188
目が覚める。
横を見るとサンがいて、静かに眠っていた。
昨日は私の血を飲んでいたようだ。
…血って美味しいのだろうか。
まあ、サンは美味しいと思ってるようだから、それはそれでいいんだけど。
とりあえず、大きく伸びをして、布団から抜け出す。
部屋を見回してみると、佐之助と静香がいないようだった。
どこに行ったんだろう。
だいたいの予想はつくけど。
まあ、少し散歩に出るか。
部屋を出て、宿の廊下を歩いていく。
途中、厨房の前あたりに来ると、中から誰かが出てきて。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
「よく眠れましたか?」
「ああ、お陰さまで。布団は毎日変えてるのか?」
「そう思うでしょう。でも、違うんです。晴れている日は必ず、お昼の間は外で干しているので、連泊されるお客さまにも毎日フカフカの布団を提供出来るんですよ。雨の日は、仰る通り、布団を変えることもありますが」
「なるほどな。ご苦労さま」
「これが仕事ですから。お客さまからのお褒めの言葉が、一番の報酬です」
「ふふ、そうか。これからも頑張ってくれよ」
「はい。もちろんです。ありがとうございます」
深々と頭を下げると、廊下の向こう側へ走っていった。
何かを取りにいくところだったんだろうか。
しかし、ハキハキとしてて気持ち良いな。
厨房から出てきたし、板前だろう。
うちの板前たちにも、これくらい早起きして朝ごはんを作ってほしいものだけど。
まあ、無理かもしれないな。
…それから、また長い廊下を歩いていく。
全部で何部屋くらいあるんだろうか。
ひとつひとつの部屋も大きいけど、この宿自体かなり大きいからな。
一階だけでも二十はあるかもしれない。
「おはよう」
「…おはよ」
「早起きだな」
「紅葉姉ちゃんが起きるのが分かったから…」
「そうか。起こしたか。悪かったな」
「ううん。…どこに行くの?」
「散歩だ。お前も来るか?」
「うん」
後ろから追い付いてきたツカサは、相変わらずの無口で。
来たときと同じく、静かについてきた。
…足音がせず、気配も希薄。
どんな生活をしてきたか、それだけでも窺い知れるようだった。
「どうだ。盗賊を辞めてからの生活は。まあ、まだ今日で二日目だけど」
「…楽しいよ。新しい発見があったり、今まで見えてなかったものが見えたりして。盗賊は生きるための手段であって、家や家族にはなり得ないんだってことを実感した」
「ふぅん」
玄関で靴を履き、外へ。
今日も晴れで、雨も降らないようだ。
「イナやマオがあんなに楽しそうに笑ってたのを初めて見たかもしれない。キリとシュウも、本当に表面だけ明るく取り繕ってたってのが分かった」
「そうか」
「俺が、みんなの心に抱えていたものを見抜けなかった…見ていなかったことにも気付けた」
「心に抱えていたもの、か」
「俺は、年長者として果たすべき役割を放棄してたんだ」
「そう、思うのか?」
「…思うよ」
「お前はさっき、心に抱えていたもの、と言ったな。お前自身にもあるんじゃないのか?心に抱えているもの、心を縛っているものが」
「………」
「オレが見るに、お前が一番重症だ。年長者という鎖に縛られて、逃げ場のない中で不安に打ちひしがれていたのは、お前じゃないのか?」
「………」
「そういう者に、他人の心配を出来るほど、心に余裕はないと思うけどな」
「でも…俺は、みんなを守らないといけなかった…。俺がいれば大丈夫って、みんなの期待に答えないといけなかった…」
「じゃあ、今はどうだ」
「えっ…?」
「今は、お前自身が頼れる者がいるんじゃないか?オレじゃなくとも、他の誰かに頼れるんじゃないのか?似たような境遇の佐之助もいるし、城に帰れば他にもたくさんいる。今までは年長者として頼られるという責務を背負っていたかもしれないけど、これからは、身を寄せる先があるんだ。そういった人に、一度、身体を預けて休んでみたらどうだ。それから…心に余裕を持ててから、またイナたちのことを考えてみるといい。新しいこと、変わらないこと、いろいろ見えてくるはずだ。…みんなのことはオレたちに任せて。今は、今が、休むときだ」
「………」
ツカサの表情は暗かった。
言い方がきつかったのかもしれない。
何かを考えている様子で、ジッと黙りこんでいた。
「俺…」
「ん?」
「俺は、俺自身が一番見えてなかったのかな…」
「たぶんな」
「なんか、恥ずかしい…。精一杯、みんなの面倒を見てきたつもりだったのに…。自分自身に目を瞑っていたなんて…」
「恥ずかしくなんてない。あることに集中すれば、周りは見えなくなるものだ。ツカサも、みんなを守ることに一所懸命になっていたから、自分のことが見えなかっただけだ。これから、見直す時間はたっぷりとあるんだから。ゆっくりと見つめ直せばいい」
「…うん」
ツカサの頭を撫でると、笑ってくれた。
少し迷いはあったけど。
昨日よりは良い顔になっていた。
「…紅葉姉ちゃん」
「ん?」
「…俺、紅葉姉ちゃんのこと、頼ってもいいかな」
「ああ。もちろんだ」
「えへへ、ありがと…」
初めて見せてくれたかもしれないその子供っぽい顔の裏に、ツカサが今までずっと耐えてきた大きな傷が見えた気がした。
…いつか、その傷も癒える日が来るんだろう。
そのためには、私たちが支えてやらないといけない。
道のりは長いだろうけど。
ツカサが、私を認めてくれたんだから。
だから、私も精一杯応える。