284
案の定、美希にこってりと搾られてしまった。
加熱殺菌処理だとか、古い生肉の危険性だとか、小さな子の病原体に対する抵抗力だとか、いろんな説教も聞かされて。
まあ、ある程度だけ聞いて、早々に引き上げたんだけど。
「はぁ…」
お湯を掛けて、石鹸を洗い流す。
今日は、本当にユカラとのんびり話してただけだったな。
…まあ、ちょっとした面倒事もあったけど。
ユカラはちゃんと楽しんでくれたんだろうか。
「んー…。目が痛いー…」
「目を開けるなよ。流してやるから」
「うん…」
桶にお湯を入れて、りるの洗髪石鹸を流す。
その間、りるは言った通りに目をギュッと瞑っていて。
「そら、顔を洗って」
「うん…」
「目は痛いか?」
「んー…。もう大丈夫」
「そうか。じゃあ、湯船に浸かろうか」
「うん!」
「走るなよ」
「ん~」
そんなことは全く聞かずに、真っ直ぐ湯船まで走っていって、豪快に飛び込んだ。
そして、それなりに広いものだから泳ぎ始めて。
私もすぐに追い付いて、りるの尻尾を掴んで制止させる。
「おい、りる」
「うぅ…。痛いよ~…」
「お前が言うことを聞かないからだろ。走るなって言ったよな?」
「うぅ…。だって…」
「だっても待ってもない。言うことを聞かないなら、次からはお前に首輪と紐を付けて風呂に入ることになるぞ」
「うぅ…。ごめんなさい…」
「まったく…。ちゃんと言うことを聞けよ」
「はぁい…」
ちゃんと返事をしたから尻尾を離してやると、半分ベソをかきながら、湯船の端っこの方で大人しくしていた。
…ちょっと効きすぎたかな。
尻尾がダメだったのか?
まあ、危ないことは危ないと教えておかないと。
「りる」
「…何?」
「夕飯はどうだった?」
「美味しかったよ!」
「そうか。それはよかった」
「あのね、帰ってきたら美希がいて、お肉に美味しくなる魔法を掛けてあげるって。そしたらね、本当に美味しくなったんだよ!」
「あいつは、料理の魔法が得意だからな」
「リョーリの魔法?」
「ああ。その魔法が上手いと、食べ物がさらに美味しくなるんだ」
「じゃあ、りる、明日も美希に魔法を掛けてもらう!」
「そうしてもらえ。美希も喜んでやってくれるだろうし」
「うん!」
りるは笑顔に戻って。
そして、また機嫌よく泳ぎ始めた。
まあ、泳ぐなとは言ってないし。
別にいいだろう。
…しかし、本当にこいつは、食い気だけは一人前なんだな。
それに、食べ物の話を出すとすぐに笑顔だ。
たくさん食べるのはいいことだけど。
「ん~」
まあ、なんでもいいさ。
たくさん遊んでたくさん食べて、元気に育ってくれるなら。
…ゆっくりと肩まで浸かって、ため息をついた。
部屋に戻ると、ツカサがみんなの布団を敷いているところだった。
りるはそこへ走っていき、頭から突っ込んで。
「こら、りる。危ないから、そういうことはやめろ」
「ん~」
「はぁ…。あ、姉さん」
「早いな。風呂には入ったのか?」
「ああ。市場から帰ってきたときに入ってる」
「そうか」
「………」
「食堂、昨日からだって?」
「ああ。涼さん、風華から止められたって」
「ふぅん。風華に診てもらってるのか。でも、まだ早いような気もするけど」
「涼さんもそう言ってたけど、風華はダメだって」
「まあ、薬師の言うことは聞いておくものだけどな」
「うん」
ツカサは、りるをつまみ上げて隣の布団へ投げ飛ばす。
それから、また布団を敷き始めて。
「そういえば、市場の肉屋が急に休業したって」
「ふぅん。そうなのか?」
「衛士長が来て、それからしばらくして休業したって聞いたけど」
「そうか」
「姉さんが関係してるんじゃないのか?」
「そうかもしれないな」
「………。あそこの肉屋は、全体の評判はよかったんだけど、一部の客には不人気だったらしい。それで、その一部の客には犬や狼の客が多かった」
「ふぅん」
「…俺も、あそこに行ったことがあるんだよ。それで、なんで不人気なのかが分かった。姉さんも分かってたんだろ?あそこに行って分かったのか、事前に知ってたのかは知らないけど」
「そうだな。上手く消してあったが、それでも肉の古くなった匂いがしていた。見た目はほとんど完璧だったがな」
「…やっぱり行ったんだ」
「りるが行きたいと言ったからな」
「あの店で買ったのか?」
「まあ、買った肉はそこまで古くなってなかったみたいだし、それに、うちにはチビたち専属の優秀な料理人もいるしな」
「…美希か?」
「ああ」
「ふぅん…。そんなに優秀なのか?」
「元旅人だしな。腐りかけでも、安全に美味しく料理する方法を知ってるだろうよ」
「………」
「大丈夫だ。あいつは、害があると判断した食べ物は、子供たちには出さないよ」
「それならいいけど…」
「まあ、もしかしたら、その腐りかけをオレたちの方に回してるかもしれないけどな」
「ふぅん…」
あまり関心がなさそうな、適当な相槌が返ってきた。
自分が腐りかけたものを食べるのには、幾分も不満はないらしい。
「こら、りる。危ないってさっきも言っただろ?」
「んー!」
「布団を敷いたら遊んでやるから。少し大人しく待ってろ」
「やぁの!」
「我儘を言うな。我儘を言う子とは遊ばないぞ」
「うぅ…」
「よしよし。そこで大人しく待ってろ」
どうやら、りるはツカサにも懐いてるみたいだな。
本当に、人見知りをする人としない人の違いは何なんだろうか。
いよいよ、よく分からないけど。
「…姉さん」
「なんだ」
「…もう寝るか?」
「いや、みんなが来るのを待つよ」
「…そうか」
「気を使ってくれなくていい。結構、楽しみにしてるんだぞ?」
「………」
「まあ、気にするな」
「…分かった」
そして、また布団を敷く音が聞こえてきた。
りるが待ちきれずに、また布団に飛び込む音も。
…そうだな。
私自身、結構楽しみにしているんだ。
この暗闇の時間を。