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外に干せないので、今日の洗濯は中止。
広間に干せないこともないんだけど。
とりあえず、それはやめて、美希と灯の部屋に。
「ん~」
「気持ち良いか、葛葉」
「うん」
「そうか」
美希は霧吹きを取り、葛葉の髪に水を吹き付ける。
それから、鼈甲の櫛を取って、髪を鋤いていく。
「お前、朝から山に行ってたんだってな」
「ああ」
「何しに行ってたんだ?」
「山菜を採りに、だけど」
「ふぅん」
「なんだよ」
「雨の日にわざわざ行くなんて、熱心だな」
「まあな。昼ごはんに入れてもらうことになってるから、期待しておいてくれ」
「分かった」
手入れの順番待ちをしているりるの頬を引っ張る。
…餅みたいだな。
面白いので、上に下に動かしてみる。
「んー」
「りるは、手入れは嫌いか?」
「つまんない」
「そうか」
「いつも、ジッとしてろって言うからな、このイジワルおねーちゃんは」
「りるはもう少し、忍耐を覚えた方がいいかもしれないな」
「そうだな。まあ、私はこのままでもいいけど」
「大変だろ?」
「大変だけど」
サンは書き物机に座って、暇そうに足をパタパタさせてる。
同じ順番待ちでも、何かしらそわそわしてるりるとは大違いだな。
ちょうどこちらを見たので手招きをすると、机から降りてこちらに駆けてきた。
「おかーさん」
「りる。半分サンと交代だ」
「んー」
りるを胡座の左側に寄せて、サンを右側に座らせる。
それから、二人をギューっと抱き締めて。
…重たいな、二人とも。
日々成長しているという証拠だろう。
「サンは、手入れは好きか?」
「うん。気持ち良いもん」
「そうか」
「サンはいつも大人しくしていてくれて、よく捗るよ。髪の手入れだけってのが残念だけど。まあ、その尻尾分は、代わりに葛葉がいるしな。だけど、りるは動き回るから、違う意味で時間が掛かる。だいたい、葛葉と同じくらいの時間が掛かるな。疲労度は倍以上だけど」
「だから最後なのか?」
「ああ」
「つまんなーい」
「何か、気を紛らせる面白いものでもあればいいんだろうけどな。紅葉、何かないか?」
「うーん…。すぐに思い付くのは図鑑とか絵本かな」
「図鑑か。でも、絵本はともかく、りるのためとは言え、そんな高価なものはなかなかすぐには用意出来ないし…」
「城の蔵書庫にいくつかあったはずだぞ」
「そうなのか?蔵書庫?そんなのがあるのか?」
「ああ。書庫の管理は伝令班がやってるから、あとで聞きにいけばいい」
「分かった。ありがとう」
「いや、オレは何もしてないし。それに、りるのお気に召す本があるとも限らないしな」
「手掛かりをくれただけでも有難いよ。図鑑なんて、思いも寄らなかった」
「…そうか。まあ、そう言ってくれるなら、こちらも素直に受け取っておこう」
「ああ。紅葉は、素直さに欠けるからな」
「一言余計だ」
「ふふふ」
美希は、香油を入れてある霧吹きを取って。
…そういえば。
「りるから香油は受け取ったか?」
「ん?あぁ。あれは、りるの香油じゃないらしいぞ」
「え?」
「千秋が紅葉のために買って、渡してほしいと頼んだらしいんだけど、りるはあまり話を聞いてなかったみたいだ。何かに夢中になってて」
「ふぅん。…蜂蜜飴か」
「そうだな。ということで、そこの引き出しに入ってるから、持っていっておけ」
「ん。ああ。それはいいんだけど…」
「紅葉は香油を付けるようなガラじゃないからな」
「ああ、まあ」
「いいじゃないか。それに、香油を楽しむ方法は髪に付けるだけじゃない。油なんだから、心棒を浸して火を灯せば、癒しのお香に早変わりだ」
「ふぅん…。そんな使い方があるんだな…」
「ああ。香水なら、こうやって霧吹きに入れて、部屋に撒くという使い方もあるが。あ、これは霧吹きに入れてるが、艶出し用の香油だからな。撒くなよ」
「知ってるし、撒かないよ…」
しかし、そんな使い方があるとは思わなかったな。
火を灯すのか。
そういうことなら、残ってるお香とも併せて、大切に使っていくとしようか。
美希たち四人は蔵書庫に行ったので、私も自分の部屋に戻る。
窓から外の雨を眺めながら、お香の入った袋と、香油の瓶を並べて見ていると。
「師匠、師匠っ!」
「ん?秋華」
秋華が部屋に飛び込んできた。
城中を探し回っていたのか、秋華の息は上がっている。
「師匠!やっと見つけました!」
「どうしたんだ」
「大変なんですっ!」
「何が」
「雨が降っていますっ!」
「いや…。見れば分かるしな…」
「今日はどちらの道場も休みなので、ゆっくりと稽古をつけてもらえると思った矢先にですよっ!お天道さまもイジワル極まりないですっ!」
「あー、まあ、そうかもしれないな…」
「師匠、どうしましょうか…」
「そうだな…」
道場が休みなら稽古場を借りるというのも手だが、他に自主練習をしている者もいるだろうし、邪魔になっても悪い。
城でやるとしても、今や広間はチビたちの楽園だ。
雨の日なら特に。
ここもそれなりの広さはあるが、拳法や剣術の訓練をするには狭い。
帯に短し襷に長しだな。
それに、ここにだってチビたちは集結する。
伊織と蓮の家だって、そもそも二人の家なんだから使えないし。
さて、困ったな。
本来なら、こういう日は鍛練は休んで…。
「こういう日は、心の鍛練をするんだ」
「えっ?」
「絵を描いたり、習字をしたり。心の平穏を保つ訓練をすることで、実戦でも普段通りの力を引き出せるようにするんだ」
「あの、えっと…それは、本当に大切な訓練なのですか?絵を描いたり、字を書いたり…。心の平穏が、強さを引き出すのですか…?」
「ああ」
「ふぅむ…」
「殊、お前は身体の鍛練に特化しすぎているようだ。今はまだいいかもしれないが、身体の強さに心の強さが追い付かなくなれば、空回りするばかりで何も出来なくなってしまうぞ」
「そ、そうなんですか?信じ難いことですが…。師匠の言うことなら間違いありません!では、今日は心の鍛練をお願いしますっ!」
「ああ。分かった」
まあ、身体の鍛練にしろ、心の鍛練にしろ、やり過ぎは禁物だけどな。
秋華には、その辺も教えてやらないといけないが…。
とりあえず、今日は心の鍛練だな。