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今日は雨が降るだろうな…。
やっぱり、言っておく方がいいか。
「風華」
「ん?何?」
「雨が降る」
「え?晴れてるよ?」
「晴れてても降るんだ」
「そっか…。じゃあ、今日は内干しだね」
「ああ」
「でも、もう干してあるのはどうするの?」
「あとで香具夜にでも言っておくよ」
「うん。分かった」
風華は頷くと、そのまま洗濯物籠を抱えて城の中に入っていった。
途中で声を掛けられてたから、じきに広まるだろうけど。
「香具夜。聞いてたか?」
「うん。みんなに言っておくね」
「よろしく頼む」
「はいはい」
香具夜は軽く手を振って走っていった。
風華から聞いて、いそいそと取り込み始めたやつらもいるし、いらなかったかもしれないが。
「紅葉、桐華知らない?」
「厠か医療室だろ」
「はぁ…。また二日酔い?昨日、帰ってこなかったと思ったらこれだよ…」
「あいつはいつも呑みすぎるからな」
「強いわけでもないのにねぇ。紅葉みたいな鋼鉄の肝臓なら、いくら呑んでもいいけど」
「鋼鉄の肝臓って何だよ…」
「事実そうじゃない。紅葉が酔っ払ってるところ、見たことないよ」
「いつでも水を呑んでるからな」
「この前、蒸留酒の原液を呑んでも平気な顔してたくせに」
「そんなの呑んだことないぞ」
「私がこっそり呑ませたんだよ。ちょっとくらい酔うかと思ったのに、全くだもん」
「…そんなことはやめてくれると有難いんだが」
「味覚も麻痺してるのかなぁ」
「勝手に想像を膨らませるな」
「だって、普通気付くでしょ?私だったら、原液なんか口に含んだだけでも吐き出すよ」
「ふぅん…」
「ふぅんじゃないでしょ。はぁ…。桐華にちょっとでも分けてあげればいいのに」
「分けられるものならな」
「あはは、そうだね」
遙はカラカラと笑って。
桐華が二日酔いするまで呑むのを一番楽しみにしているのは遙だ。
楽しそうな桐華を見て、遙自身も楽しんでいる。
少しくらいは強くなってほしいと思っているのは事実だろうが、今のままでいいと思ってるのも事実だろうな。
複雑なようで、単純なことだ。
部屋に戻ると、梁のところに縄が渡され、洗濯物が干してあった。
上の方に張ってある縄にはリュウが座っていて。
「あ、いろはお姉ちゃんなの」
「みんなはどこに行った?」
「んー」
足をブラブラさせて考え込む。
…あそこには飛んで上がったんだろうか。
まあ、どっちにしても、あの縄に掛かってる洗濯物は風華が干したものじゃないだろう。
「あっ、広間に行くって言ってたの。大変になってくるから、お手伝いにって」
「広間か。それで、お前は何をしてるんだ?」
「んー。何もしてないの」
「まあ…そうだろうな」
「えへへ」
なぜか照れたように笑うと、フワフワと降りてきた。
そして、私の首に抱きついて。
「ねぇ」
「ん?どうした」
「響と光がね、いろはお姉ちゃんのこと、お母さんって呼んでたの」
「そうだな」
「だから、わたしもお母さんって呼んでいい?」
「ああ。もちろんだ」
「えへへ」
龍紋が浮かび上がり、キラキラと光っている。
そんなに嬉しいことなのかな。
一旦床に下ろして頭を撫でてやると、甘えるように額を腹に擦りつけてくる。
…今なら大丈夫かな。
思いきって、喉のところを触ってみる。
「ん~」
「大丈夫か?」
「何が?」
「逆鱗なんだろ?」
「うん」
それがどうしたの、と聞かんばかりに首を傾げる。
光のときと大違いだな…。
「触られるのは嫌じゃないのか?」
「んー。えっとね、知らない人ならイヤなの。でも、このお城にいる人はみんな、家族だって教えてもらったから。だから、イヤじゃないの」
「そうか」
「うん」
誰に教えてもらったんだろ。
リュウの柔らかい頬を横に伸ばすと、楽しそうに声を上げて笑う。
明るい子だな、この子は。
それに、周りも明るくしてくれる。
「よし。広間に行こうか」
「うん!」
リュウは一度宙返りをして、私の手を掴んで。
ニッコリと笑うと、急かすように翼をはためかせる。
…さっきの宙返りは何だったんだろうか。
まあ、とにかく急ぐとしよう。
広間には、私の部屋と同じく洗濯物がたくさん掛けてあった。
…仕事が早いな。
「あっ、紅葉~。こっちこっち」
「なんだ」
「ご苦労さま。はい、お茶」
「ありがとう。…でも、オレは何もしてないぞ」
「はい、リュウもどうぞ」
「うん。…お菓子は?」
「お茶菓子はないよ。ごめんね」
「うん…」
「遙。これは何のお茶なんだ?」
「知覧茶だよ。紅葉の好きな」
「いや、そうじゃなくてだな…」
「いいじゃない、なんでも。理由がないと、お茶も飲めないの?」
「そういうわけじゃないけど…」
「じゃあ、つべこべ言わずに飲みなさい」
「はぁ…」
仕方ないので、その辺で休んでた風華の隣に座って。
うん、やっぱりお茶は知覧だな。
「あ、姉ちゃん」
「もう終わったのか?」
「うん。あとは、広間に入りきらなかった洗濯物だけだよ」
「そうか。しかし、こうやって見てみると、たくさんあるんだな」
「うん。みんな、だいたい一日着たら着替えるからね」
「汗も掻くし、外回りなんかすると結構汚れるからな」
「うん」
「お母さん」
「ん?」
サンが上から降りてきた。
そして、胡座にすっぽりと収まると、嬉しそうに笑って。
…よく見れば、鳥や龍の連中はほとんど上で休んでいる。
リュウもそうだったし、あっちの方が落ち着くんだろうか。
それなら、いくつか残しておいてもいいんだけど…。
あとで聞いてみるか。
「ねぇ、お母さん」
「あぁ、すまない。どうした?」
「サンもね、頑張って干したんだよ」
「ほぅ。どの辺だ」
「えっと、葛葉がいるあたり」
「え?」「えっ!?」
私よりも風華の方が驚いていた。
部屋の真ん中くらい、サンが指してる一番高い縄のところに、確かに葛葉は座っていた。
「葛葉!危ないでしょ!どうやって登ったのよ!」
「……?」
「降りてきなさい!あ、いや、降りてきちゃダメ!じゃなくて…」
「とりあえず落ち着け」
葛葉は、何を怒られているのか分からないといったかんじでおどおどしている。
…仕方ないな。
ひとまず足の上に座っているサンを横に置いておき、手近の縄に飛び上がる。
そのまま登っていって、葛葉のいる縄へ。
葛葉の横に座り、理由を聞くことにする。
「どうやってここに登ったんだ?」
「えっと…えっと…」
「オレは怒らないから」
「うぅ…。じぶんでのぼってきたの…」
「そうか。よく登ってきたな。でも、落ちたら危ないだろ?登ってもいいけど、必ず誰かに言ってからだ。分かったか?」
「うん…」
「よしよし。良い子だ。じゃあ、今回は降りようか。誰にも言ってなかったんだから」
「うん」
返事を聞いて、葛葉を抱え上げる。
そして、今度は一本ずつ近い縄を選んで降りていって。
「葛葉!」
「ひぅっ…」
「風華。今日は許してやれ」
「でも…」
「約束したんだ。登るときはちゃんと許可を貰ってからって。な、葛葉」
「うん…」
「ほら」
「もう…。姉ちゃんに言われたら怒れないよ…」
「そうか。それはよかった」
葛葉を離して背中を押す。
少し迷ってたみたいだけど、望と祐輔のところに走っていってしまった。
それを見送って、風華はため息をついてまた座る。
「さあ、サン。待たせたな。話、聞かせてくれるか?」
「うん!」
それから、サンが一所懸命頑張った話を聞いて。
褒めてやると、明るい笑顔を見せてくれた。
…夜のことはすっかり忘れたかのようだった。
いや、実際に忘れているのかもしれない。
それならその方がいい。
この笑顔が守られるのなら。