270
やっぱり、この風呂は一人では広すぎるな。
誰か連れてくればよかった。
でも、みんなまだ食べてたしな…。
「ふぅ…」
尻尾を浸けたら、毛が浮くとまた掃除当番に怒られるだろうか。
まあ、怒られるくらいは別にどうともないんだけど。
ということで、髪をまとめあげて、ゆったりと肩まで浸かる。
「………」
最近は誰かしらと一緒に入ってたから、なんだかうら寂しいな。
早く上がって、部屋に戻るか。
その頃には、みんな帰ってるだろうし。
…と、誰か来たらしい。
「ふんふーん。なーなにゃにゃー」
「変わった鼻唄だな」
「あ、お母さん」
「湯船に入るのは、身体を洗ってからだぞ」
「うん」
リュウは洗い場の椅子に腰掛けて、まずは頭を洗い始めた。
掃除は上から。
身体を洗うときもそうだな。
「んー…」
「………」
あっさりと洗い終わると、さっさと流してしまう。
そしてすぐに、身体に取りかかろうとする。
「…リュウ。もう少ししっかり洗ったらどうなんだ」
「え?いつもこのくらいなの」
「まったく…。オレが洗ってやるから」
「うん」
湯船から上がり、尻尾の水気を払い飛ばして。
そして、適当に椅子を持っていって、リュウの後ろに座る。
すると、リュウは嬉しそうに翼をはためかせた。
「どうしたんだ?」
「えへへ。お母さんとお風呂に入るのが嬉しいの」
「なんでだ?」
「お母さん、温かいの」
「温かい?みんなもそうだろ?」
「うん。でも、お母さんはお母さんの特別な温かさがあるの」
「特別な?そうか?」
「うん。温かいよ」
「ふぅん」
石鹸を取って泡立てる。
それから、リュウの髪に付けて洗い始めて。
…リュウの髪は、黒地に赤い毛が混じっているな。
ルウェも、黒地に蒼い髪が混じってた。
龍ってのは、そういうものなのかな。
でも、光は灯と同じで真っ白だし。
響は…真っ黒だな。
「リュウの髪は綺麗だな」
「えぇ、そうかな?」
「ああ。きちんと洗ってくれれば、もっといいんだけどな」
「むぅ…」
「髪は女の命とも言うからな。まあ、女は髪だけじゃないけど」
「そうなの?」
「ああ。だから、いつでも綺麗にしてほしいんだけど」
「でも…。面倒くさいんだもん…」
「私が毎日洗ってやろうか?」
「えへへ。それならいいかな」
「あんまり甘えるなよ」
「えへへ」
「そら、流すぞ」
「うん」
しっかりと洗って、しっかりと流す。
…よし、こんなものだな。
「リュウ、いいぞ。顔を洗って」
「ん」
「ほら、目を開けて。目は痛くないか?」
「うん。痛くないの」
「よし。じゃあ、次は身体だな」
「お母さんが洗ってくれるの?」
「自分で洗え」
「うん」
手拭いと身体用の石鹸を取って、泡を立て始める。
…まあ、背中くらいは流してやろうかな。
「背中を流してやるから、それを貸せ」
「うん!」
泡を立て終えると、すぐに手拭いを渡す。
それから後ろを向き、翼をパタパタとさせて。
「リュウ。それじゃ洗えないだろ?」
「えへへ。そうだったの」
リュウはきちんと座り直して、翼も大人しくさせる。
よし。
じゃあ、流してやるか。
布団に潜る。
少し温かいのは、さっきまで誰かがここにいた証拠なんだけど。
まあ、隣で寝てる響あたりが妥当な線だろう。
「ふぁ…。あ、姉ちゃん。もう寝るの?」
「ああ。風華もだろ?」
「うん。遙さんと話し込んじゃった」
「やっと仕事が決まったんだってな」
「うん。あれ?聞いてなかった?」
「オレの担当は桐華だろうからな」
「あはは、そっか。桐華さんは仕方ないよね~」
「仕方ないことはないだろ?充分大切なことなのに」
「うん。まあ、いいんじゃない?姉ちゃんも、別に怒ってないんでしょ?」
「…まあな」
「明日になれば、嫌でも報されるんだしね。見送りはするの?」
「いつ出るか聞いてないからな」
「朝、洗濯が終わったくらいだって。旅団天元っていうのがまだ国境まで到着してないから、ゆっくり行くって」
「まあ、それくらいだったら桐華も起きてるだろうしな」
「あはは。お寝坊さんなんだ」
「知らなかったか?」
「知ってたけど」
「あいつの寝坊は昔からだ。急ぎの用があれば、置いていかれることもある」
「えっ、そうなの?」
「まあ、寝てる桐華を叩き起こすか、寝てるまま連れていくかのどっちかが多いけど、そんな時間もないときは置いていかれるな」
「ふぅん…。うちの村ではそんなことなかったけどな…」
「村では宿営地を張っていただろ?桐華のために残していくわけにもいかないし、どうしても連れていくんだろう。それにここでも、いつまでも居座るのは迷惑だからと馬を一頭置いていくんだ。桐華が起き次第、その馬で旅団に追い付くという寸法だな」
「ふぅん。桐華さんって、みんなに好かれてるんだね」
「そりゃそうだろ。そうでなければ、とっくの昔に路頭に迷う熊だ」
「路頭に迷う熊かぁ。なんか、可哀想だね」
「あいつなら、路頭に迷っても大丈夫そうなかんじだけどな」
「生命力はありそうだもんね」
「そうだな」
まあ、お茶を飲んでるだけでも、いちおうは旅団天照の団長なんだ。
路頭に迷うことはないだろうな。
「ふぁ…。もう眠たいや…」
「そうか。お休み、風華」
「お休み、姉ちゃん…」
そう言ってすぐに、静かな寝息を立て始めた。
かなり眠たいのを押してたんだろう。
…じゃあ、私も寝るかな。
明日はちゃんと、桐華の口から聞かないといけないな。