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市場を帰っていく。
例の肉屋は、鎧戸を閉めて本日休業の紙を貼り付けてあった。
店の前では、首を傾げている客らしき人が何人か集まって話し合っていて。
「どうしたんでしょうね?」
「朝は開いてたのに」
「噂じゃ、衛士長が来たって話ですよ」
「何か事件かしら?」
「分からないけど」
「気になるわねぇ…」
横を通ると、そんな話が聞こえてきた。
りるはさっきの肉の包みを抱えて楽しそうに歩いていたが、ユカラは眉間に皺を寄せて、いかにも不機嫌そうな顔をしている。
「そんな顔をしてたら、戻らなくなるぞ」
「噂ってあんまり好きじゃないんだよ。しかも、あれじゃ、姉ちゃんが悪者みたいじゃない」
「強ち間違ってはいないがな」
「もう!姉ちゃんは正しいことをしたんでしょ?衛士長として!」
「シーッ。静かに。オレの噂をしてるんだ。迂闊なことを言うと巻き込まれるぞ?」
「だって…」
「人の噂も七十五日って言うだろ?あの肉屋が営業を再開したら、噂も収まるさ」
「営業再開しないで、そのまま閉店したらどうするのよ」
「大丈夫だろ。本日休業って書いてある。ずっと休む気はないってことだよ」
「そうかな…」
「オレは、そう信じるさ。それに、りるにまた肉を買ってやらないといけないしな」
「…そうだね」
パタパタと尻尾を振りながら歩くりるを見て、ユカラも怒気が抜けたらしい。
一度ため息をつくと、もう笑顔だった。
「でも、りるも現金だよね。お肉を持たせてあげたら、すぐに機嫌が治るなんて」
「それだけ好きだってことだろうよ」
「…うん、そうかも」
「あ、そういえば」
「え?」
「噂で思い出したんだが…。お前、何か頼み事をするときは、灯に任せたら危険だぞ」
「危険?何が?」
「お前は気付いてないかもしれないが、オレとお前が外に二人で出掛けるってことは、今日の朝には城中に広まってたぞ」
「えっ、嘘!絶対に内緒だって言ったのに…!」
「あいつの口は羽根よりも軽いからな」
「そんなぁ…。みんな、何かニヤニヤしてると思ったら、そういうことだったの…?」
「そうだろうな。まあ、次は香具夜か風華あたりに頼むんだな」
「はぁ…。最悪だよ…」
「でも、二人で出掛けることが知れ渡ったとしても、大した不利益もないんじゃないか?」
「あるよ…。恥ずかしいじゃん…。こういうことになるしさ…」
「恥ずかしいのか?」
「恥ずかしいよ…。帰ったら思いっきり怒っとかないと…」
「あいつは、その程度では懲りないと思うけどな」
「はぁ…」
ユカラは、またため息をついて。
まあ、いい勉強になっただろうよ。
機密情報は伝令班に任せるに限る。
広く報せたいなら調理班だけど…。
次は慎重な人選を頼むよ。
城に戻ってすぐに、りるは厨房へ走っていった。
まあ、今の時間なら美希も夕飯を作ってる頃だろうし、ちょうどいいか。
ユカラと二人で広場を歩いていく。
「だいぶ耕したんだね」
「そうだな」
「花の種、足りないんじゃないの?」
「さあな。まあ、裏の花畑に行けばたくさん手に入るだろうし」
「そうだけど」
「取り過ぎて、向こうの分がなくならないかが心配だな」
「んー。広場全部を花畑にするの?」
「知らないけど」
「そうだとしたら、大変だよね」
「そうだな」
「あっ!お母さん!」
「ん?」
後ろから声がした。
振り返ってみると、やっぱり望で。
大きな布の袋を持って、泥だらけになっている。
「どこに行ってたの!」
「え?ユカラとちょっと」
「種が足りないから、取りに行くの、手伝ってもらおうと思ったのに!」
「そうか。すまなかったな、手伝ってやれなくて」
「うぅ…」
「そう怒るなよ。オレだって、いつでも空いてるというわけではないんだから」
「でも…」
「手伝ってやれなかったのは、本当に悪いと思ってる。明日から、また手伝ってやるから、な?それで勘弁してくれないか?」
「うぅ…」
「ごめんね、望。あたしが姉ちゃんを捕まえてたから」
「ううん…。もういい…」
「ありがと。ごめんね」
「………」
ユカラは、望の泥だらけの顔を服の袖で拭いて。
それから、ギュッと抱き締める。
望も、少し笑顔に戻って。
「はぁ~…。望、速いよ…。って、あれ?みなさんお揃いで」
「ナナヤ。望と花畑に行ってたのか?」
「そうだよ。花の種が足りないから」
「そうか」
「望が、ずーっとお姉ちゃんの匂いがするって言っててさ。私は分かんないんだけど」
「昼前に行ってたからな」
「ふぅん。じゃあ、入れ違いだったんだね」
「そうだな」
「ユカラも一緒だったの?」
「えっ?あ、うん…」
「どうしたの?」
「い、いや…なんでもないよ」
「そう?」
「まあ、網の外のやつもいるってことだな」
「網?何が?」
「も、もういいじゃない!それより、その種はどうするの?今すぐ植えるの?」
「どうする、望?」
「今日は、もう疲れたからいい」
「そうだな。もう夕飯も近いし」
「うん」
「じゃあ、戻ろっか」
「うん!」
今日はどうだろうな。
りるの夕飯がどうなるか楽しみだけど。
まあ、少し古い肉ではあるが、美希なら上手く調理してくれるだろう。
…なんで古い肉を買ってきたんだとか怒られそうだけどな。