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「………」
「信じられないか?」
「…にわかにはな」
「まあ、そうだろう」
「千秋さま。しかし、旦那さまのご意向は、確かに紅葉さまの言うところの通りでございます。私も、千秋さまに隠し事など心苦しくはありましたが…」
「…確認しにいっていいのか?」
「もちろんだ」
「………」
「ゆっくり話してくるといい」
「紅葉もついてきてくれないか?もしかしたら、上手く話せないかもしれないから…」
「分かった。いいだろう」
「…ありがとう」
「姉さま!」
「えっ」
千秋が振り返った先、食堂の入り口にいたのは秋華だった。
道着のまま、急いてここに来たらしい。
また誰からか聞いてきたんだろうか。
「姉さま!」
「秋華…」
「私を置いていかれるのですか?」
「………」
「秋華は、姉さまの考えに自分の意見を挟むことはいたしません。しかし、どうして、秋華に話してくださらなかったのですか?」
「…急なことだったんでな」
「秋華は、長屋のお姉さま方に、姉さまの引っ越しのことを聞きました。師匠が姉さまを唆したのかとも思いました」
「…すまなかったな」
「いえ。秋華が聞きたいのは、謝罪の言葉ではありません。秋華は、姉さまの本当の考えを聞きたいのですっ!」
「………」
「秋華さま。千秋さまは、それをこれから確認しに参るのですよ」
「どういうことですか?」
「こいつと、こいつの両親との間で考えの食い違いがあったらしい。それを、今から確認しにいくということだ」
「食い違い…?食い違いとは…」
「お前も一緒に来るか?」
「…はい。是非とも」
「よし。じゃあ、行こうか」
「あっ!師匠!」
「なんだ」
「先に、道場に寄ってほしいのです。師範に早退することを伝えないといけないので…」
「千秋はどうだ?」
「…ああ。いいよ」
「ありがとうございますっ。では、姉さま!行きましょう!」
「ああ」
秋華は千秋の手を引いて。
本当に千秋のことが好きらしい。
千秋も、同じように。
「姉さま」
「ん?」
「姉さまを守るのは秋華です。姉さまや師匠には遠く及びませんが、以前よりも少しは強くなりました。…だから、姉さま。困ったり悩んだりしたら、秋華を頼ってください」
「…ああ、分かったよ。ごめんな、今回は」
「いえ…。秋華が言いたいのはそれだけです…」
「…そうか」
秋華は歯を食い縛り、泣くまいと必死に耐えている。
嬉しいのと悔しいのと。
いろいろな感情がない交ぜになってるんだろうな。
「…小さい身体に、なんかたくさん背負ってんだね」
「ああ。千秋もな」
「擦れ違う親子、か」
「そうだな」
「私と哲也は大丈夫かな」
「心配なら、今日、あいつが帰ってからでも、ゆっくりと話を聞いてやればいい」
「…そうだね。うん、そうするよ」
「ああ」
「じゃあさ、りるちゃんは見といてあげるから。行ってきなよ」
「よろしく頼む」
「…行ってらっしゃい」
「行ってきます」
昼寝をしているりるの頬を撫でてから、私も食堂を出る。
…みんなが最後に笑っていられたら、それでいい。
哀しみや苦しみを乗り越えた先に、笑顔が待っているのなら。
道場では稽古が続いていた。
一刀は、師範代と何か話していて。
「師範!」
「えっ?あ。秋華ちゃん。お帰りなさい」
「ただいま戻りました。あ、あのっ」
「早引きしたいんだね」
「えっ、あ、はい」
「いいよ。今日はもう上がりなさい」
「はい。ありがとうございます。でも、どうして?」
「千秋ちゃんのことでしょう?秋華ちゃんが、それだけ一所懸命になるということは」
「は、はい…。お見通しでしたか…」
「そういうことならば、止めることは出来ません。行ってきなさいな」
「は、はいっ。すみませんっ。行ってきますっ」
秋華は素早くお辞儀をすると、駆け足で道場を出ていった。
…道着は着替えないんだろうか。
「隊長」
「ん?なんだ」
「秋華ちゃんを、よろしく頼みます」
「ああ。分かってるよ」
「まあ、隊長に任せておけば、安心ですね」
「どうかな、それは」
「ふふふ。明日も、元気に稽古に来てくれる秋華ちゃんを待っていますから」
「…ああ」
待ってやっていてくれよ。
私も待っているから。
明日も、千秋と秋華を。
例の応接室で正秋を待つ。
あまり入ったことがないのか、秋華は周りをキョロキョロと見回して落ち着きがない。
「お待たせしました」
「………」
「………」
「父さま!」
「…どうした、秋華」
「食い違いとは何ですか?姉さまとの食い違いって?」
「それは…」
「…父さん。紅葉から話は聞いたけど。本当なのか?」
「………」
正秋がこちらの様子を窺う。
私が小さく頷くと、正秋も頷いて。
「ああ。事実だ」
「………」
「それがお前のためだと勝手に決めつけ、お前の話を聞こうともしなかった。…すまなかったと思っている」
「…本当に勝手だよ」
「姉さま!父さまは悪くないんです!もちろん、姉さまも悪くないですし…」
「ありがとう、秋華。しかし、今回は全面的に私が悪いんだ。…千秋。紅葉さんに言われてから、私はずっと考えていた。お前の幸せのことを」
「………」
「お前の幸せは、ここにはあるのか?」
「俺の幸せ…」
千秋は少し逡巡する。
すると、秋華が千秋の手を握って。
それで決心が固まったらしい。
千秋は、正秋を正面から見る。
「俺の幸せはここにもある」
「姉さま!」
「…そうか」
「だけど、俺はもう家を出た身だ」
「姉さま…」
「………」
「…家は出たけど。たまに帰ってきてもいいか?」
「…ああ。もちろんだ」
「姉さまっ!」
秋華は千秋に抱きついて。
今はもう、我慢することもないようだ。
大粒の涙を溢しながら。
いつもは負けん気の強い秋華も、今ばかりは、お姉ちゃんが大好きな小さな女の子だった。