。美希は、いろんなところを旅して、いろんなことを見聞きしてきたから。それから、ここに来たあとのこと。まあ、いろいろだね」
「よく分からないな、それでは」
「うん。私も分からない。美希も分からないんじゃないかな」
「陽城春子さんの歌には、歌詞のない部分が多いんです。りるが鼻唄を歌っていましたが、ああいうかんじで。口笛を吹いたりもするんですよ。執事によりますと、それも歌の一部らしいのですが。それが、陽城春子さんの特徴だって。その…よく分からない想いが、そういうところに出てるんじゃないかと、私は思うんです」
「ふぅん。言葉に出来ない想いか」
「そうだね」
そして、少し琴を鳴らす。
…伝えたいこと。
音楽で伝えられること、音楽でしか伝えられないこと。
そういうものもあるんだろう。
そして、美希はそれを伝えたいと思っている。
それならば、歌を歌うということも、なるほど順当なことなんだろうな。