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遠い向こうの方で、誰かが泣いている。
…誰だろうか。
手を伸ばしても届かない。
「ねーねー…」
葛葉か…?
なんで泣いてるんだ?
「うぅ…」
どこにいるんだ。
こっちに来てくれ…。
「ねーねー…」
と、身体を揺すられて目が覚めた。
少しずつ焦点を合わせていくと、葛葉が目を真っ赤に腫らせて泣いているのが分かってきた。
「葛葉、どうしたんだ」
「うぅ…」
「ん?」
これは…。
そういうことか。
「お母さんにおこられる…」
「葛葉。そこでジッとしてろよ」
「うぅ…」
葛葉が寝ていた布団は…これか。
ナナヤと同じ布団で寝ていたらしい。
…ナナヤも起こさないとな。
「ナナヤ、起きろ」
「ん…?」
「ちょっと手伝ってくれ」
「…何を?」
「布団を見てみろ」
首を傾げて、布団を見る。
そして、すぐに顔を上げてニコニコ笑って。
「ど、どうしよ…。この歳でおねしょなんて…」
「お前じゃない。葛葉だ。すぐに片付けるから」
「あ、あぁ…。よかった…」
「葛葉とお前の着替えを出しておいてくれ。オレは布団を洗濯場に持っていって、手拭いを取ってくるから。そのあと、風呂に入る」
「はぁい」
「よいしょ…っと」
裏までは通ってないみたいだ。
まだ泣いている葛葉の横を通って、布団を運んでいく。
角を曲がって、階段を降りようと思ったとき、下から夜勤組らしい弥彦が上がってきた。
「あっ、隊長。おはようございます」
「おはよう。ちょうどいい。弥彦、手拭いを部屋に持っていってくれ」
「え?あ、はい」
「風呂は使えるか?」
「はい。すぐにでも」
「うん。じゃあ、よろしく」
「はい」
布団を見て察してくれたんだろうか。
弥彦は一段飛ばしで階段を降りていった。
よし、これで少し時間短縮。
洗濯場から直接風呂に向かうか。
私も、階段を降りていく。
それにしても、おねしょで起こされるのはいつぶりだろうな。
とても懐かしいかんじがする。
「あっ、お疲れさまです」
「おう」
階段を降りきったところで、ちょうど弥彦と擦れ違った。
弥彦は何枚かの綺麗に畳まれた手拭いを持って、二段飛ばしで上がっていく。
息も全く切らせず、やっぱり体力バカだな、あいつは。
…よし、私も急ぐか。
目を瞑ってでも行ける道のりを、少し小走りで。
すぐに、洗濯場に着いた。
さすがに誰もいなかったので、適当に置いておく。
まあ、しばらく放置しておいても大丈夫だろう。
とりあえず、洗濯物の中から手拭いをいくつか出して床に敷き、布団を下向きに乗せておく。
…こんなものか。
風呂場へ向かう。
まだ日も昇り始めだから、廊下は少し暗かった。
さっきは気付かなかったのにな。
一度落ち着いてみると、気付くことが出来た。
「ふぅ…」
最近、朝早くに起こされてばかりな気がする。
まあ、別にいいんだけどな
弟や妹のためだ。
朝早く起こされようと、夜遅くまで付き合わされようと、苦ではない。
「そうだな」
独りごちてみる。
少し寂しくなっただけだったけど。
でもまあ、その想いに変わりはない。
…風呂場に着くと、ちょうどナナヤが葛葉の服を脱がせているところだった。
葛葉はまだ、今にも泣き出しそうな目をしていて。
「あ、お姉ちゃん」
「どうだった」
「うん。弥彦さんって人が来て、手際よく片付けてくれた」
「そうか」
「うわぁ、派手にやっちゃってるねぇ」
「うっ…うぅ…」
「あー、ごめんごめん。すぐに綺麗にしようね」
「うん…」
残りを脱がせて、先に風呂へ入らせておく。
ナナヤと私も服を脱いで風呂に入る。
「あれ?お姉ちゃんも?」
「朝風呂くらいさせてくれ」
「いや、それはいいんだけどね」
「そうか」
「はぁ…。でも、初めてが葛葉とお姉ちゃんなんてね」
「友香の方がよかったか?」
「んー、どうだろ」
洗い場に葛葉を連れていき、椅子に座らせる。
まだ半ベソをかいている葛葉の頭を撫でて、頭からお湯を掛ける。
「友香は、ズカズカと相手の領域に踏み込んでくるからな。それが一番の短所だ」
「んー、そうなのかな」
「ああ。お前もしばらく付き合ってみたら分かるだろ」
「あはは…。そう言われると怖いなぁ…」
「まあ、基本はいいやつなんだがな。見た目は厳ついけど」
「刺青だけでしょ?」
「刺青だけでも厳ついものは厳ついだろ」
葛葉の身体を洗っていく。
派手にやらかしてたからな。
丁寧に洗っておく。
そして、最後にもう一度お湯を掛けて。
「すっきりしたね」
「うん!」
「お前はいいのか?」
「私は流すだけで大丈夫かな」
「そうか。じゃあ、葛葉。冷えないように、湯船に浸かっておこうな」
「うん」
パタパタと走っていって、勢いよく飛び込む。
ナナヤは慌ててたけど、まあ本人は楽しそうだからよしとしよう。
私も湯船に向かって。
あとからすぐに、ナナヤも入ってきた。
「ほら、こっちに来い」
「ねーねー」
「葛葉。おねしょをしたのは、すぐに分かったのか?」
「うん…。おべんじょに行くゆめをみて、気がついたら、おねしょしてたの…」
「そうか。じゃあ、もうすぐ治る予兆だ」
「よちょう…?」
「もうすぐ治りますよっていう報せだよ」
「ナナヤも、よちょうだったの?」
「私は…どうだったかな…。あんまり覚えてないや」
「ねーねーは?」
「オレも、厠に行く夢を見てから、おねしょはしなくなったな」
「えっ、お姉ちゃんもおねしょしてたの?」
「さあな」
「え?」
おねしょは、どちらかと言うと灯の得意分野だったな。
今日の葛葉みたいに、泣きながら私を朝早くに起こしてた頃は可愛かったんだけど。
まったく、いつからあんなのになったんだろうな。
あとで聞いてみようか。