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「ふぁ…」
「それで、結局サンはどうだったの?」
「ん?血を吸う話か?」
「うん」
「確かにそうだったよ。確認した」
「ふぅん…」
頑張って疲れたせいか、眠ってしまったサンの頬に触れる。
小さな身体は、私の羽織にすっぽりと隠れていて。
「謝ってた」
「え?」
「変だからって。血を飲むのは変だから、私がサンのことを嫌いになると思ったらしい」
「えっ、そんな…」
「だけど、サンはそう思った。そう思わせる何かがあったということだ」
「………」
「サンがどこから来たのかも分からない私たちが、どうこう出来る問題じゃないのかもしれない。過去の傷は、過去が全く消えてしまわない限り、消えないものだから」
「でも…。でも、癒すことは出来るよね…。時間は掛かるかもしれないけど…」
「ああ。私も、同じことを考えてた」
「そう…だよね」
風華はぎこちない笑みを浮かべて。
だから、額を軽く弾く。
「お前が不安そうな顔をしててどうするんだよ。これから頑張ろうってときに」
「うん…。でも、私は姉ちゃんほど人格が出来てないから…。もし、サンの傷がいつまでも癒えなかったらどうしようって…」
「…私だって不安だよ。人格者でもない。どれだけのものかも分からない傷を治そうっていうんだから、不安になるのは当然だ。でも、不安に思うってことは、それだけ今直面している問題が大切なものだってことだ。そう考えると、不安に思ってる余裕なんてなくなってしまう。不安に思うくらいなら、その分、問題解決に尽力する。そうすれば、必ず成功するから」
「うん…。やっぱり、姉ちゃんはすごいね」
「何もすごくないよ。考え方の問題だけだ」
「私には、そんな考え方は出来ないもん。すごくなかったとしても、私にとってはすごいの」
「これは母さんから教わった考え方だ。オレがすごいのなら、風華もすごいはずだ。もうこの考え方が出来るんだから」
「ふふふ。やっぱり、私は姉ちゃんには敵わないなぁ」
「ん?なんでだ?」
「姉ちゃんは、私の姉ちゃんだから」
そう言って、抱きついてきた。
頬のところには、やっぱり龍紋が輝いていて。
…龍以外でも龍紋は出るのかな。
とにかく、風華が何に納得して、私には敵わないと言ったのかは分からなかった。
私が風華の姉であるのはそうだけど、風華が私に敵わないとは思わない。
まず何より、私が風華に勝っているとも思えない。
でも、私が風華の姉ならば…私は風華の姉だから、姉として常に風華の目指すべき目標であるべきなんだろうな。
そして、それが私の目標。
地面を静かに打つ音が聞こえてきた。
葛葉は窓枠のところに座って、足をブラブラさせている。
「何が見える?」
「んー」
「あっ、ホントに雨が降ってきたね」
「言わなかったか?雨が降ってくるかどうかが分かるって」
「聞いてたけどね」
「みんな、はしってる」
「そうだな。走ってるな」
「急に降ってきたから、みんな傘とか持ってないんだね」
「ん~」
「楽しいか?」
「うん」
葛葉はジッと市場を見ていて。
何が楽しいのかは分からないが、パタパタと九本もある尻尾を降っていた。
「お母さん」
「ん?どうした、サン」
「喉、渇いた」
「水か?」
「うん」
「じゃあ、厨房で貰ってこい」
「お母さんもついてきて~」
「ああ、いいぞ」
「行ってらっしゃ~い」
そして、風華に見送ってもらい、サンと一緒に厨房に向かう。
サンは走ったり飛び上がったりして、とにかく真っ直ぐ歩かない。
「あんまり走ると転ぶぞ」
「えへへ」
「何か嬉しいのか?」
「うん!」
「何が嬉しいんだ?」
「えっとね、今日の夢にね、お母さんが出てきたの」
「どんな夢だったんだ?」
「お母さんがね、サンは変じゃないって言ってくれたの!」
「…そうか。そんなことを言ってたか」
「今日はお母さんの血を貰ったから、そんな夢を見たのかな」
「さあな。でも、夢じゃなくても、私は同じことを言うよ。サンは変じゃない。私の可愛い娘なんだからな」
「うん!」
頷くと、勢いよく抱きついてきて。
その金色の髪を撫でると、嬉しそうに翼をはためかせる。
…夜のことは、血を飲んだこと以外は夢だと思ってるんだな。
それでも、ちゃんと覚えてくれている。
大きな一歩だ。
「さあ、喉が渇いたんだろ?」
「うん」
「よし。じゃあ、速く行こう」
サンを肩に担いで走り出す。
それが面白いのか、サンは大はしゃぎして。
厨房まで一直線だ。
厨房には美希がいて、何かの本を熱心に読んでいた。
どうやら料理の本らしいが、何が書いてあるのかは分からない。
「美希」
「なんだ。今、忙しいんだ」
「サンに水をやってくれ」
「えっ、サン?」
「そら」
美希の横の椅子にサンを下ろす。
すると、美希は急に立ち上がって、水の用意をし始めて。
それにびっくりしたのか、サンは少しおどおどしている。
「サンは、水とお茶ならどっちがいい?」
「お水…」
「そうか」
横に置いてあった水を湯呑みに注ぎ、サンの前に置く。
…井戸水とは違うんだな。
「一度蒸留した水だ。井戸水より綺麗だよ」
「ふぅん…」
「それより、サン。お前が好きな食べ物は何だ?」
「んー、若あゆ」
「それはお菓子だろ…」
「いいじゃないか。若あゆが好きなら、今日のおやつにでも作ってやるからな」
「うん!」
「材料はあるのか?」
「買いに行けばいい。雨くらいでは、私は諦めないぞ」
「…ホントに、チビたちが好きだな」
「可愛いからな。それに、喜んでる顔を見るのが好きなんだ」
「オレみたいな大人には当てはまらないのか?」
「もちろん当てはまるけど、チビたちの笑顔には勝てない。そう思わないか?」
「…まあ、思わないことはないな」
チビたちの笑顔は、いつも必ず、本当に純粋な感情の具現だから。
少し含みのある、私たちの"笑っている顔"では勝てないのは当然。
でも、私たちにだって、心からの笑顔はあるはずだ。
美希も、それに気付いてないはずはない。
「若あゆ以外にはないか?」
「んーと、お蕎麦!」
「そうか。じゃあ、今日の昼ごはんは蕎麦だな」
「えへへ」
…しかし、今はどうやらサンを甘やかすのに手一杯のようだ。
しばらくしたら、止めに入らないといけないな。
たぶん、際限なくやるだろうから。