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ツカサがやっと帰ってきた。
なんとなく、ボロボロになって。
とりあえず、何があったのか聞いてみる。
「市場を走ってたら、魚屋の人に捕まって…。給料はやるから手伝えとか言われたんだ…」
「貰えたのか?」
「いや、明日払うって。どこに住んでるか聞かれたから、城って言ったら驚いてたけど…」
「まあ、知らなかったとはいえ、衛士に仕事を手伝わせてたんだからな」
「そんなに偉いものなの、衛士ってさ?」
「偉いかどうかは知らないけど、仕事がある者に自分の仕事を手伝わせてたんだからな。そりゃ驚きもするだろ」
「あー、そんなことも言ってたかもしれない…。衛士長には俺から謝っておいてやる…とか」
「ははは。謝ることでもないのにな。ツカサの社会勉強になったと考えれば安いものだ」
「社会勉強って…。短期の仕事くらい、盗賊団にいた頃からやってたよ…」
「そういえば、自分たちが稼いだお金がどうとか言ってたな」
「……?俺、そんな話したか?」
「いや、ナナヤから聞いた」
「そうか…」
「どうした?」
「ん?いや…。あの盗賊団にいて、一番傷付いてたのはナナヤだから…」
「そうなのか?」
「うん…」
ツカサはナナヤの髪に触って、少し考えに耽っているようだった。
何を考えているのか、どことなく哀しそうな雰囲気が漂っている。
「いいよな、姉ちゃんになら」
「何がだ」
「うん…」
ナナヤはぐっすりと寝ているのだから返事はしないんだけど、ツカサは何かの確認を取るように話し掛けていた。
そして、小さく頷くと、私の方に向き直って話し始める。
「ナナヤと風呂に入ったこと、あるか?」
「いや、ないな」
「うん…。ナナヤは、誰とも入らないから…」
「なんでだ?」
「俺は見られないけど…。ナナヤの背中のところ、見てみなよ」
「うん?」
光を抱いて寝ているナナヤの着物を少しはだけさせて見てみる。
そこには、刀で袈裟斬りをされた痕が残っていた。
かなり下の方まで斬られているらしい。
…とりあえず、着物をちゃんと戻しておく。
「ナナヤに聞いたかもしれないけど、俺たちはいちおう、刀の扱いだけ練習させられてたんだ…。いつも俺たちだけでやってたんだけど、あるとき、盗賊の一人が乱入してきて、無茶苦茶に斬りつけてきたんだよ…。俺とナナヤとマオは、護身程度は出来たんだけど、あとの三人はまだ刀に触らせてなかったから、無防備だったんだ。それで、そいつがイナに斬りかかったときに、ナナヤが庇って…」
「…そうか」
「そのあとは必死で何も覚えてないんだけど…。次の日に副団長から、あいつは仕事が失敗してヤケになっていたことと、盗賊団から追放されたことを報された」
追放されたというのは、たぶん警察に突き出されたということだろう。
でも、これでだいたい分かった。
「ナナヤは盗賊団の医者のところに運ばれて、傷口を縫ってもらったんだ。処置が早かったお陰で助かったんだけど…。俺は、そのとき、自分の無力さを実感したんだ…。ナナヤを…みんなを…俺は凶刃から守ることが出来なかった…」
「それで、焦っていたのか?」
「うん…。それもある…」
「そうか」
「俺は強くなりたいんだ。みんなを守れるくらいに」
「…お前は、守る強さについて考えたことはあるか?」
「どういうこと…?」
ひとつ息をついて、ツカサを見る。
ツカサは、私の言いたいところが分からないという風に首を傾げて。
「オレが訓練で教えているのは、勝つための強さだ」
「………」
「でも、守る強さは、勝つための強さじゃない。いや、勝つための強さでは足りない」
「何が…?」
「守る強さには、負けない強さが必要なんだ」
「負けない強さ?勝つための強さとどう違うんだ…?」
「負けの反対は勝ちか?」
「そりゃ…」
「じゃあ、引き分けはどう説明する?負けではないぞ?」
「引き分けは、勝ちと負けの間だよ…」
「じゃあ、逃げは負けか?」
「負けじゃないの…?勝ってないし…」
「じゃあ、引き分けは負けだ。誰も勝ってないからな」
「姉ちゃん…。それは屁理屈だよ…」
「そうか?」
「勝ちじゃないなら負けだなんて、極端過ぎるし…」
「それを言うなら、逃げは負けの分類には入らないはずだ。それに、勝ちじゃないなら負けというのが極端なら、最初の勝ちの反対は負けであるという論理も極端じゃないか?」
「もう…。面倒くさいなぁ…」
「すまんな。面倒くさくて」
「………」
かなり不機嫌そうに尻尾を振る。
何か言いたいのなら、早く言ってくれという風だ。
「じゃあ、ツカサ。面倒だとは思うが、聞いてくれ」
「…聞いてるよ、ずっと」
「うん。…勝つための強さは、負けないための強さではない。勝つことしか考えてないからな。相手より力が上回ることが前提になる。まあ、勝つための強さが負けない強さに含まれるのは確かだ。負けてないんだからな。けど、負けないための強さはそれだけじゃない。さっきの話で言う、引き分けも考慮に入ってくる。負けないのなら、引き分けたっていいはずだ」
「………」
「勝つための強さは独りよがりだ。自分が相手より強ければいいんだからな。でも、負けない強さは、そんな単純ではない。ときには引き分ける選択肢を選ぶ必要もあるんだ」
「逃げるってこと…?」
「それ以上、誰も傷付かない、ということだ」
「………」
「勝ちでも負けでもない。お前も言っていた、勝ちと負けの間だ」
「勝ちと、負けの間…」
「ああ」
勝つだけでは、誰かを守ることは出来ない。
独りよがりの力に、他の誰かが入ってくることはないから。
つまり、守る強さには余計に焦りは禁物だということだ。
焦りは、周りを見えなくさせるからな。
…後付け甚だしいかんじがしないでもないが。
「じゃあ、守る強さには余計に焦りは禁物だってことか…。姉ちゃんは、それを分かってて言ってくれてたんだな」
「えっ?あ、うん…」
「どうしたんだ?」
「い、いや…」
私の心を読んでいるのか?
しかも、自分でも少し恥ずかしくなったことを的確に言い当てて…。
油断ならんやつだな…。
「…姉ちゃん、ありがと。俺だけでは一生分からなかった。みんなを守るとか言って、俺が一番分かってなかったんだ…。でも、もう分かった。だから、俺に、守る強さを、負けない強さを、教えてくれ!」
「ああ。分かった」
守る強さか。
みんなを守る強さ。
私が教えられる側かもしれないけどな。
…でもまあ、これからは急かされることもなく、余裕を持ってゆっくりと訓練出来るな。
とてもいいことだ。