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蛇口を締めて、水を払う。
すると、すぐに手拭いが差し出されて。
「どうぞ、隊長」
「ああ。ありがとう」
「私が渡さないと、その服の裾で拭きますもんね?」
「いいじゃないか、どこで拭こうと」
「えぇ…。今は泥だらけじゃない…」
「まあ、足りない分を掘り返したしな」
「精が出ますねぇ。野菜畑も作ってほしいものです。買いに行かなくて済むんで」
「望に頼め」
「…ねぇ、灯さぁ。なんで、今日は敬語なの?なんか気持ち悪いよ?」
「き、気持ち悪い…」
「気にしてやるな。こいつはいつも、当番のときだけは敬語を使う主義なんだよ」
「ふぅん。変なの」
「変…」
「おい、ナナヤ。あんまり率直に言ってやると可哀想だろ?」
「あぁ、そうだね。ごめん、灯」
「い、いえ…。全然気にしてませんから…」
「そう?顔、引きつってるよ?」
「………」
「ナナヤ。その辺にしてやれ」
「はぁい」
ナナヤはイタズラっぽく舌を出して謝っていたけど、灯は結構怒ってるみたいだった。
その様子を、望は不思議そうに見ていて。
「お昼ごはんが出来ましたよ」
「うん、ありがと…って、なんか多くない?」
「そうですかね?然るべき場所に栄養も行き届いてないようですし、これくらいがちょうどいいかと思いまして」
「ふぅん…。まあ、気を遣ってくれるのは嬉しいけど、私はもうこれ以上は無理だろうし。望のと交換するね~」
「………」
「ナナヤの方が一枚上手だな」
「ふふん」
「無い胸を張らないでください」
「たくさんあっても困るだけだしねぇ。まあ、灯はちょうどいいくらいかな?」
「ひゃぁ!?」
ナナヤは素早く灯の胸を鷲掴みにして。
反射的にその手を払いのけて、後ろへ飛び退く灯。
白い髪も赤く染まるのではないかというくらい、真っ赤になっている。
…望は灯の叫び声にビックリして、匙を落としていた。
「おい、お前ら。昼間っからほどほどにしとけよ」
「はぁい」
「………」
「灯お姉ちゃん、どうしたの?」
「望も、もうちょっと大人になったら分かるかな~」
「望、大人だもん…」
「あはは、ごめんごめん。そうだったね。うん、そうだった」
「むぅ…。ナナヤお姉ちゃん、望のこと、全然大人だと思ってない…」
「そんなことないって」
「お母さぁん…」
「はぁ…。ナナヤ。お前はもうちょっと大人になるべきだな」
「えぇ…」
「一枚上手だと褒めた次の瞬間には、どこかのスケベ親父みたいなことをして。そんなことでは、望の方がよっぽど大人だと認めるしかないな」
「うっ…。スケベ親父はないよ…」
「他人の胸を揉むような輩なんぞ、スケベ親父で充分だろう」
「うぅ…」
スケベ親父と言われて呻くナナヤに、舌を出している望の頭を小突いて。
まったく、こいつらは…。
子供ばっかりだな…。
とりあえず、昼ごはんを片付けて。
厨房でしばらくお喋りに時間を費やすことにする。
灯は皿洗いを済ませて、ナナヤとは距離を取って椅子に座る。
「それにしてもさ、ホント、いきなり胸に触るかなぁ?」
「敬語じゃなくなってるよ」
「いいの。今は休憩時間だから」
「そう?」
「はぁ…。ナナヤに奪われて小さくなったんじゃないかな…」
胸に手を当てて、大袈裟にため息をつく。
望は足をブラブラさせて、その様子を見ていた。
「そんなわけないでしょ。そんなことで奪えるんだったら、とっくの昔に私の胸は理想の胸になってるって」
「だから、お前ら。なんで胸の話なんだ。他に話すことがあるだろ」
「お姉ちゃんは残念だったね。もう大きくなる見込みもないもん」
「オレは胸が必要だとは思わない」
「威厳がないじゃない」
「女の威厳は胸の大きさで決まるのか。それなら、香具夜あたりに衛士長を任せればいい」
「んー、そうだねぇ…」
「あ、そうだ。前に見たけど、空さんも結構あるよね。誰なの、あの人?」
「召集を掛けられた議員の一人だ。ヤゥト代表」
「ふぅん。そういえば、風華と利家の兄妹もヤゥト出身だったよね?」
「桜と葛葉と、あとはリュウもな。伊織と蓮も、いちおうはヤゥトのところの森から来てる」
「結構来てるんだね。やっぱり、一番近いから?」
「どうかな。ヤゥトは蜂起の中心だったし、王もヤゥト出身の犬千代がやってるし。そういう理由もあるかもしれない」
「そっか…」
「でも、葛葉は風華を追い掛けてきたんだよね?」
「そうだな。…今思えば、すぐそこだとはいえ、森の中を葛葉だけで抜けてくるのはかなり危険だったな。しかも、大量の稲荷を抱えて」
「稲荷?稲荷なんか持ってきたの?」
「ああ」
「やっぱり、狐って稲荷が好きなのかな?」
「さあな。でも、葛葉の大好物が稲荷なのも事実だ」
「ふぅん…」
「美希、毎日、葛葉とサンのために稲荷を大量に作るんだよ。山盛りで」
「あ、それは見たよ。あれ、葛葉とサンのためだけなの?」
「食べてるのはみんな食べてるけどさ。美希自身は、二人のためだけにしか作ってないと思うよ。直接聞かないと、本当のところは分からないけど」
「ふぅん…。すごい情熱だね」
「そうだね。美希が子供好きなのは確かだけどさ、あの二人に対しての入れ込みようはすごいよね。何なんだろ、あれは」
「さあな。でも、お前が料理に入れ込むのと同じくらいに思えるけど」
「あそこまでじゃないかな…。稲荷を作ってる美希の様子、知らないでしょ?お姉ちゃん、夕飯時は厨房に来ないしさ。…一心不乱だよ、本当に」
「ふぅん…」
見てみたい気もするが、やっぱりやめておこう。
美希のあの甘やかしようから考えて、容易に想像がつく。
「って、あれ?望、寝ちゃってるね」
「ああ。朝から頑張ってたしな」
「そうだね。お姉ちゃんが手伝いに入ってから、すごい張り切ってたし」
「そうか」
泥だらけの服に顔を埋める望。
綺麗な手拭いを間に挟んでやって。
…さて。
じゃあ、望が起きるまで、もう少しお喋りに華を咲かせるとしようか。