174
まだ眠っているサンは、ほんのりと温かくて。
昨日も私の血を飲んだのだろうか。
起きてる間には来なかったけど。
しかし、それにしても…
「翔。もっとゆっくり走れないのか?」
「無理だよ。これ以上遅くしたら、遙姉さんに追いつけない」
「あいつ…。どれだけ飛ばしてるんだよ…」
「今日中に着くって意気込んでたから。みんな起きたら、もっと上げるかも」
「おい、カルア。あいつに文句を言ってこい」
「無理ですよ…。だいたい、どうやって馬車に追いつくんですか…。そりゃ、止めるための合図もありますが…」
「気合いだな」
「気合いで追いつけたら、苦労はしませんよ」
「何事も気合いだ」
「紅葉姉さん…。それはさすがに横車だよ…」
「遙の方が横車だ」
「そういう問題じゃ…」
しかし、馬がバテないだろうか。
この調子だと、昼まで持たないぞ。
「この速さで行くと、あと半刻もすれば中継点に入ります。替えの馬も控えているので、遙さんも飛ばしているのでしょう」
「中継点ありきの行軍なんだな…」
「ええ。そういう依頼も多いですし。出来るだけ早く着きたいとか」
「今回は、あいつの独断だけどな」
「すみません…」
「カルアが謝ることはないだろ」
「副団長の不手際は、部下の不手際でもありますので」
「普通は逆だけどな」
はぁ…。
しかし、こうガタガタしては、サンと夏月も起きてしまう。
桐華は別にいいけど。
どうにかならないものか…。
「望と祐輔も、まだ寝てていいんだぞ」
「うん」
「まあ、この状況では寝られないか」
「うん」
サンの頭を撫でると、眠りが浅かったのか、何かムニャムニャと言っている。
翼がパタパタ動いてるということは、喜んでくれてるんだろうか。
小さな手を握ると、安心したようなため息をついた。
「可愛いね」
「そうだな。望もこんなかんじだぞ」
「えっ」
「お前の場合は、パタパタと尻尾を振るんだけどな」
「お母さん…。望にイタズラしてたの…?」
「たまにな」
「もう…」
望は顔を赤らめて。
その顔も可愛い。
手を伸ばして頭を撫でてやると、そっぽを向きながらも尻尾は振ってくれた。
「姉さま、俺は?」
「祐輔は反応が薄いな。オレが触るときは、いつも熟睡してるんだろう」
「むぅ…」
「はは、そんな顔をするな。起きてるときに、可愛い様子は見させてもらってるよ」
「そ、そうかな」
「ああ」
「えへへ…」
照れて頬を掻く祐輔も撫でてやる。
望とは対照的に、祐輔は甘えたように喉を鳴らして。
三者三様、十人十色か。
歳の違いもあるだろうけど、望は可愛いと言われて恥ずかしさ半分、照れが半分。
祐輔は、照れもあるけど、嬉しさが先行しているようだ。
夏月やサンも、また違った反応を見せてくれるんだろうな。
また起きてるときに確かめてみよう。
馬車の揺れは尚も続く。
今回だけは、朝ごはんを食べなくて正解だったかもしれない。
「うぇ…」
「大丈夫か、サン?」
「うぅ…」
「翔。馬車を止める合図を送ってくれ」
「はいはい」
翔が何をしてるのかは見えなかったけど、この馬車も前の馬車も速度を落として。
追いつけるくらいになったところで降りて、文句を言いにいく。
すると、遙も馬車を降りていて。
「あはは、ごめんごめん。ちょっと飛ばしすぎたね」
「ちょっと?どこがちょっとだよ。サンが酔ってるんだぞ!」
「えっ、そうなの?酔い止めは?」
「あれは二日酔いの薬だ」
「あぁ…。なるほど…」
「なるほどじゃないだろ。とにかくだ。もう飛ばすな」
「はいはい。まあ、これだけ来たら、普通に行っても夕方には着くだろうしね」
「はぁ…」
「ため息つかないの」
「つかせてるのは誰だ」
「分かった分かった」
えらく適当な返事だな…。
まったくもって心配だ。
「…それで、中継点ってのは何だ」
「あ、聞いたんだ。中継点は、馬借や車借のためにいろんなものを置いてるところだよ。私たちは車借にあたるのかな?」
「ふぅん…」
「半刻も行けば着くと思うよ」
「そうか」
「安全運転で行けばね。飛ばせば四半刻も掛からないけど」
「何言ってんだ」
ポカリとひとつ殴っておく。
遙はイタズラっぽく舌を出して。
「静香、安全運転だって」
「はい。分かりました」
「そういえば、そっちはどうなんだ?」
「何が?」
「乗り物酔いだよ」
「あぁ。桜が寝込んでるみたいだね」
「おい…。自分の馬車でも患者が出てるのに、暴走させてたのか…」
「暴走だなんて、ねぇ?」
「はい。ちゃんと制御出来てますので」
「そういう問題じゃないだろ。今回のことを、一から説明しないとダメなのか?ん?」
「いえ…いいです…」「すみません…」
「そうか。分かってるならそれでいい。これ以降は、緊急時以外はむやみやたらに速度を上げないこと。いいな?」
「ハイ…」「分かりました…」
「まったく…」
説教をしてる間に、桜は馬車から出てきて外の空気を吸っていた。
よっぽどだったのかもしれない。
どちらにせよ、朝ごはんが食べられなくて本当によかった。
しかし、普通の速度と揺れ、あるいは、緊張状態なら誰も酔わなかったから、中継点あたりで食べておいた方がいいだろう。
「残念だったね~」
「そうですね」
「………」
うん。
あいつらには、一から説明してやらないとダメなようだな。
二人がチラリとこっちを向いたときに、ニッコリと微笑んでおいた。