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「正光くん、どうしちゃったの?」
「千秋が家を出るってことで寂しがってるんだよ」
「へぇ~。正光くんもあそこの子だったんだ」
「なんだよ。知らなかったのか?」
「いつも哲也と仲良くしてくれてるけど、そんなことはおくびにも出さないし」
「例の情報網はどうしたんだよ」
「可愛い子供の家事情にまでは、首は突っ込まないよ」
「そうか」
「そうだよ。ちゃんとするところは、ちゃんとしてるんだから」
「ふぅん」
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。
正光は、隅にある机でずっとグズグズと泣いていて。
その横で、千秋が慰めている。
「で、あそこの領主さんが正秋って名前だって?」
「そうだな」
「正光と千秋を合わせたら正秋だね」
「そうだな」
「あれ?興味ない?」
「自分の名前から一文字取ってくることは、別に珍しいことでもないだろ」
「そうだけどさぁ」
「なんだよ」
「んー。まあ、なんでもない」
「なんだよ、それは…」
「はぁ…。でもさ、そんな話を聞いたら、いろいろ考えちゃうよね。哲也も、今、私たちの子供で幸せなのかな」
「哲也に聞いてみたらどうなんだ」
「あの子に聞いたって分からないでしょ。自分が幸せかどうかなんてさ」
「幸せなんて、客観的なものじゃないんだから。今の自分が幸せかどうか…しかし、まあ、哲也の歳では分からないかもな」
「でしょ?まだまだ分かんない時期だと思うよ」
「それにしても、あいつらは二人兄弟なんだろうか。正光もえらく寂しがってるけど」
「えぇ?たしか、正光くんの上はいた気がするんだよね」
「いたんじゃねえか?ほら、なんだ。あれだ。なんつったか」
客もいなくなったから、厨房からオヤジが出てきた。
ツカサは、まだ洗い物をしてるみたいだけど。
「あんたは、そんな情報をどこで仕入れてくるのよ」
「あぁ?いろいろあんだよ、俺たちにも。情報網ってのがな」
「ふぅん…。どうせ、呑み友達とかに聞いてんでしょ?」
「まあ、それもあるな」
「他に何があるのよ」
「女には女の見えざる情報網があるように、男も男の見えざる情報網があんだよ。あんまり深く突っ込むな」
「はいはい、そうですか。それで、正光くんの上って誰だっけ。何歳くらい?」
「あぁ、なんだったか。秋華って名前だったかな。歳までは知らん」
「えっ、なんだ、秋華ちゃん?へぇ、そうなんだ。意外」
「知ってるのか?」
「もちろんだよ。母親情報網は、下町の子供全員の名前を把握してるよ」
「それなのに、その親や兄弟関係は把握出来てないんだな」
「親御さんとは交流がないとね。なかなか分からないものよ。兄弟関係については、みんな兄弟みたいに仲良く遊んでるし、どこでどう繋がってるかは、正直覚えてないところもあるよ」
「ふぅん…」
「疑ってる?私がぼんやりしてるだけだろうとか」
「いいや」
「ホントかなぁ」
「嘘をついてどうするんだよ。それで、なんで交流がないって?」
「あそこの親は、なかなか出てこねぇんだよ。買い物とかも、召使いに任せてよ。どんなやつらかは知らねぇが、どうもいけすかねぇ野郎どもだ」
「あんた。そういうことは、思ってても口に出さないの。…今は、正光くんもいるじゃない。もうちょっと配慮しなさい」
「ふん…。すまないな…」
「あそこは、昔の考え方に囚われすぎている感がある。どういう事情かは分からないがな」
「それで、紅葉ちゃんがガツンと言ってやったわけ?」
「ガツンとはいかないかもな」
「そうかな。紅葉ちゃんってさ、顔に似合わず辛辣なことでもバッと言っちゃうから」
「辛辣で悪かったな」
「いいや。言うときには言わにゃなんねぇ。誰にでもなんでも言える度胸ってのは、大きな能力だと俺は思うぜ」
「まあ、その場合、正論を言ってもらわないと困るけどね」
「大丈夫だ。衛士長さんなら、正しいことを言ってくれるさ」
「ふん。買い被りだな」
「いんや。絶対にそんなことはない」
「絶対なんてことは存在しないんだよ。どこかに必ず綻びがあるものだ」
「だけどさ、紅葉ちゃんって、よく考えるから。他の誰よりも、正解に近い答えを導き出せると、私は思うけどな」
「そうだ。それだ」
「あんたは、適当に乗っかってきてんじゃないよ」
「オレは、誰でも導き出し得る答えを提示しているだけだ。正解も何もない」
「誰でも導き出し得るって言ってもさ、なかなか難しいことだよ?しっかり考えるってことは。難しいことをやってのけてる紅葉ちゃんのことを褒めてるんだ。人の好意は、素直に受け取っておくべきだよ?」
「だけど、好意は押し付けるものではないだろ?」
「もう…。こうなると、紅葉ちゃんって面倒くさいね」
「ははは。まあ、すまないな。褒めてくれたことは、素直に嬉しいよ。でも、オレなんてまだまだだ。いつか、お前たちの評価に値するような人物になりたいものだが」
「えぇ?私たちから見れば、充分だと思うけどなぁ」
「そうだな。俺なんかより、ずっとしっかりしてるしな」
「あ、腑抜けだって自覚はあるんだ」
「ふん。俺が腑抜けでも、お前がしっかりとしててくれりゃ、ちょうどいいんだよ」
「ふふふ。まあ、そうだね」
「まったく…。お熱いことだな、お二人さん」
「バ、バカ!からかうんじゃねえよ!」
「ははは。まだまだ安泰だよ、私たちゃ」
そうだろうな。
そう思うよ。
…しかし、あっちの二人はどうしたものかな。
秋華というのも気になるし…。
まあ、そろそろ話を戻して聞いていくとしよう。