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部屋に戻ると、葛葉が屋根縁の柵に座って、どこかをぼんやりと見ていた。
りるは部屋に入るなり、畳んであった布団の山に飛び込んで。
「葛葉。そんなところに座ってると危ないぞ」
「んー?」
「何を見てるんだ?」
「望」
「望?土いじりをしてるのか?」
「んー」
葛葉を柵のこちら側に下ろして、広場を覗いてみる。
望はすぐには見つからなかった。
種を植えたところにはいなかったからなんだけど。
広場をずっと見回してみると、門のところにセトと一緒にいた。
「あれは何をしてるんだ?」
「分かんないけど」
「まあ、そりゃそうだな」
でも、門番と何かを話してるみたいだ。
どうやら、今日は土いじりはしないみたいだな。
「ねぇ」
「ん?」
「…葛葉は、なんでここにいるの?」
「ん?どういうことだ?」
「みんな、ここにいる。葛葉もここにいる。でも、なんで?」
「どうして生きているのかってことか?」
「んー…。分かんない」
「そうだな。なんで、ここにいるか、か」
葛葉を抱き上げて、部屋に戻る。
元気が有り余ってるのか、りるはバタバタと布団の中で暴れていたけど。
端にあってまだ無事だったツカサの布団に葛葉を下ろして、私も隣に座る。
「なんでここにいるのか、だったな」
「うん」
「お前自身はどう思うんだ?」
「うーん…。葛葉はね、前はヤゥトにいたの」
「そうだな」
「それでね、今はここにいるの」
「ああ。ここにいる」
「でも、なんで葛葉はここにいるのか分かんないの。なんで、今ここにいて、ねーねーといっしょにはなしてるのか、分かんない」
「なかなか難しいことを聞くな」
「ねぇ、なんで…?」
「…葛葉は、なんで柵に座って望を見てた?」
「えっ?なんとなく…」
「望を見ながら、ずっとそんなことを考えていたのか?」
「ううん。ねーねーがよいしょってやったときに、葛葉がここにいて、ねーねーがそこにいて、それで、望があそこにいるって思ったの。それで、なんで葛葉はここにいるのかなって」
「…そうか」
意識が放浪していたところに私が干渉したから、放浪していた意識から自身を客観的に見ることが出来た…ということだろうか。
一種の幽体離脱というものかもしれないな。
まあ、葛葉から今聞いたことをだいたい総合していけば…この世界の中に自分がいるという感覚を掴んだということか。
でも、その感覚を上手く使いこなせない。
何か自分だけが宙に浮かんでるような、そんなかんじがするんだろう。
「葛葉。その質問に答えるのは、今の私には出来ない。…いや、誰にも出来ないと思う」
「なんで?」
「葛葉はここにいるからだ」
「……?」
「葛葉はここにいて、私と話している。それが、今だ」
「うん…」
「それを、どうして葛葉がここにいて、どうして私と話しているか、ということを、何か理由を付けて語れるような人間はいない。葛葉がここにいて、私と話しているということ以上のことは、ここにはないからだ」
「私も、似たようなことを考えたことがある。母さんにも聞いた。でも、答えは同じ。答えられないというのが答えだった」
「なんで?」
「私のした質問はこうだ。私は、今ここにいる。今、ここにいて、生きている。それは、どうしてか…ということだ」
「うん」
「厳密に言えば、葛葉の質問とは違うかもしれないけどな。それを聞いたとき、母さんはこう答えた。今、どうして生きているのか。それは誰にも分からない。自分自身にも。でも、何かをするために、生まれてきたはずなんだ、今まで生きてきたはずなんだ。何をするためなのか。それが分かるのも、いつなのかは分からないけど。でも、これだと分かる、その日までは、一所懸命に生きてみたらどうか、と言われた」
「………」
「分からないから、分かるまで生きるんだ。分からないから、今ここにいるんだ」
「…そうなのかな」
「さあな。言ってる私も分からないよ」
「うん。葛葉も分かんない」
葛葉の頭を撫でる。
答えになってないのは分かってる。
だから、せめてもの償いというつもりだったけど。
葛葉は笑ってくれた。
それでいいよって。
…ごめんな、葛葉。
「おかーさん!」
「ん?」
「だっこ!」
「なんだ、りる。どうした」
「んー!」
問答無用で飛び付いてくると、そのままジッと抱きついたままで。
どうしたんだろうか。
ムスッとした顔で、ぐちゃぐちゃになった布団を睨んでいる。
…ていうか、またお母さんか。
「りる、どうしたの?」
「………」
「葛葉は、りるを知ってるのか?」
「うん」
「いつ知ったんだ?今日の朝か?」
「ううん。ずっと前からだよ」
「えっ?ずっと前?」
「ね、りる?」
「………」
「りるね、お城のいちばん上にすんでるんだよ」
「ああ…。それは知ってるけど…」
「…お母さん」
「なんだ」
「…お腹空いた」
「さっき食べたばかりだろ?」
「うぅ…」
「泣いてもダメだ。もうしばらくしたら、おやつを貰ってこいよ」
「お腹空いた!」
「五月蝿いぞ」
頭を小突くと、目に涙を溜めて。
私の胸のところに額を押し付けて、グズグズと泣き始めた。
はぁ…。
こいつは、食いしん坊の泣き虫みたいだな。
…しかしまあ、なんだ。
葛葉はいつぐらいから知ってたんだろうか。
ていうか、こいつはいつから屋根裏に住んでたんだろうか。
もう少し、詳しく聞く必要があるかもしれないな…。