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「何を買うの?」
「薬石だ」
「ふぅん」
「りるは、何か欲しいものはあるか?」
「うん」
「ズバッと言うね…」
「みんな遠慮しすぎなんだよ。それで、何が欲しいんだ?」
「あれ」
りるが指差したのは肉屋。
そして、その肉屋の中でも一番大きく切られた肉を指してるらしかった。
…まあ、とりあえず、引っ張られるままに、肉屋に入っていって。
「お肉が好きなの?」
「大好き!」
「ふぅん…。わっ、高級そうなお肉…。牛?」
「ん?よぅ、いらっしゃい。夕飯の買い出しか?」
「いや。その肉はいくらだ?」
「百匁で千五百円だ」
「えっ、高っ!」
「じゃあ、五十匁」
「はいよ。まあね、うちは良い肉入れてるから、ちょっと値も張るんだよ」
「そうか。じゃあ、そっちじゃなくて、良い肉を切ってくれ」
「どれも良い肉だよ」
「ほぅ?オレには、そうは見えないな」
「嬢ちゃん、値切りはやめてくれよ。うちだって、ギリギリでやってんだ」
「値切りではない。妥当な価格を付けろと言ってるんだ。こうやって軒店を構えるならな」
「…どういう意味だ?」
「分からないなら教えてやろうか?たとえば、この肉。一見すると普通の新鮮な肉だが、これは食紅か何かを塗って付けた色だ。この肉は、最低でも二日は経ってるな」
「言い掛かりもたいがいにしてくれよ。じゃあ、なんだ?この肉は、洗ったら色が落ちるとでも言うのかよ」
「そうだな。洗ってみろよ。お前が洗ってもいいぞ」
「生意気なやつだな。よし、じゃあ、洗っても何も変わらなかったらどうするんだよ」
「この店の肉を全部、お前の言い値で買ってやるよ。御託はいいから、さっさと洗え」
「くっ…」
店主は肉に手を伸ばして。
しかし、取り上げて洗うことは出来なかった。
「はぁ…。これを暴いてどうする気だったんだよ…。揺する気なのか?」
「さっきも言った通りだ。適正な価格を付けろ。それだけだ」
「まったく…。お前は何なんだよ…。何の権限があって、俺に指図するんだ?」
「オレはいちおう、衛士とこの国の警察の責任者ということになってるな」
「えっ…。衛士長だと…?嘘をつくな!」
「嘘だと思うなら、その辺の衛士を捕まえて聞いてみればいい。すぐに分かることだ」
「………」
「次に気を付けるなら、今回は見逃してやると言ってるんだ。幸い、今は客もいない。これを機に、真っ当な商売に戻ることだな」
「…やっていけねぇんだよ、それでは」
「そうか。じゃあ、今すぐ逮捕するしかないな。この街の、みんなの安全を脅かした代償は高くつくぞ。覚悟しておけ」
「…衛士長さんはよ、どうやって、まともな商売だけで遣り繰りしていくって言うんだ?」
「さあな。オレは商売人じゃないからな。でも、信用はどの職に於いても大切だってことは分かる。オレの、この職だって同じだ」
「………」
「お前がやっていたこと。この店の肉を買いに来てくれた客たちに、お前はどういう答えを返していたのか。信用だけで食べていけないというのはそうだろうが、信用すら守れないのなら商売をする価値はないと、オレは思う。…しばらく考える機会を与える。お前の答え次第で、オレは判断を下す。よく、考えてくれ」
項垂れる店主の横を通り抜け、厨房に入る。
そこから包丁を持ってきて、店主が最初に出した百匁の肉を半分に切って筍の皮で包み。
七百五十円を置いて、ユカラとりるを連れて店を出た。
りるは少し泣き出しそうな顔をしていたけど、ユカラは割と冷静な目をしていて。
「…ちょっと可哀想だったね」
「信用を失った商売人の行く先はない」
「まだ、完全には失ってなかったんだよね?」
「さあな。でも、そうであってほしいと願うばかりだ。せっかく、猶予を与えたんだから」
「…そうだね」
ユカラはそう呟くと、小さく頷いた。
…あの店主が更正してくれることを、私も願ってるよ。
「お母さん…」
「ん?どうした?」
「怒ってるの…?」
「いや、怒ってないよ。ちょっと、あのおじさんに注意をしただけだ」
「ホントに…?」
「ああ、本当だ。りるが心配することじゃないよ」
「うん…」
「私が怖いか?」
「ううん…」
「そうか。…すまないな、不安にさせてしまって」
「………」
頭を撫でてやると、少しだけ笑ってくれた。
でも、不安はまだ残っているらしくて。
…ごめんな。
次からは、私もちゃんと気をつけないと…。
「それで、薬石屋ってどこにあるの?」
「薬屋でいいんじゃないか?薬石屋じゃなくて」
「そうなのかな」
「専門店だと、種類や数は揃っても、それだけ不便になるからな。それに、今回はそんなに変な薬石でもないし」
「何なの?」
「イゥハルだとさ」
「ふぅん。何に使うの?」
「それは、お前が勉強して知るべきことだ」
「えぇ…。分かったよ…」
「よし。じゃあ、薬屋に行こうか」
「うん」
「ほら、りるも」
「うん…」
手を繋いで。
りるは、手に汗を掻いていた。
…楽しい買い物のはずだったのに。
本当に、ごめんな。