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「いらっしゃい」
「涼さん、お疲れさまです」
「あ、なんだ、ツカサ。もう来ちゃったの?」
「えっ?」
「ゆっくりしてきたらよかったのに。今日、朝は休みだったんでしょ?」
「はい、そうですけど…」
「私だって、まだまだ大丈夫なんだからさ。任せてくれてもいいのに」
「そんなわけにはいきませんよ。風華にだって言われてるんでしょ?」
「風華ちゃんは心配しすぎなんだよ。もう一人、お抱えの薬師さんは、九ヶ月まではしっかり運動もしろって言ってるしさ」
「なんで、薬師を梯子してるんですか…」
「まあまあ。とりあえず、紅葉ちゃんはお客さんなんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、ツカサ。せっかく来てくれたんだし、厨房か注文を取りに入って」
「あ、はい」
返事をすると、ツカサは奥へ入っていって。
私は、適当に席に座る。
「注文は?」
「あぁ?まあ、まだ腹も減ってないし」
「そうなの?それで、今日はツカサと二人?」
「いや。りるも一緒に来てるけど」
「どこにいるの?」
「裏の阿達呉服屋ってところだよ。そこで採寸してるんだ」
「ふぅん。でも、なんで?礼装でも仕立てるの?」
「礼装?いや、普通の服だけど」
「えぇ?そうなの?それだったら、阿達屋さんより、その辺の普通のお店に行けばいいのに」
「オレはそういうのは疎いからな。でもまあ、普通の服も仕立てるって言ってたぞ」
「そう?でもさ、りるくらいの子だったら、仕立ててもらうよりも安くて買い替えが利くものにしといたら?どうせ、すぐにちっちゃくなるよ?」
「仕立て屋なんだから、それくらい考えてくれてるだろ」
「そうだけどさぁ…。紅葉ちゃんが仕立ててもらったらよかったのに」
「オレは服に困ってないからな」
「どうせ、あの真っ白な衛士の服ばっかり着てるんでしょ?今日は、えらく渋くて格好いい服を着てるけどさ」
「香具夜に着ていけって言われたんだよ」
「ふぅん。香具夜ちゃんにねぇ」
「あいつは来るのか、ここに?」
「たまに、みんなと連れ立ってね」
「ふぅん」
「香具夜ちゃん、可愛い服とか着てくるよ。簪とかもしてさ」
「そうか」
「紅葉ちゃんもさ、綺麗な格好してみたら?」
「遠慮しとくよ」
「えぇ、なんで?」
「なんでもいいだろ。なんで、オレが着飾らないといけないんだよ」
「一番いい年頃なんだからさ。ちょっとは、年相応のことをしてみたら?」
「ふん。そんなことをして何になるんだよ。香具夜が言うように、街で男を引っ掛けるのか」
「あ、いいね、それ。面白そう」
「冗談はやめてくれよ」
「あはは。まあ、やる気になったら教えてね」
「ならないよ」
はぁ…。
まったく…。
どいつもこいつも、そんなのばっかりだな…。
「お母さん」
「ん?りるか。終わったのか?」
「うん」
「あ。阿達屋さん、ご苦労さまです」
「…どうも、涼さん」
「送ってもらってすまなかったな。じゃあ、りるの服は任せるよ」
「…はい。丹精込めて仕立てさせてもらいます」
「阿達屋さん。りるちゃんは普通の服がいいんだからね。間違えて礼装にしちゃダメだよ」
「…分かってますよ。流行りの紋を入れさせていただきます」
「ちょっと。紋って、それ、礼装の話でしょ?」
「…ちょいとした冗談でさ。ちゃんとしたのを仕立てますんで、安心してください」
「もう、ホントに…。よろしく頼むよ?」
「よろしく頼むのは、オレの方だろ」
「あぁ、そっか。まあいいじゃない。私からもよろしく頼むよ。あと、阿達屋さん。小さい子はすぐに大きくなるんだからね」
「…はい。承知してますよ。ちゃんと、しばらくは丈を合わせられるようにしておきます」
「そうか。そうしてくれ。それじゃあ、よろしく頼むよ」
「…はい。では、失礼します」
「ああ。ありがとう」
「おっちゃん、ありがと!」
「…はいよ。また来てくれな」
「うん!」
阿達屋は一度深々とお辞儀をして、食堂を出ていった。
…まあ、阿達屋ならいい服を仕立ててくれるだろう。
それは間違いないと思う。
「りるちゃん、よかったね。服を仕立ててもらえて」
「うん」
「お前にも馴れてきたみたいだな」
「そうだね。前に来たときは、かなり警戒してたのに」
「おいしいごはん」
「えっ?あぁ、そうだね。美味しいでしょ、うちのは」
「うん。でも、美希のもおいしいよ」
「美希?誰だっけ?」
「うちの調理班の一人だ。まあ、葛葉とサンとりるのお抱え料理人みたいなものだよ」
「ふぅん。でも、普通の料理も作ってるんでしょ?」
「当番のときはな」
「そうなんだ。結構すごいんだね」
「何がだよ」
「衛士の食べ物を作りながら、この子たちの料理も作ってるんでしょ?」
「まあな。当番でないときも作ってるけど」
「すごい情熱だね。普通、働かなくていいときは、働きたくないもんだけど」
「楽しいことは、いくらやっても苦にならないだろ。そういうことなんだと思う」
「そうなのかな」
「まあ、あいつは子供が大好きだからな。さっき言った三人以外の料理だって、率先して作ってるみたいだし」
「ふぅん」
「お前だって、この食堂の仕事が好きなんだろ?だから、そんな腹を抱えてでも、ツカサを雇っていても、ここに来る」
「あはは、そうだね。一番の例えがこんなに近くにいたね」
「ごはん~」
「はいはい。じゃあ、今日は何にする?」
「んー」
灯台もと暗しってところか。
近くにある幸せは、なかなか見えないものである。
誰が言ってたんだったかな。
誰でもいいけど。
…まあ、自分の楽しいことがあるなら、それでいいと思う。
美希は子供たちの料理を作ること、涼はこの食堂で働くこと。
私は…何だろうな。