336
「師匠は絵がお上手なんですね」
「そんなことないさ、これくらい」
「私なんて全然です…」
「秋華もすぐに上手くなるよ。練習すればな。だから、そう落ち込むな」
「はい…」
とは言っても、秋華の自信は回復せず。
いや、最初からこんなことを言ってたから、回復とは違うか。
「光は絵が上手いですよね…」
「そんなこと、ないよ」
「二人とも、謙遜しすぎです…」
「謙遜じゃ、ないよ。秋華は、まだ、絵の描き方を、知らないだけ」
「分からないです…。みなさんとどう違うんですか…?」
「墨木は、墨汁と違って、消せるから、しっかり、下書きが、出来るんだよ。いきなり、細かく描き始めるんじゃなくて、まずは、だいたいの、大まかな輪郭だけを描いておくの。そしたら、途中で大きく変わったりしないから」
「は、はぁ…。よく分からないです…」
「習うより慣れろ、だよ。まずは、明日香の輪郭だけ、描いてみようよ」
「はい…」
明日香は、自分の名前が呼ばれたので、耳だけを二人の方に向ける。
でも、何もないと分かると、またモゾモゾと体勢だけを変えて眠ってしまう。
「出来ましたっ」
「…丸まってるからって、丸だけじゃ、何を描いたらいいのか、分からないでしょ?」
「うっ…。確かにそうです…」
「頭、身体、あと、足とか尻尾も、おおよそでいいから、描いておけば、何を描けばいいか、分かりやすいでしょ?」
「は、はい。そうですね」
「大きさも、間違えないようにね。ちょうど、丸を描いたんだから、その中に、明日香を、よく観察しながら、輪郭を描いていこっか」
「はい」
それからまた、カリカリと線を描き込んでいって。
光も、新しく紙を取り出して、スラスラと描いていく。
「出来ましたっ」
「あ、うん。いいかんじだね」
「そ、そうですか?」
「うん。じゃあ、次は、ちょっとずつ、細かいところを、描き加えていこっか。でも、まだ、力を入れて、綺麗に描こうとしなくていいからね。だいたいで、いいから」
「はいっ。分かりましたっ」
紙と明日香に視線を往復させて、だいたいの位置に目や鼻を描いていく。
そろそろ、墨消を使うことも多くなってきた。
そして、秋華がそうやって一所懸命描いてる横で、光は涼しい顔をして、慣れた手付きで線を引いていってる。
「難しいですね…」
「そんなに、力を入れなくてもいいよ。細かいところは、あとで、ゆっくり、描いていけばいいんだし。今は、ちゃんとした場所を、しっかり、把握するだけでいいから」
「は、はいっ」
そうは言っても、光のようにはいかないみたいで。
何度も線を消して、何度も描いていく。
「む、難しいです…」
「正確に描く必要なんて、全然、ないんだよ。今は、下書きなんだから」
「は、はい…」
「力を抜いて。難しいことじゃないから」
「はい…」
それでも、なかなか仕上がらず。
結局、終わったのは、光が一枚描き上げたのと同時だった。
「光はやっぱりすごいです…。私は、やっと下書きが終わったところなのに…」
「わたしは、すごくないよ。ただ、絵の描き方を、知ってるってだけ。秋華だって、描き方が、ちゃんと分かれば、これくらい、簡単に描けるよ」
「全然描ける気がしないです…」
「描けるようになるって、思うんだよ。上手くなる気がなかったら、そりゃ、上手くならないよ。上手くなるわけがないよ」
「うぅ…。分かりました…。善処します…」
「………」
まあ、善処程度ではダメだと思うけどな…。
でもそこは、光も何も言わず、少し眉根を寄せただけだった。
気にはなったが、とやかく言うことでもない…と思ったんだろうか。
「じゃあ、次は、いよいよ、清書だね」
「は、はいっ」
「今の、この下書きは、上手に描けてるから、細かいところを、少しずつ修正しながら、ゆっくりなぞってみよっか」
「は、はい。分かりました」
そして、秋華はまた手元の紙に集中する。
光は、その様子をジッと見ていて。
「ふぅむ…」
「………」
ときどき、何か唸ったりしながら、秋華は少しずつ絵を描いていく。
明日香はぐっすり眠っているらしく、ジッとして動かない。
まあ、その方が、秋華も描きやすいだろう。
ちょうどいい対象だ。
「あれ?ここはちょっと違うかな…」
「………」
墨消で少し消して、また描き始める。
ちょっとずつ、絵になってきているみたいだ。
光も頷いている。
「えっと…。だいたいこんなものですか?」
「うん。いいね、上手だよ」
「そ、そうですか?あ、師匠も見てくださいっ!」
「ん?どれどれ…」
秋華の絵を見る。
…少し気になるところはいくつかある。
左右の耳の大きさが違ってたり、尻尾の線が少し揺れていたり。
でも、全然だ苦手だと言いながら、なかなかいい絵が描けてるじゃないか。
あの、武術に対する自信を、少しでもこちらに回して、たくさん何回も練習すれば、もっと上達するだろうな。
可能性を感じさせる一枚だな、これは。
「あ、あの…。どうでしょうか…」
「オレもいいと思うよ。もっと練習すれば、お前は必ず上手くなる」
「そ、そうでしょうか…」
「ああ。だから、もっと自信を持て」
「自信…」
「そうだよ。秋華は、絶対に、上手くなるんだから。しっかり、自信を持って、描こうよ」
「そ、そうですか…?上手くなる…。わ、私が…」
「うん。だから、ほら。もう一枚、描いてみようよ」
「は、はいっ。そうですね。頑張りますっ」
再び、墨木を取って。
それから、光と話し合って、次は部屋の中全体を捉えて描いてみようという話になった。
要領を掴んだのか、光ほどではないが、秋華の手もさっきよりは速く進むようになっている。
飲み込みも速いようだ。
これなら、相当な期待が持てるだろう。
自信も、少し持ってくれたみたいだしな。