226
「やっぱり一人一人違うからね、感じ方が」
「でも、もう結構焚いてもらって申し訳ないです…」
「いいのいいの。好きなお香が見つかるなら安いよ。好きなのがなければそれまでだし」
「す、すみません…」
「謝るより、気に入った香りを見つけてやれよ」
「えっ?」
「紅葉さん。セリフ取るの禁止ね」
「それはすまなかったな」
「はは、面白い人だ」
軽く手を振って応えておく。
それを見てまた笑いながら、竜哉は次のお香に火を入れる。
しかし、ナナヤは身を乗り出してまで匂いを嗅いでいるのに、肝心の風華が遠慮して後ろに退いてしまっている。
…何しに来たのか分からないな。
「お前はどうする?」
「……?」
「欲しいものがあるんだろ?」
「うん…」
「買いに行くか?」
「………」
「どうしたんだ」
「………」
フルフルと首を振って、俯いてしまう。
どうしたんだろうか…。
「気分が悪いとか?お子さんには、ちょっとお香はきついかもしれないし…」
「そうなのか?」
「ううん…」
「じゃあ、どうしたんだよ」
「………」
さっきまで元気にしてたのにな。
本当に、突然どうしたんだろ。
「気分が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」
「うん…」
「それにしても、お香屋ってさ、自己紹介から入るものなの?」
「僕らはそうしてるよ。お香は、今日だけ買ってお終いってのはなかなかないし、ここで嗅ぐ匂いと実際に家で焚いたときの匂いでは違ってくるときもあるからね。長い付き合いになるんだよ。だから、ほら。お客さんごとに、性格や好みの香り、あとは予算なんかをこうやって診断書に纏めて、毎日蓄積していってるんだよ」
「ほぅ。まるで薬師だな」
「そうだね。まだ一般にはあまり知られてないけど、香りで精神の病気を治療していく、芳香療法なんてのもあるし。いちおう薬師の真似事みたいなことはしてるよ」
「真似事なんて!芳香療法はまだ確立されたものではないですけど、難しい精神病も治療出来る可能性を秘めてる、素晴らしい技術ですよ!」
「えっ…?」
「すまないな。こいつは薬師なんだ。治療法だとか、そういうのには目がないんだよ」
「へぇ~。薬師さんなのか。なるほど」
と頷きながら、診断書に薬師であるという情報を書き加える。
…しかし、芳香療法を褒めてくれたという情報は書く必要があるのか?
「芳香療法はね、兄貴がやってるよ。隣の」
「そうなんですか?」
「うん。興味があるなら覗いてきなよ。兄貴も喜ぶからさ」
「はい。では、またあとで」
「そうだね。で、風華さんは薬師さんなんだよね」
「はい」
「じゃあ、焚き染めも、もしかして薬の匂いを消すため?」
「あ、はい。よく分かりましたね」
「そういう人が多いんだよ、薬師さんには。薬の匂いが服にまで染み付いてしまって、家族に叱られた~とかでね」
「へ、へぇ…」
「匂いの仕事なのに、いつもこんなところにいるから、服に染み付いた匂いとかが分からなくなっちゃうんだよ。だから、職業を聞いてお香を選んだりもするんだ。今回はうっかりしてたけど。でも、職業柄、どうしても気になる匂いってのがあるからね。女衛士さんで戦闘班にいてる人なんかは、汗の匂いを上手く消せるようなお香を選んでほしいって来たりもするよ」
「オレは気にしないから買わないぞ」
「あはは、それは残念だ」
「…しかし、オレが戦闘班だなんて、よく分かったな」
「分かるよ。衛士長さん、有名だし。それに、その草鞋。素早く動けるように、足にピッタリくっついて、それでいて締め付けないような結び方をしてるでしょ。普通の人はそんな結び方しないし、そもそも知らないんじゃないかな」
「ほぅ。よく見てるな」
「まあね。商売だから」
「でも、風華が薬師であることは見抜けなかった」
「薬師さんって、意外と目立った特徴がないんだよね。薬箱を背負ってたりしたら別だけど。染み付いた薬の匂いは、僕には分からないし」
「ふぅん…」
「まあ、手掛かりにするとしたら、あとは雰囲気かな」
「また曖昧な」
「うん。だから、よく外れる」
そう言って、自分でカラカラと笑う。
まったく、底抜けの明るさだな、こいつは。
「じゃあ、まずは定番からいってみようかな。このあたりで」
「次はどんなのかな」
「なんでナナヤが一番ワクワクしてるのよ…」
「えへへ。いいじゃない。私、こういうの大好きだよ!」
「へぇ。じゃあ、ナナヤさんにもピッタリのお香を選ばないとね」
「うん。私は焚き染めるんじゃなくて、焚いてそのまま香りを楽しむ方がいいかな」
「はい、了解」
また診断書に書き込む。
こうやって、風華やナナヤの性格や特徴が蓄積されていくんだな。
「………」
「ん?光、どうしたんだ?」
「………」
こっちを見て、袖を引っ張る。
何かを訴えてるみたいだけど、詳しくは分からない。
「気分が悪いのか?」
「………」
「一回、外に出て新鮮な空気を吸ってきたら?換気はバッチリだけど、それでもちょっと澱んじゃうからね」
「外に出るか?」
「………」
コクリと頷く。
心配そうな顔をする風華とナナヤに目配せをしてから、光を外に連れ出す。
「どうしたんだよ、光」
「うん…」
「お香の匂い、嫌いだったか?」
「違うの…」
「じゃあ、どうしたんだ」
「………」
「ん?」
「えっとね…」
光はモジモジとして、なかなか話し出さない。
チラリと店の中を見たりするけど。
「………」
「………」
「…あのね」
「ああ」
「えっとね…」
「どうした」
「…怖いの」
「怖い?何が?」
「…あれ」
そう言って指差すのは、店の奥に飾ってある、何かのお面だった。
たしか、あれは…北の方の妖怪か何かのお面だ。
あの形相で、悪い子を探し回るとかいう。
「あのお面が怖いから、ずっと黙ってたのか?」
「………」
顔を真っ赤にさせて頷く。
…可愛いやつだな。
お面が怖いから黙りこくってるなんて。
でもまあ、すぐに言ってほしかったかな。
光の頭を撫でる。
「仕舞ってもらうように頼んでくるから」
「うん…。ありがと、お母さん…」
「ああ。お前も、しっかりとお香を楽しまないといけないしな」
「…うん!」
やっと笑ってくれたな。
…さてと。
光は良い子なんだから、あいつには退散してもらうとしよう。