30
静かな寝息が聞こえる。
チビたちのものと、風華のもの。
私はなぜか目が冴えて眠れなかった。
でも、身体中の痛みで動き回れたものでもなかった。
どうしたものかと思案していると、空気の流れが変わる。
「紅葉」
「…犬千代?」
「ああ。ちょっとごめんな」
「つぅ…」
抱え上げられ身体が曲がったために、全身に刺すような痛みが走る。
「大丈夫か?」
「あ、ああ…。なんとか…。でも、どこに行くんだ…?」
「ちょっとな…」
慎重に、ゆっくりと運んでくれたので、それ以降はあまり痛くなかった。
…それにしても、どこに行くんだろう。
「犬千代…」
「もうすぐだから」
「…うん」
冷たい空気が頬を撫でる。
外…ではないな…。
ここは…
「桜。起きてるか?」
「うん…。いろはねぇ、連れてきたの?」
「ああ」
戸が軋む音がした。
桜が部屋から出てきたらしい。
「ボクは、いろはねぇの部屋で寝るよ」
「え…?どういうことだ?」
「じゃあね」
足音が遠ざかっていく。
そして、布団らしきものの上に下ろされる。
というか、桜の布団なんだろう。
まだ少し温かい。
「ごめんな…。こういうことしか出来なくて」
「え…?」
「…僕たちには、どうして良いか分からなかった。たぶん、紅葉にしか出来ないんだろう」
独り言のように呟く利家。
…そういえば、ここは血の匂いが酷い。
血の匂い…。
痛む腕を無理に伸ばし、匂いの元に触れてみる。
「ユ…カラ…?」
「ああ。紅葉が倒れたあと、ユカラは恐慌状態に陥ってな…」
この様子からすると…。
恐慌状態のあと、精神が重さに耐え切れなくなって…といったところなんだろう…。
「紅葉…」
「分かった。分かってる」
「ごめん…」
「謝ることじゃないだろ?」
「そうかもしれない。でも、ごめん」
そう言って、利家はゆっくりと立ち去っていった。
…利家や、他のみんなが謝ることじゃない。
これは事故…。
躓いて前の人を押してしまった、とかそういったもの。
ユカラを止めようとして、私が串刺しになった。
誰のせいでもない。
ただの事故。
「ユカラ…」
はは…それにしても、犬千代は気が利かないな…。
無理矢理に身体を引きずって、ユカラの隣に座る。
血…。
匂いが酷いな…。
着替えさせてもらってないんだろうか…。
「対象を捕捉…」
「ユカラ…」
今にも消えてしまいそうな声で、例の感情のない台詞を言う。
「っつぅ…!」
腹のあたりが痛い。
一番酷く刺されたところかな…。
でも、ユカラの痛みに比べたら、軽いものなんだろう。
これくらい…我慢我慢…。
「対象を捕捉…」
「はは…それしか言えないのか…?」
「対象を捕捉…」
ユカラの肩を抱く。
見た目よりずっと華奢な身体だった。
「対象の接近を確認…」
「ふふ…お前が接近したんだろ…」
「対象を捕捉…」
思いっきり抱き締めてやりたいところだけど、身体が言うことを聞かない。
どうやら、これが限界みたいだ。
「じゃあ、少しだけ手伝ってあげる」
「……?」
「禁忌・覚醒」
柔らかい暖かさが全身をくるんだかと思うと、痛みが引いたように思えた。
「紅葉の傷は完治してるよ。風華が"再生"を使ったからね…。でも、まだ痛みがあるのは、身体が傷のことを覚えてるから。…だから今、僅かな間だけなんだけど、傷のことを忘れさせてあげる」
「響か…?」
「ふふ…どうかな。響であって響でない。わたしは"響"」
「どういうことだ…?」
「お喋りしてる時間はない。制限時間は着実に減っていってる。じゃあね。お休み、紅葉」
『おやすみなさい、お母さん』
「ああ…お休み…」
響であって響でない?
遠ざかっていく"ふたつの"気配。
…聞きなおしてる時間はないんだったな。
「対象と接触…」
そんな台詞が聞こえるが、構わない。
私は、ユカラを抱き締めた。
「ユカラ…。痛かったよな…苦しかったよな…」
「対象を捕捉…」
「はは…お前は、もっと意思伝達方法を学ぶべきだな…」
「対象を捕捉…」
「もう大丈夫だから…。もう痛くない…苦しくない…」
「対象を捕捉…」
「私がいる。みんながいる。だから、もう大丈夫」
「………」
「安心して…」
「対象を…認識しました…」
「ユカラ…?」
ユカラの頬を伝うものがあった。
温かい、雫。
「姉ちゃん…あたし…あたし…」
「ユカラ…」
「もう嫌だよ…。痛いのも…苦しいのも…」
「うん。分かってる」
「怖い…怖かった…」
「うん。大丈夫だから。もう大丈夫」
「姉ちゃん…姉ちゃぁん…」
「ユカラ…」
「うっ…うぅ…うえぇ…」
「………」
次第に戻ってくる痛み。
でも、そんなのは関係ない。
いつまでも、いつまでも、ユカラを抱き締めていた。
ふと目が覚めた。
目を擦り、大きく伸びをする。
…あれ?
身体が随分軽くなった気がする。
「ぅん…」
ユカラは、私の膝の上で寝ていた。
…どうやら私は、座りながら眠ってたらしい。
そういう訓練は受けていたものの、なんとも器用なものだ。
「あ…」
私がごたごたとやってるうちに起きてしまったらしい。
焦点の定まらない目でこちらを見つめる。
「おはよう」
「おはよ…」
「もうちょっと寝ててもいいんだぞ」
「うん…。でも、起きる…」
「そうか」
ユカラは起き上がり、私も二回目の伸びをして立ち上がる。
「…昨日はありがと、姉ちゃん」
「え?なんて?」
「えへへ、なんでもない」
クルリと回って、笑ってみせる。
ふふ、私の方こそ、ありがとうだよ、ユカラ。