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作業は遅々として進まず、桜は私のせいにするばかりで。
桜が文句を言うたびに、刺し傷が増えていくのはどうなんだろうか。
風華もそろそろ苦笑いだった。
「桜。今日はもうやめておいたら?」
「なんでさ!いいじゃない、別に!」
「やけっぱちだな」
「あ、そういえば、もうお昼だね」
「何の脈絡もなしに…」
「だって、お腹空いたんだもん」
「まだちょっと早いと思うけどな」
「そうかな」
「ああ」
「今日のお昼ごはん、何なのかな」
「さあな。食べ物じゃないか?」
「そりゃそうだけど…」
ユカラは眉間に皺を寄せて。
まあ、厨房に行けば分かることだ。
今考えることでもないだろう。
「ところで、サンはどこに行ったの?」
「えっ、あれ?いない…」
「さっき出ていってたじゃないか。気付かなかったのか?」
「全然」
「厠だろ。たぶん」
「そっか」
「サンってさ、不思議だよね」
「何がだ」
「月が出たら、血が欲しくなるって。姉ちゃんの目もそうだけど」
「月光病は、まだまだ解明されてないことの多い病気だからね。夜に月が出てる間しか症状が出ないとか、人によって症状がまちまちだとか。同じ条件下で発症するってだけで、全く違う病気だとする説もあるし、全ての病の原点だとする説もあるし。本当に難しいんだよ」
「ふぅん…」
「そうそう。サンとかの魔霊族みたいに、ある一族だけで共通して発症する月光病もあるみたい。サンのがそうなのかどうかは分からないけど…。青龍族なんかは、身体中に不思議な模様が浮かび上がるんだって。痣みたいなかんじらしいんだけど、次の日の朝には消えてるって。龍紋の一種とも考えられてるけど、やっぱり詳しくは不明。でも、すごく綺麗らしいよ」
「へぇ~。ちょっと見てみたいかな」
「そういう些細な好奇心が、相手を傷付けることもあるんだけどな」
「うっ…」
興味本意で近付いたり、特別視するというのは、自分が思ってる以上に相手を傷付けている。
それにいつまで経っても気付かないやつもいるが。
ユカラは大丈夫なようだ。
「それにしても、風華はいろいろ調べてるんだね」
「まあね。…姉ちゃんと約束もしたし」
「えっ?」
「なんでもないよ。ほら、月光病に興味があるなら、本はいっぱいあるからさ」
「あたし、難しい字は分からないよ?」
「そんなに難しくないよ。学術書じゃないし。月光病は、あまりにも分からないことだらけだから、何を書こうにも書けないんだよ。だから、難しいこともなかなか書けない」
「ふぅん…」
「桜は読み書きが出来ないから、本はちょっと無理かもしれないけど」
「むっ。絵本なら分かるよ!」
「月光病の本は絵本じゃないよ。いちおう、字ばっかりだし」
「えぇ…。じゃあ、ボクは何を読めばいいのさ…」
「ユカラに読み聞かせてもらったら?」
「そんなの…格好悪いよ…」
「何が格好悪いんだ。知ろうとすることに格好良いも格好悪いもないだろ。何かを知りたいという気持ちが、一番大切なんだよ」
「いろはねぇ…。いろはねぇって、そういうこと言うの、恥ずかしくないの?」
「何が恥ずかしいんだ。思ったことを言ってるだけだが」
「姉ちゃんは、そういう人なんだよ。恥ずかしいなんて微塵も思ってるわけないじゃない」
「恥ずかしくないのに恥ずかしいと思うこともないだろ。何が恥ずかしいのか言ってみろ」
「姉ちゃん、何度も言うけどね、そういうセリフはクサいセリフって言って、普通の人はちょっと恥じらいを持って、あんまり言わないことなんだよ」
「懇切丁寧にどうも。でも、オレはクサいとは思わないし、恥ずかしいとも思わない。思ったことをそっくりそのまま言葉にしている。それだけだ」
「うん。まあ、姉ちゃんはそれでいいけどね」
「…なんだ、風華。いつになく挑戦的だな」
「そうかな?いたって普通だと思うけど」
「いや、何かおかしいな。さっきのユカラにしろ。何がおかしいのか…」
「ふぁ…」
と、サンが大欠伸をしながら帰ってきた。
やはり厠だったのだろうか、服の裾で洗った手を拭いたせいでボトボトになっている。
「サン、こっちに来い」
「うん…」
「あ、そういえば」
「ん?」
「前にも何かこんなこと、なかった?」
「そうだな…。サンが来たときか」
「そうそう。そのときは、いろはねぇが変で…」
「そうだったか?」
「うん。あっ!ボクの唐揚げを盗ったのもそのときだ!」
「お前は、いつもオレのおかずを盗るけどな」
「いろはねぇのものはボクのもの。ボクのものはボクのもの」
「どこのガキ大将だ、お前は」
「ボクは成長期だからいいの!」
「どんな言い訳だよ…」
桜は、まだ成長するんだろうか。
ずっと、この小さいままな気もするけど…。
膝の上に座るサンは、眠たそうにまたウトウトしている。
「あっ、そうだ!お昼ごはんだ!」
「だから、まだ少し早いって…」
「早くたくさん食べて、もっともっと大きくならないと!」
「早く食べても変わらないと思うけど…」
「ボクもお腹空いた!ユカラ、行くよ!」
「はいはい」
針山に縫いかけの針を刺して、一目散に部屋を出ていく。
…身体の成長に、食べる時間はあまり関係ないと思うがな。
時間通り食べるに越したことはないだろうけど。
まあ、好きにさせておくか…。