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すっかり遅くなってしまった。
あたりはもう真っ暗で、夕飯の匂いが漂っていた。
「みんな、もう食べてますかね?」
「さあな」
「待ってたら気の毒でしたね」
「そうだな」
一度、ずり落ちてきたサンを背負いなおす。
サンは、警察署内で遊ぶだけ遊んで、プッツリと糸が切れたように眠ってしまった。
まあ、サンらしいといえばサンらしいけど。
「………」
「ツカサ、大丈夫?」
「あっ、うん…」
「顔、ちょっと赤いみたいだよ?」
「うん…」
「…あっちも熱いですね」
「あっちもって、別にこっちは熱くないだろ」
「あぁ、そうですね。しかし、望ってだいぶ歳下なんじゃないんですか?」
「四歳下らしい」
「あぁ、なんだ。そこまで変わらないんですね」
「そうか?」
「そうですね、最近は」
「ふぅん…」
「隊長は同い年ですもんね」
「ああ」
「まあ、四歳なんて大した差でもないですよ」
「そうか」
「ええ」
四歳なんて大した差でもない、か。
じゃあ、大した差っていうのはどれくらいからなんだろうな。
…十とか?
「そういえば、佐之助。お前は結婚しないのか?」
「してますよ、いちおう」
「してるのか。衛士じゃないのか?」
「ええ。城下町のです。染物屋の娘で、親父さんに跡を継がないかって迫られてるんですよ」
「いいじゃないか、染物屋。オレの着物を染めてくれよ」
「はは、また考えときます。それに今は、この仕事が一番楽しいですから」
「………」
「前の隊長にも、隊長にも、返しきれないくらいの恩があります。親父さんには悪いけど、この身が続くかぎり、隊長のお傍にいさせてもらいたいんです」
「…そうか」
「そうです」
恩とかそんなのはいいから、跡を継げ…とも言おうと思ったが、佐之助は断固として聞き入れないだろうな。
そうでなければ、もう跡を継いでるはずだし。
何より、佐之助自身のことなんだから、私がどうこう言えることでもない。
「すみませんね」
「ん?何が」
「恩を返すとか言いながら、隊長に気を遣わせてしまって」
「気を遣った覚えはない」
「…そうですか。でも、すみません。ありがとうございます」
佐之助はペコリと頭を下げて、照れくさそうに笑う。
…ありがとう。
私の方こそ。
夕飯が済み、静香に薦められるままに風呂へ。
確かに良い湯ではあるが、静香の言う"今日は特に調子が良い"の意味は分からない。
昨日と同じじゃないのか?
しかし、この辺は温泉が出るんだな。
是非とも城にも湧いてほしいものだけど。
「………」
「どうした、ツカサ」
「………」
「恥ずかしがってるんですよ。隊長は全然隠さないですしね。俺は見慣れてるからいいですけど、思春期の男には刺激が強いんでしょう。…まあ、俺も、少しくらいは恥ずかしがってもいいのに、とは思いますが」
「ふぅん…」
「ふぅんって…」
恥ずかしい、か。
風呂で思ったことは、あんまりないな。
「ツカサ、背中、流してあげるね」
「う、うん…」
「どうしたの?」
「えっ、いや…」
「サンも!サンもやりたい!」
「サンはオレのを頼むよ」
「うん!」
サンに手拭いを渡す。
しかし、どうやら背中を流すということがどういうことなのか分かってなかったらしい。
手拭いと背中を使うらしいということは分かるけど、具体的に何をやるのかは分からない。
望がツカサの背中を流し始めたのを見ながら、似たようなことをやってみる。
「………」
「サン、もう少し強くしてくれないか?」
「うん」
「ツカサはどう?」
「うん…。ちょうどいいよ…」
「えへへ、よかった」
「………」
「しかし、貸切状態ですね。誰もいやしない」
「早いうちに入ったんだろ。みんなもそうだったし」
「そうなんですかね。俺は、出来れば夕飯の前後で入りたいですけど。これだけ良い湯なら」
「まあ、それはお前の考えだろ」
「そうですけどね」
サンは、なかなか背中を流すのが上手いな。
少し後ろを見てみると、真剣な表情で一所懸命やってくれていた。
「よし、サン。ありがとう」
「えっ、まだやりたい!」
「次はオレの番だ。そら、前に座れ」
「うん」
サンは、私の前にこちらを向いて座る。
今さっきまで背中を流していたんだけどな。
まだどういうことなのかは完全に理解出来てないようだ。
…まあいい。
全部洗っておくか。
「きゃう~」
「こら、ジッとしてろ」
「ん~」
「…望、ありがと。俺も、もういいよ」
「うん」
「………」
「じゃあ、次は、ツカサが流して?」
「うん…」
ツカサは望から手拭いを受け取り、風呂椅子を流して場所を空け、望を座らせる。
座るときにニッコリと笑い掛けられたものだから、ツカサはまた顔を真っ赤にさせて。
「………」
「どうしたの、ツカサ?」
「あ、うん…。ごめん…」
「ん~」
「………」
望はパタパタと尻尾を振る。
気持ち良いんだろうな。
それを見て、またツカサは一所懸命になって、望の背中を流す。
「ほら、サン。水、掛けるからな」
「うん」
「よいしょ…っと」
「えへへ。びしょびしょ~」
「それは元からだろ…」
「うん!」
「さあ、風呂に浸かろうか」
「お風呂!」
「走るなよ」
「うん…」
何か考えながら身体を洗っている佐之助は、とりあえず置いておく。
ツカサと望の二人は、そのうちに来るだろう。
…まあ、結局、サンと二人だけで行くことになるんだけどな。
どうしても走りたがるサンを押さえながら、湯船に向かった。
灯りを消してから、だいぶ時間も経った。
ツカサは昼の疲れからか、すぐに眠ってしまって。
でも、ツカサのお陰で、早ければ明日にでも帰られるだろうな。
城のみんなはどうしてるのかな。
もう、みんな寝ただろうか。
「お母さん」
「ん?どうした、望」
「そっちに行っていい?」
「ああ」
モゾモゾと、私の布団に移ってくる望。
額を胸に擦りつけると、安心したようにため息をついた。
「…お母さん」
「なんだ?」
「望ね、ツカサのことが好きかもしれないんだ」
「…そうか」
「お兄ちゃん…としてとは違うの…。桜お姉ちゃんも、ユカラお姉ちゃんも、みんな好きだけど、違うの…」
「どんな風に?」
「ツカサがいるとね、安心するんだ。お母さんと一緒。それでね、嬉しいの」
「…そうか」
「うん…。望、何か変なのかな…」
「なんでそう思う?」
「ツカサとずっと一緒にいたいと思うのに、でも、一緒にいるのが怖いの…」
嫌われるのが怖いんだろうか。
ツカサが自分の前からいなくなるのが怖いんだろうか。
しかし、どうであれ、望はツカサへの恋が終わってしまうことに、不安をいだいている。
始まる前から、終わる不安に駆られているんだ。
「望」
「………」
「怖いからといって手を伸ばさずにいたら、いつまでも怖いままだ。それなら、勇気を出して手を伸ばしてみないか?それで望が欲しかったものが手に入ったなら、素直に喜べばいい。手に入らなくて傷付いたときは、望の傷が治るまで、私が慰めてあげる。だから、怖がらないで。後悔しないように、頑張ってくるんだ」
「…また、お母さんの布団に来ていい?」
「ああ」
「えへへ…。じゃあ、頑張ってみる」
「うん」
望を抱き締めると、パタパタと尻尾を振って。
しばらくすると、安心したんだろう、眠りに落ちていった。
…掴んでこいよ。
お前の望むものを。