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洗濯が終わると、いつかのように、広間は大量の洗濯物でいっぱいになった。
そして、また縄に乗って遊んでるチビたち。
りるも、その一人だった。
縄から縄を自由自在に渡り歩いて、もはや大道芸人だな。
「み、みんな、大丈夫でしょうか…」
「何がだよ」
「縄が切れたりしたら、危ないです…」
「大丈夫だろ、たぶん」
「えぇ…。たぶんって…」
「落ちても大丈夫なように、布団も重ねてあるじゃないか」
「それはそうですが…」
「お前も遊んできたらどうだ。楽しいぞ」
「い、いえ…。いいです…」
「そうか」
もしかして、高所恐怖症だったりするんだろうか。
しかし、秋華の心配なんて他所に、みんな思い思いに遊んでいて。
まあ、洗濯を始めたやつらも、チビたちがこういう遊びをすることは分かってただろうし、縄もそれなりのものを選んでいる。
しっかり固定もされているし、危険な箇所はどこにも見当たらない。
「あ、ここにいたんだ、お姉ちゃん」
「ん?灯か。もう行くのか?」
「うん。向こうで準備もあるしね」
「そうか」
「あっ!灯さんっ!もう行くんですか?」
「うん」
「そうですか。頑張ってくださいねっ!」
「ありがと」
「見送ろうか?」
「んー。どっちでもいいかな。みんな、会場まで応援に来てくれるって言ってるし、まあ、それなら見送りもいいかなって」
「会場?一般客が行っていいのか?」
「観戦は認められてるよ。助っ人とかはダメだけど」
「どこでやるんだ?」
「ユールオの総合会館だよ」
「ふぅん。まあ、あそこなら充分な広さはあるか」
「うん。一般観戦は二百人くらい入れるらしいけど、他のところの人もいるからね。うちも、会場に入るのは五人かな」
「そうか」
「お姉ちゃんも来る?」
「来てほしいのか?」
「んー…。緊張するからいいや」
「ふん。お前が緊張なんて、考えられないな」
「失敬だなぁ。これでも、かなり緊張してるんだよ?足もガクガクだし」
「その割には真っ直ぐ立ってるな」
「もう…。そういうこと言わないの」
「まあ、門のところまで一緒に行こうか」
「うん。ありがと」
「秋華も来るか?」
「あ、はい。是非っ!」
「よし。じゃあ、行こうか」
立ち上がって、広間を出る。
雨だし、チビたちはみんな広間にいるからか、廊下は閑散としていた。
桜に限らず、雨が降ったら気力が減退するというやつはたくさんいる。
そういうのもあるんだろう。
「いつも思うんだけどさ」
「なんだ」
「お姉ちゃんって、なんでそんなになんかいろいろ出来るの?」
「あっ!そうですっ!師匠は武道にも長けてらっしゃいますし、絵も上手いですし…。一人でそんないろいろ出来て、ずるいですっ!」
「ずるいって…。オレ自身、そんなに出来るとは思わないけど…」
「お姉ちゃんが出来てないなら、私なんてダメダメじゃない」
「私なんて、ダメダメダメダメですよっ!」
「オレを過大評価しすぎだし、自分自身を過小評価しすぎだ、それは」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」
「私は、過小評価出来るほど大きなものは持ってませんし…」
「オレはお前たちが持ってないものを持ってるかもしれないが、お前たちはオレが持ってないものを持っている。人間の価値なんて、横に並べて較べられるものでもない。一人一人、唯一無二の存在なんだからな」
「でも、同じものなら較べられますよね…。私は、師匠には武道では敵いませんし…」
「オレは秋華より修練を積んできたというだけだ。持っている力の差ではなく、経験の差ということ。オレと同じだけ修練を積めば、秋華ならオレなんて軽く越えていけるだろう。持っている力を較べるとするなら、お前の方が上だ」
「言う人が言えば、嫌味にだって聞こえるんだけどね、そういうのは。でも、お姉ちゃんが言えば、そうでもないよね」
「オレは嫌味で言ってるわけじゃないからな。まあ、それに関しては、ある種の能力と言えばそうなのかもしれない」
「師匠は、多くの能力を持っています…。それでいて、ちっとも嫌味じゃない…。やっぱり、すごい方なんです…」
「…お前たちは、もっと自分を観察するところから始めた方がいいかもな。持っていないものじゃなくて、自分が持っているものを認識するんだ」
「お姉ちゃんもね」
…二人とも、私が何かいろいろ持ってるというようなことばかり言うけど。
でも、私からしてみれば、二人の方が煌やかなものを持っている。
ただ、それに気付いてないだけだ。
「ん、あれ?」
「なんだよ」
「なんですか?」
「歌が聞こえる」
「…そういえば、お前、陽城春子って知ってるか?」
「知ってるよ。それがどうかしたの?」
「いや、りるがそいつの歌を知ってるらしくてな。なんでだろうと思ってたんだ」
「ふぅん。歌ってたの?」
「ああ」
「そうなんだ。でも、吹き込んだのは私じゃないよ。美希だから」
「美希が?」
「うん。お姉ちゃんは知らないかもしれないけどね」
「…うん?何を知らないんだ?」
「まあ、そういうことだよ」
「勿体振るな」
「秋華は、陽城春子のこと、知ってる?」
「はい。歌だけですが」
「歌だけ?珍しいね」
「私の執事が熱心な追っ掛けなんです。だから、歌は知ってるのですが」
「へぇ。そうなんだ」
「美希さんがどうかしたのですか?」
「ん?んー、まあね」
「……?」
「そこまでして隠す必要があるのか?」
「本人は、結構嫌がってるからね」
「ふぅん…。そういうことか」
「えっ?どういうことなんですか?」
「まあ、分かってくれない方が、私としても美希としても有難いんだけどね」
「はぁ、そうですか…」
つまり、美希が陽城春子の正体というわけか。
しかし、そんなに人気の歌手なのか、あいつは。
まあ、旅の路銀稼ぎには、一曲歌って…というのはちょうどよかったのかもしれない。
「それにしても、あの歌、何なのかな」
「さあな」
「誰が歌ってるんだろ」
「えっ、歌ですか?私には聞こえないですが…」
「どこから聞こえてくるんだろ。不思議な歌だね」
「まあ、そうだな」
「うぅ…。仲間外れにされてる気分です…」
「んー…」
灯は秋華の髪を触りながら、首を傾げる。
…誰が歌ってるのか、というのは分かる。
どこで歌ってるのかも。
でも、この雨には似つかわしくない歌だった。
少し物哀しい旋律の、それでいて、希望に満ちた歌。