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ご飯に添える一品か。
間違った助言をしたつもりはない。
むしろ正解だとも思っている。
でも、あれだけすんなりと受け入れられてしまうと、なんとなく少し不安になるな。
「………」
手拭いを頭の上に置いて、浴槽にどっぷりと浸かる。
…やっぱりこの風呂は、一人で入るには広すぎるな。
天窓の向こうの夜空を見て、またそんなことを考える。
「んー」
と、脱衣場の方から声が聞こえる。
りるが来たらしい。
バタバタと、服を投げ捨てるような音も聞こえてくる。
そして、扉が開いて。
「なーなー」
「ご機嫌だな」
「あ、おかーさん!」
「ほら、こっちに来い」
「うん!」
浴槽から上がって、洗い場に行く。
素っ裸になったりるは、ピタピタと走ってきて。
そして、私の前の椅子に腰掛ける。
「風呂では走るなよ。転けたら危ないからな」
「んー」
「まったく…。分かってるのか?」
「なーなー」
「…ご機嫌だな」
「千秋のアメ~」
「あぁ、そうか。そうだな。風呂から上がったら食べよう」
「うん!」
パタパタと尻尾を振る。
あの蜂蜜飴をいたく気に入ってるらしいな、りるは。
「お前、一人で身体、洗えるな?」
「んー」
「じゃあ、髪の毛はオレが洗ってやるから、身体は自分で洗え」
「うん」
りるに手拭いを渡して。
桶にお湯を張って、毛髪用の石鹸を手に取る。
「んー」
「しっかり洗えよ。汚いやつは、部屋に入れてやらないぞ」
「うん!しっかり洗う~」
「よしよし。いい子だな」
「えへへ~」
石鹸を泡立てて、髪の毛の先に付けていく。
やっぱり、指通りがいいな。
美希がちゃんと手入れしてくれているんだろう。
艶も申し分ない。
「美希はどうだ?」
「美希~」
「好きか?」
「うん!でも、いつも、ジッとしてろって言うから、そのときはキラい~」
「そうか」
まあ、手入れのときだろうな。
葛葉やサンは辛抱強いから長い間拘束されても大丈夫だろうけど、こいつはジッとするということ自体が難しいんだろう。
美希の大変さが窺い知れるようだ。
今度、一緒にやってみてもいいかもしれない。
「千秋はどうだ?」
「アメ買ってくれた~」
「そうだな。りるは、千秋のこと、好きか?」
「うん!大好き!」
「そうか」
「こーゆも買ってくれた!」
「香油?またなんで…」
「んー?」
「まあ、香油なら美希に渡しておけ。きちんと付けてくれるから」
「うん」
「他に、何か買ってもらったものはあるか?」
「んー。ない」
「そうか。じゃあ、石鹸流すから、ちょっと目を瞑っておけ」
「うん」
桶に張ったお湯で、髪の毛の石鹸を落とす。
目に染みないように力が入ってるせいか、りるの尻尾の毛が逆立っている。
「よし、いいぞ」
「んー」
「染みないか?」
「うん」
「よし。じゃあ、次は尻尾だ」
「うん」
「身体、ちゃんと洗っておけよ」
「ゴシゴシ~」
「そうだな。ゴシゴシだ」
「んー」
りるが全身を洗い終わる頃には、尻尾も洗い終わっていて。
それから、ちゃんと石鹸を流して、二人で浴槽に浸かる。
…一人、りるが加わるだけで、浴槽は狭く感じるほどだった。
不思議なものだな。
部屋に戻ると、もう布団はきっちり敷いてあった。
屋根縁のところで、ツカサと望が並んで座っていて。
…あまり邪魔してはいけない雰囲気だったけど、もう遅かった。
りるがツカサの方に突進していってて。
「ツカサ~」
「わっ、ビックリした」
「あ、りる」
「アメ~」
「飴?」
「くれるの?」
「うん!おとそあけ~」
「お裾分けだろ。まあ、ありがとな」
「ありがと、りる」
「えへへ~」
「すまないな、邪魔をして」
「あ、姉さん。いたんだ」
「ああ」
ツカサは立ち上がって、手に持っていた湯呑みを煽って。
望は、りるとニコニコ笑い合いながら、飴を舐めている。
…ツカサの耳に寄せ、少し声を落として。
「どんな睦言を語りあってたんだ?」
「む、睦言なんて!た、ただ、最近調子はどうかとか聞いてただけだよ…」
「ふぅん?」
「い、いきなりそんなこと聞くなんて、姉さんも意地悪だな…」
「ははは。生来備わったものだよ、これは」
「…姉さんこそどうなのさ。利家兄さんとも、あんまり話せてないみたいだけど」
「そうだな。まあ、少しくらい距離を置いといた方が、末永く仲睦まじく過ごせるというものだ。家庭円満の秘訣だ」
「新婚なんだろ?今からそんなじゃ不安だな」
「まあ、そうかもしれんな。お前たちは上手くやれよ」
「ね、姉さん…」
「ふふふ」
まあ、私と利家の関係は横によけておいて。
ツカサと望なら、上手くやっていけるだろう。
まだまだ恋の始めだから、これからどうなるかなんてのは、本当は分からないけど。
「結婚式とかは挙げたのか?」
「いや。正式に発表すらしてないよ。噂好きなやつらが、あっという間に広めてしまったけどな。まあ、二人だけで儀だけはしたんだけど」
「へぇ。じゃあ、契りの証人は持ってるんだ」
「まあな。お前たちが結婚する段になったら、オレたちのをやろう」
「…うん。ありがとう。でもまあ、まだまだ先だろうけどな。結婚なんて全然考えられないよ、今の俺には」
「そうか」
「うん」
ツカサは、少し照れ隠しのようにため息をついた。
そして、またゆっくりと座って。
私も隣に座る。
…望とりるが、楽しそうに話している。
飴の味とか、今日あったこととか。
他愛もない会話。
私たちも、その会話に加わって。
そして、
「この時間は」
「えっ?」
ふと、思った。
みんなとこうやってのんびり過ごせる時間が。
「この時間は、もう二度とやってこないんだな」
「…うん。でも、幸せな時は、望めばやってきてくれるんじゃないかな」
「…そうかもな」
「何の話してるの?」
「…秘密だ。オレと、ツカサだけのな」
「えぇ~」
そうは言いながらも、望はどうでもいい様子だった。
まあ、実際、どうでもいい話だ。
「………」
…望めば手に入るのなら。
私は、この幸せを。
いつまでも望むだろう。