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宿に戻っても誰もいなかった。
灯たちは何をしてるんだろうな。
まあ、それぞれカシュラを満喫してくれれば、それでいい。
…いちおう、仕事で来たということになってるんだけど、結局はこうなるんだな。
「しかし、お前。オレについてこないで、みんなと行けばよかったのに」
「………」
「望と一緒にいるのはしんどいか?」
「やっぱり、見てたんだ…」
「まあな。朝は気付かなかったけど」
「朝は…なんとも思ってなかったから…」
「ふぅん」
「朝は俺も俯いてばかりだったし…望も全然喋ってなかったから…」
「そうか。しかし、望はあの双子と同じくらいの歳だぞ」
「えっ?」
「知らなかったか?」
「マオより上だと思ってた…」
「望は、城では歳下の子の方が多いから。面倒見がいい分、大人びて見えるんだろうな」
「マオより下…」
「四歳差だな。気になるか?」
「ううん…」
「そうか」
望を選ぶと、もれなくかなり歳上の爺さんが付いてくるけどな。
まあ、カイトなら、その場にいずとも、雰囲気くらいは察知してるかもしれない。
「………」
「ふぁ…」
「…俺じゃ、ダメかな」
「何がだ」
「………」
「………」
元服も済んでるだろうし、もしかしたら結婚まで考えているのかもしれない。
…まだ少し早い気もするけど。
「………」
「………」
「………」
「…やっぱり、まだ早いんじゃないか?」
「えっ?」
「まずは、望の気持ちを聞いて、ある程度の付き合いをして、それからだ」
「分かってる…。でも、やっぱり、好きになった女の子は、最後まで面倒を見ないと…。そうでないと、男が廃るって…」
俺の女はただ一人。
惚れたからにゃ、最期まで。
そうでなくっちゃあ、あっ、男が廃るってぇもんよぉ。
だったか。
時代劇や歌舞伎が好きなんだろうか。
恋焦がれ大将の一節なんて、よく知っているな。
あるいは、地で言っているのか。
…さすがに、それはないな。
「まあ、お互いの気持ちが一番大切だろう。望が、お前のことを気に入るとも限らないし。そうなれば、嫌がる望と結婚することは出来ない…」
「………」
不味いことを言ったかな。
ツカサの顔には、明らかな哀しみの色が浮かんでいた。
「たとえばの話だ。嫌われると決まったわけじゃない」
「でも…。俺…嫌われたら、もう結婚出来ない…」
「なんでそうなるんだよ…」
「好きになるのは、たった一人だから…」
俺の女はただ一人…のところに引きずられているのか。
まったく、恋焦がれ大将にも困ったものだな…。
いや、恋焦がれ大将が困ったものというわけではないんだけど…。
「どうしよう…」
「…まあ、今は深く考えるな。そういうことは、結果が分かってから考えるんだ」
「うん…」
小さく頷くが、すっかりしょげてしまった。
…しかし、ツカサがこんなに多感で繊細な心の持ち主だとは思わなかった。
いや、そんなことを言うと失礼か。
でも、風華はともかく、同い年の桜からは微塵も繊細さなど感じられないしな…。
まあ、少し子供っぽいのは似ているか。
物語である恋焦がれ大将の一節を信じてるあたり、かなり純粋なんだろう。
今回、それが面倒なことになってるんだけど。
なぜかは分からないけど、一人で帰ってきたサンは心地の良い枕を見つけると、すぐにそれを抱いて眠ってしまった。
「………」
「まあ、離すまでの辛抱だな」
「………」
その枕というのがツカサの尻尾だったんだけど。
動くに動けないツカサは、ジッと固まってしまって。
「…この子の名前は?」
「サンだ。ついこの間、うちに来た」
「サン…」
「可愛いだろ。小さくて」
「…うん」
「朝は寝坊してたみたいだったからな。まあ、普段は鞠みたいに元気に跳ね回ってるよ」
「ふぅん…」
少し身体を捻って、サンの頬に触れる。
すると、寝ぼけているのか、ツカサの指を噛んだ。
痛かったのか、一瞬驚いたような顔をして。
「こんなに小さいのに、もう歯が生え変わってるのか?」
「ん?どれだ」
少し強引にサンの口を開けさせて、歯を見てみる。
何か唸っているけど、まあ、後回しだ。
「普通くらいじゃないか?前歯だけしか生え変わってないぞ」
「えっ。でも、牙が…」
「これはそんなに珍しいことでもない。もうすぐだろうが、生え変わってはいない」
「ふぅん…」
口から手を離すと、サンは眠そうな目でこちらを睨んでいた。
まあ、当然だけど。
「うぅ…」
「ごめんごめん。ほら、こっちに来い」
「………」
ツカサの尻尾を離して、不機嫌そうに私の胡座の上に座る。
何も言わないで、体重だけ後ろに掛けてきて。
ムスッとした顔で、ツカサを見ていた。
「そう怒るなよ」
「………」
「許してくれないのか?」
「………」
頬を引っ張ると、また唸り始めた。
よっぽど、起こされるのが嫌だったのかな。
「うぅ…」
唸るサンを抱き締めておく。
これで機嫌が直るとは思ってなかったが、悪い気はしないのだろう。
顔を覗いてみると、少し表情が和らいでいた。
「ほら。今度は起こさないから。もう一度、目を瞑って」
「………」
素直な子だ。
ゆっくりと目を閉じて。
そっと撫でてやると、すぐにまた眠った。
「紅葉姉ちゃんのこと、すっかり信頼してるんだな」
「ああ。有難いことだ」
ツカサはそっとサンの頬を突ついたりして、それからは何も話さなかった。
でも、何も言わずとも分かる。
新しい妹が可愛いんだろう。
パタパタと尻尾を振っていた。